03.
紫乃が何を考えているか、あたしには分かる。
紫乃は標榜している。
『一に愛想、二にお世辞、三四がなくて五にワイロ』と。
その座右の銘が示すのは、自分にできることをしようという意志であり、数之進に欠けたところを補わんとする決意だ。
あたしも同じだ。
白金兄さまは金儲けに興味がない。
霊薬局の看板を掲げていれば客の方から勝手に集まって自然に金を落としていくと考えている。
金子姉さまも商いと金勘定には疎い。
炊事洗濯掃除にお買い物とあたしたちの生活を支えてくれてはいるが、その元手を得るところには目がいかない。
だからあたしは掲げるのだ。
『一に売り上げ、二に利益、三四がなくて五に薬』と。
あたしは、あたしに今できることをしよう。
ずっとそう思ってきた。
そうやってごまかしてきた。
本当はあたしだって霊薬師になりたかった。
兄さまや姉さまのようになりたかった。
霊薬師は花形だ。
白金の長髪をなびかせる妖精や、緩く編んだ金髪を輝かせる磁器人形にこそ似つかわしい御役目だ。
それでもあたしは霊薬師になりたかった。
だからあたしは何度失敗しても朔龍湯の調薬に挑んできた。
いつかは成功するだろうと高をくくっていた。
今はあたしにできることをしながら頑張っていれば、いつかは秘訣を見出して霊薬をつくれるようになる。
そんなふうに思っていた。
あたしは矛盾だらけだ。
霊薬師になりたくてたまらないのに、『今できることを』などといって霊薬づくりを一番に置かずにいる。
それでいて人一倍薬の勉強はする。
言い訳を撒き散らして逃げ回っていたつけが今になってやってきた。
ふと、数之進のことを思う。
彼もまた、白金兄さまや金子姉さまの才能を妬む一人である。
だから数之進は知識を蓄え、知恵を絞り、技術を磨いた。
自分にできることをしているのだ。
しかし、同じなのはそこまでだ。
数之進は、霊薬という戦場で勝負をしている。
秘訣を見出し霊薬師として勝負をしている。
勝負の場に乗れないあたしたちとは違う。
いや、そもそもあたしも紫乃も勝負の場に乗ろうとさえしていない。
あたしと同じく、紫乃も薬より大事だとするものを謳いあげながら『いつかは自分も』と心の中に秘めてきたのだろう。
聞いたことはないが、霊薬の調薬にも挑戦したことがあるに違いない。
そうして片足を踏み出したとしても、それは勝負の場に乗ったとはいわない。
全身全霊を土俵に投げ出して初めて勝負ができるのだ。
梅鶴おじさまは選べという。
『いつかは自分も』と淡い期待を抱き続けるか、才能がないことを自分で認めるか。
紫乃の心痛は如何ばかりか。
紫乃の考えていることは分かっても、その痛みまでは分からない。
紫乃に選択を迫っているのは、他でもない実の父なのだ。
あたしは紫乃に言おうとした。
あんたはまだ諦めなくてもいいんだよ。
今ここで決めなくたっていいんだよ。
あたしに付き合ってくれなくたっていいんだよ。
そして手を伸ばそうとした。
震える紫乃の拳を、そっと解いてやりたいと思った。
でもしなかった。
「わしはおまえたちの代の親だ。おまえたちのためなら頭も下げよう。腹も切ろう。さすれども一向痛みは覚えん。しかしこうしておまえたちが痛むを見るのは辛い。わしも痛い」
梅鶴おじさまの声が震えだした。
「だがな、何より耐え難いのはおまえたちが拠り所を失うことだ。我が子が家を失うのだけは耐えられん」
おじさまは座布団を放り出し、居住まいを正した。
そして両手を突いて深く頭を下げた。
「改めて、お頼み申す。龍神庵銀子殿。秘訣の伝授、どうか受けていただきたい」
囲炉裏で熾火の弾ける音が聞こえた。
「……おまえたち、受けなくたっていいんだよ」
これまで黙りこくっていた千里おばさまがここで口を開いた。
「最初に言ったとおりね、この場はわたしらに預けていいんだ」
おばさまは溶かした真珠麿のような声であたしたちを包んだ。
「おまえたちはまだまだひよっこだ。将来がある。たとえ今はその兆しが見えなくとも、この先は分からないよ。今がダメでもまたいつかね、」
「それじゃダメ!」
あたしは魂の底から声を張り上げた。
おばさまが目を見開き、おじさまが顔を上げる。
「いつかなんていってちゃダメ! 頑張るのは今! 今の頑張りが全てなの! 汗水鼻水流して、石にかじりついて、涙に暮れて、泥に頭ぶち込んで、たとえどんな恥をかいたって、それでも、今頑張るの!」
膝で立ち、前に進み出る。
視界の隅に、紫乃が振り向くのが見えた。
「才能がなくたっていい。秘訣を他人から教わったっていい。後ろめたくたっていい。霊薬師だって胸を張れなくたっていい。でも、いつかなんて絶対いっちゃダメ! それこそあたしはあたしに顔向けできない!」
薬房の床に力いっぱい手のひらを打ちつける。
「いつかじゃ遅いのよ。頑張るのは今。だから……」
あたしはゆっくり腰を折り、目いっぱいの誠意を込めて額を床板につけた。
「龍神庵銀子。秘訣のご教授、謹んで受けさせていただきます」
あたしは霊薬師になれなくてもいい。
ただの薬売りでいい。
それでも譲れないものがある。
ふと、隣に気配を感じた。
あたしのすぐ横で、床板の軋む音がする。
「……すっ……ぐすっ」
しゃくり上げる声が聞こえる。
視界の隅に、紫乃の髪の毛が映った。
頭を床につけている。
「……弁天楼紫乃。同じく、受けさせて、いただきます」
熱いものが頬を震わせ、目頭から溢れそうになった。
その言葉が何より嬉しかった。
それでこそあたしのライバルである。
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