安楽死に至る病③

「……どういうことですか?」


 混乱した頭でどうにか考えようとしたけれど、さっぱりだった。都市の外には何か、人間を捕食する生物でもいるのだろうか。


「っと、その前に」


 イゾッタさんはバイクを止めた。僕に「そのままでいいよ」と告げ、自分だけバイクから降りて僕の横に立つ。


「ワクチン打っとかねーとな」


 唇を、噛んだ。噛むというより、噛み切るという表現が正しい。彼女は勢いよく唇を噛み締め、そこに滲んだ血を指で拭って、それを僕に向けた。


「あーん」


「……はい?」


「いいから、あーん」


 首を傾げながら口を開く。次の瞬間、あろうことかイゾッタさんは血に濡れた指先を僕の口の中に突っ込んできた。


「んぇ!」


 舌いっぱいに血の味が広がる。反射的に顔を顰めた。


「あい、おっけー」


 何事もなかったかのようにバイクに跨るイゾッタさんに、僕は唾を飲み込んで抗議する。

「なんなんですか今の! 全然おっけーじゃないんですけど」


 バイクは鉄でできたゲートをくぐる。先は都市の外みたいだった。どうやらイゾッタさんの家は都市のはずれにあったらしい。


「あー、面倒くさいから一気に言うぞ」


 都市の外には何もなかった。本当に何も。見渡す限り焦茶色の広がっていて、人影は一つも見えない。


「この世界では生前の死因が自殺だった人間にだけ、特権が与えられる」


「第一に、外形特権。生前の容姿をベースに、見た目が美しくなる。普遍的な美は存在しないが、まあ大方の人間からすれば絶世の美人に見える」


「第二に、身体特権。単純に身体能力がクソ高くなる。速く、硬く、強くなる」


「第三に、自殺特権。生前の願望に即した特殊な能力が発現する。来世は猫になりたい、と願って自殺したやつは猫になる、みたいにな」


 ちょうどその時、視界の端で何かが動くのが見えた。目を凝らすと、それは猫、三毛猫だった。


「この世界には猫と、あとは鳥が多い。そんだけ猫になりたいやつが多いんだよな」


 僕はまだ話をうまく飲み込めていなかった。自殺者は、綺麗で、強くて、特殊な能力があるって、それじゃあもしかして。


「……イゾッタさんも、自殺者なんですか?」


「うん」


 振り返らずに彼女は言った。その一言には、複雑な感情が込められているように感じた。

 遠くで、何かが横たわっているのが見えた。肌色で、皺の多い、何か。それを視認すると、イゾッタさんは「いたいた」と声を上げる。バイクはそれに近づいて、やがて付近で停止する。


 人間の群れだった。信じたくはないけれど。老人が、塊のように積み重なって、眠っていた。多種多様な人種、民族の人々が、折り重なって、あるいは散り散りになって眠っていた。こういうことを言うべきではないとわかっているのだけれど、悍ましい光景だった。


「『安楽死に至る病』」


 ぽつりと、イゾッタさんが呟いた。


「私の能力だ。私の唾液から空気感染し、年齢性別に関わりなく全ての人間を死に至らしめる。対処法は私の血液から免疫を摂取することだけ」


 ごほごほ、と彼女は老人たちに向けて空咳を繰り返す。全裸の老人たちが目を覚ます気配はない。


「この病は爆発的に感染を広げる。風に流されて拡散する上に、少し呼吸をするだけで感染する。地球くらいの規模なら、だいたい一週間で滅亡させることができる」


 淡々と彼女は言葉を紡ぐ。その声からは感情が読み取れない。


「都市の外で人間は生きられない。なぜなら私の病がこの世界を支配しているから」


 椅子取りゲームの必勝法は。音楽に集中することでも、押し合いに負けないように鍛えることでもない。


 椅子の取り合いが始まる前に相手を殺してしまえば、その時点で勝利が確定する。誰もが思いつくだろうけれど、誰も実行しない、あまりに残酷な手法。


「私は私のために私以外の人間を殺す。それって私が悪いのか?」


 老人たちの様子が変わった。ぴくぴくと全身が痙攣を始め、指先が震えているように見える。


 妙な音が聞こえた。低かったり、高かったりする変な音だった。それが笑い声だと気がついたのは、老人たちの口元が歪に変形している様を目にしたから。


 笑っていた。折り重なった老人たちは、痙攣しながら奇妙な笑い声をあげていた。都市からの光でわずかに照らされる荒野に、気味の悪い笑い声が響き渡る。


 やがて、老人たちは一人、また一人と笑うのをやめていった。彼らが意識を失っていることは僕の目にも明らかだった。死後の世界で生命を終えることを「死ぬ」と形容していいのかはわからないけれど、彼らは次々と死んでいっていた。


「これが私の仕事。毎夜、都市の外に出て、病の影響力が薄れてきた場所に細菌をばら撒くのさ」


「やり甲斐のあるいい仕事だろ」


 イゾッタさんは、多分笑っていた。僕は何も言えずに、ずっと地面を眺めていた。

 


 

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