第2話 陳寿「孟婆湯」の戦い

 貴殿は、古くから中国で言い伝えられている「孟婆湯」をご存知だろうか?

 麻婆豆腐でも、麻辣湯まーらーたんでもない「孟婆湯」。


 あの世へ逝くと

「お勤め、お疲れ様でした〜! 先ずは一杯どうぞ!」

 どこからともなく差し出されるスープなのだが、これを飲むと

「一丁あがり! これで貴殿の前世の記憶は一滴も残さずに削除致しました」

 前世の記憶が跡形もなく抹消されるという噂のスープだ。


 死後の世界の話なんて、黄泉よみ返った人がいない限り、信憑性しんぴょうせいはないのだが、孟婆湯は実在した。


 生まれてからも、死んでからも初めてみる情景に陳寿は戸惑ったが、そんな彼の

 前世の記憶を消して、サッサと生まれ変わらせるべく、スープ配給係は

「陳寿さん、後世に残る史書を書いたお祝いに、ググッと一気にどうぞ!」

 黒い器に入った孟婆湯を陳寿の胸元に押し付けた。


 陳寿は器を受け取りながら、悪あがきをするように

「一つだけ教えてくれ」

 一呼吸置いた。

 配給係は「今更」と瞳の奥で嘲笑しながらも

「最後の記憶にどうぞ」

 陳寿に辞世の句を促した。


「この記憶を抹消するスープだが」

 陳寿が最期にいたのは、スープを飲んだ後の自身の処遇ではなく


「諸葛丞相も飲まれたのですか?」

 出来ることなら、一目でいいから会ってみたいと生前から願っていた諸葛丞相のその後だった。


 スープの配給係は陳寿の問いに「諸葛丞相?」一度目を大きく見開いたが

「飲まれておりません」小さく首を振った。

 いや身体中が恐怖体験を思い出したかのように、小刻みに震えていたのを陳寿は見逃さなかった。


「お前、さては諸葛丞相に説教されたろ?(羨ましい)」

 推測するに、王朗を憤死に追いやった類の説教だったのだろう。


「質問がなければスープをどうぞ」

 陳寿に指摘されたことが図星だったらしい男は、サッサと任務を遂行させようとしたが

「丞相は地獄の鬼に見つからずに、今でも生前の記憶と共に生き延びていると言うのか?」

 伝説に聞いた噂では、飲まないことがバレると地獄の鬼の餌食えじきになるとか。


 陳寿が一筋の光にすがるように話の続きを促すと、男は冷や汗にまみれた声で、さっきまでのチャラい受け答えとは打って代わって、慇懃いんぎんな言葉で答えた。


「諸葛丞相は生前から、鬼月(今の旧暦七月)になると、地獄から悪戯をしに地上へ遊びに行った鬼たちをとっ捕まえては、服従させていました。今も鬼たちは丞相の手足となって健気に働いています。私も鬼たちに危うく……(泣)」

 

(諸葛丞相、使えるものは鬼までも使うのですね。っていうかどうやって!?

 ある意味、鬼以上に鬼ですね。嗚呼この話『三国志』に書きたかった!)


 陳寿の残念そうな顔を見た男は、反撃のチャンスとばかりに

「さらに残念なお知らせですが、諸葛忠武侯は格が違います。あなたとは違うんです!」

 突然、声を高くして勝利宣言をした。


(諸葛丞相と自分が違うのは分かっているけど、そこまでハッキリ言わなくても……いや、お前に言われる筋合いね〜し! とりあえずお前、誰だよ!?)

 陳寿が仏頂面で男を睨むと


「諸葛丞相は陳寿様と違って神格に到達されたお方なので、生まれ変わる必要はございません。今も丞相はこちらの世界から、領民の平和を願っておいでです。

 故に陳寿様はあの世でもこの世でも、丞相にお会いすることはできないのです!

 陳寿様、ざんね〜〜〜〜〜ん」


 最後はなぜかドヤ顔で言い放たれた。


(お前……前世は十常侍とかその辺だったんじゃないのか?

 それにしても、こんな生意気なやつを黙らせるとは流石は丞相。丞相に怯えてひざまずくこいつの顔が見てみたかった)


「全く、心底残念だ!」

 陳寿はやれやれ、とため息を吐くと

「さらに、さらに! 今ならもう一つ残念なお知らせが到着しています!」

 調子に乗った男は、ドヤ顔のまま続けた。


「陳寿様の書かれた『三国志』のせいで、敬愛する諸葛丞相はー」

 陳寿を暴走させた残念なお知らせとは?


次回、陳寿、死んでも死に切れない!に続きます


 


 

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