02.

 橋の袂には大きな青銅の鳥居が立っている。

 そこから島の奥に向かっては、急な坂道が続いている。


 おみやげ屋と食事処が立ち並ぶその参道を弁天仲見世通りと呼ぶ。

 弁天さまをおまつりしている辺津宮弁天堂、そこへといたる狭い道はいつでも人だらけである。弁天さまのご利益満点、見世を開けば千客万来商売繁盛まちがいなし、ときたもんだ。


 そんな仲見世通りの入り口すぐ、江ノ島の顔ともいえるところにご大層な店をかまえるのが弁天楼薬局だ。


 島に来た観光客が一度は必ず通る島の玄関口である。

 商売をするなら最高の立地といえよう。

 羨ましいことこの上ない。

 我が龍神庵など、島の一番奥にあるというのに。


 造りや細かい装飾は昔ながらの古風な落ち着いた雰囲気でありながら、屋根の大きな看板も、店がまえも、店内も、建て替えたばかりで見目麗しく清潔そのものである。

 我が龍神庵など、造りだけでなく実際古くて薄汚れているというのに。


 弁天楼では床にも贅沢に漆塗りの欅などを使っている。

 我が龍神庵など、未だに下は土である。床などない。

 比べていると無性に腹が立ってきた。


 嫌がらせに店先で死んだふりでもしてやろうかしら、と敷居に手を突いたとしたところで、背後から声をかけられた。


「……何をしていますの」


 振り返ると、小奇麗な格好をしたこまっしゃくれの女の子があたしを見下ろしていた。


 いや、見下していた。


 あたしは床をつつつと人差し指で擦り、その指先を見せつけた。


「あらあら、弁天楼さんはお掃除も碌にしていないのかしら。床がお汚れになっていましてよ」


 女の子は顔にしわが残りそうなくらいのしかめっつらであたしの指を見た。


「これはあなたの指が汚いだけですわ。……ついでに顔も」


「顔は関係ないでしょ!」

 あたしはとっさに帯のそろばんに手をかけた。


 が、何とかそこで手を止めた。

 あたしはもう大人なのでいきなり町中でそろばんを投げるような真似はしないのだ。


 余計な一言を忘れないこいつの名は、当麻紫乃。

 柔らかそうな髪を大きなリボンでお姉さん結びにしているのも、気取った表情も、島の人間には『お上品』だとか『お嬢さまっぽい』だとか評判がいい。

 実に腹立たしい。


 ここ弁天楼の娘であり、あたしと同じ小学六年生であり、詰まるところこいつはあたしのライバルである。

 紫乃はあたしと違って島の外、鎌倉の御成学園だとかいう私立の学校に通っている。


 私立小学校では制服があるらしい。

 今も紫乃は、ブラウスに薄いサマーベスト、リボンタイにプリーツスカートなどといった舌を噛みそうな横文字まみれの服装をしている。

 紫乃がいつもうるさく服の名前を言うものだからあたしも覚えてしまった。


「で、なんの用ですの?」


「回覧板よ、回覧板」

 あたしはランドセルから紙を取り出し、紫乃に手渡した。


「折れ曲がって皺くちゃ。どうしてこうがさつなのかしら」


「ごちゃごちゃ言わない。読めりゃいっしょよ」


 ため息をつきながら紙を広げる紫乃。

 これは今朝、白金兄さまのところに電子メールで届いたものを紙に印刷したものだ。

 海を越えて文が飛んでくるとはすごい時代になったものである。


「……いよいよ、来ますのね」


「みたいね」


 今朝届いたのは、非常に重大なお知らせであった。

 大黒さまが島に来るのだ。

 大黒さまはこの国の薬にご加護を与えてくださる神様であり、霊薬局の監督をなさっている。


 普通の薬局は人間の薬を売る。

 霊薬局は神さまの薬を売る。

 それぞれ別の認可が必要なのである。


 例えば、龍神庵や弁天楼は普通の薬局としても認可を受けているし、霊薬局としても認可を受けているため、どちらの薬も商うことができる。

 普通の薬局の審査は人間の役人が行うが、霊薬局の審査だけは大黒さまが直々に執り行われる。

 霊薬は神さまにしか薬効がないからだ。

 故に、人間にはその良し悪しの見極めができない。


 大黒さまの審査は厳格であることで名高く、『大黒審判』などと呼ばれている。

 現在この国に、霊薬を売る霊薬局は七つしかない。

 それだけ審査が厳しいということだ。


 しかし、だからこそ霊薬局の認可状には価値がある。

 国に七つしかない霊薬局、そのうちの二つもがあるということで、江ノ島は『霊薬の島』としても名高く、観光地として世に知られているのである。

 うちも弁天楼も、江ノ島の観光業をささえる重要な役割りを担っているといえよう。


「大黒さま、いついらっしゃるのかしら?」


「さあね。こればっかりは、神のみぞ知る、だわね」


 回覧板に書かれていたのは『今年大黒審判がおこなわれる』という旨のみであった。

 細かい日時は知らせてもらえないことになっている。

 薬を商うものは、常いかなるときにもその備えを怠ってはならないのである。


「しかし、いつか分からないというのは嫌なものですわ」

 紫乃の表情が流石に硬くなる。


「何、不安なの? ま、うちは余裕で合格だけどね。何しろうちには兄さまと姉さまがいるんだから!」


「う、確かに白金さまも金子さまも天才ですが」


 うちの兄さまが『ろくでなしの白金』などと呼ばれているのは、ネットゲームばかりで店のことを放ったらかしにしているからだけではない。

 そんな有様でありながら、幼くして霊薬の調薬にも成功するような天才肌であり、『あいつの才能はどうなってるんだ』と、呆れに尊敬の混じった諦めをこめて『ろくでなし』という呼び名がついたのである。


 姉さまも似たようなものだ。

 薬鍋の前でうつらうつらと居眠りをしているかと思ったら、いつの間にか霊薬ができていた、などという伝説から『夢見の金子』と呼ばれるようになった。


 霊薬をつくることのできる人間は極僅かである。

 そうした才能を持つ者は、霊薬師と呼ばれ、尊ばれるのだ。

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