第2話 緑の巫女
ニカ―ラ・マルゥクには、双子の妹がいた。名前はニキーラ。掛け算が得意で、片づけが上手で、動作はとろかったけど、穏やかで優しい子だった。
緑の国は戦士の国だから、大人はみんな活発なニカ―ラのほうを褒めた。二人の親も、表向きはニキーラに厳しくしたが、でも他の大人の目のないところでは彼女のことを目いっぱいかわいがった。
ニカ―ラも、大好きな妹を両親に褒めさせてやるために、勉強が得意でないふりをしたり、わざと部屋を汚くしたりして、ニキーラのいいところが引き立つようにした。
母さんは、ニキーラがニカ―ラの物を片づけてやっているところを見ると、「ニキーラはお姉ちゃんの分まできれいにできて偉いわね」とよく褒めた。でもその後で、ニカ―ラだけ何か適当な用で連れ出して、妹に声の届かない庭先や両親の寝室で、彼女のことを抱きしめたり、頭を撫でたりしながら、「ニカ―ラは妹のために悪い子になれるのね。でも母さんは、ニカ―ラが本当はとってもいい子だってこと知ってるわよ」と、妹と同じくらい褒めてくれたものだ。
「いつか二人が戦争に行ったとき、きっとニキーラは勇敢に戦えないと思う。だから、ニカ―ラが守ってやるんだ。ニキーラは、たくさん勉強をして、姉さんが怪我をしたり、病気になったときには助けられるようになるといい」
部族の戦士長だった父さんは、いつも戦争に駆り出されていて、ほとんど帰ってこなかったけど、たまに家にいるときは、二人が助け合って生きられるように、戦いの訓練や薬草学の勉強を手伝ってくれた。
緑の国の掟は、戦士でない者にとても厳しく、というより、もうほとんど自分自身の力で生きていけない弱い生き物のような扱いをする。ニカ―ラには、賢い妹が森に放り出された赤ん坊のように無力な存在だとはとても思えなかった。
実際、もう何度も戦争に行っている母さんや父さんのような大人のいくらかは、例え優秀な戦士でなくとも、戦場で仲間の命を援けられるということに気づいている。
でも、世界樹や“地母神”の声を聴ける司祭たちが、戦士に産まれなければ大自然の加護を受けられないというから、何千万の人々はそれを信じる。一部族の、部族長の部下の戦士長でしかない父さんの声には、彼らを説得できる力はない。
父さんはよく娘二人に謝った。「ごめんな、俺たちが戦争を終わらせられなくて」
でも、ニカ―ラもニキーラも、どうにもならないこともあるとなんとなくわかっていた。二人ともそれぞれのやり方で、強く生きることができると教えてくれただけで十分だったのだ。
そんな優しい父さんが死んだのは、二人が五歳になった頃。黒の国との戦争で死んだ父さんの死体は、瘴気に冒されて欠片も残らなかった。
だから、父さんの仲間の戦士が、黒檀のケースに入れられた、ぐじゅぐじゅのどす黒い、ちいさな塊を持って帰っても、母さんはそれが父さんの結婚指輪だとは長い間信じなかった。
母さんは、しばらくの間は表向き普通にふるまったけど、どことなく、少しずつおかしくなっていった。父さんが帰ってくると信じて、毎食父さんのぶんを作って待つのをやめ、まるで父さんが家にいて、家族と一緒に生活しているかのように、誰もいない部屋や椅子に向かって父さんの名前を呼ぶようになった。
そして姉妹の七歳の誕生日が近づくと、母さんは「父さんを呼んでこなくちゃ」と言い残してどこかに消えてしまった。
両親の帰りを信じて待っていた二人のもとに、「おまえたちのかあさん」だという、溶け爛れた肉の塊が届けられたのは、誕生日を二週間過ぎてからのこと。肉の塊は、指先や、鼻や耳や唇など、体の突き出た部分がなくなって、形が丸っこくなっていた。父さんを探して、瘴気の満ちる戦場痕を何日も彷徨った母さんは、喉も脳もやられてしまっていて、死ぬまではっきりした言葉を話せず、二人のこともわからなかった。
一年後に母さんが亡くなると、姉妹は二人だけで生きていかなければならなくなった。
でもその頃には、ニカ―ラは将来優秀な戦士になって、いつか父さんの務めた戦士長の座を継ぐだろうと言われていたし、ニキーラの薬草学の知識は、負傷して帰還してきた部族の戦士たちを助けるのに大いに役立っていた。
九歳の誕生日に、ニカ―ラは部族で一番腕の立つ未成年の戦士が選ばれる予備長に任命された。成年すれば、最初から何人かの部隊を率いる隊長になれるのだ。ニカ―ラはその夜、妹と一緒に、二人は戦場で助け合い、黒の国の侵略を撃退して平和を取り戻すのだと誓った。
……ニキーラが、“地母神”の巫女に選ばれたのはその翌日のことだった。
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