第56話 野尻湖へ
昼食が終わると沙織はこれから野尻湖と黒姫、妙高高原へ行こうと云うのだ。軽井沢駅から長野駅まで新幹線で三十分の距離だった。これには彩香と夕子も驚いた。二人が在来線で調べたら一時間五十分掛かるから、その日は信濃追分だけで、野尻湖と黒姫方面は翌日の予定だったが、新幹線を使えば一日で済んでしまうからだ。
とにかく昼食を終えて軽井沢駅から長野行きの新幹線に乗った。みんな新幹線は東海道線しか乗ったことがないから流石に快適な旅だ。あの頃は名古屋から松本経由で来たが確かに新幹線は速くて楽だった。夏前に子供達が立てた四泊五日の予定が沙織のお陰で二泊三日になっていた。次の宿泊地は妙高の高原ホテルで二日目が長野市内のホテルだ。
「夕子、凄いね二日の予定が一日で済んでしまうなんて」
「しかも泊まるところが民宿でなくホテルだよ快適じゃん、だとすればもう少し撮れそうだね」
長野に向かう新幹線の車中で二人は感心していた。山尾と沙織は通路を挟んで隣の席にいた。
「この旅行が終わればどうするんだ」
「船で外国を廻るクルーズ船もいいけれど一人じゃねえまあ今度は美咲さんを誘って行くかも知れないけれど」
今回の旅は美咲さんを誘う予定だったが、夕子の載る雑誌にお店の名前が出るのならと切り替えた。でも沙織は何処までが本音か誰も掴みきれなかった。
長野からしなの鉄道とバスでは時間が掛かると、長野駅から沙織はレンタカーを手配した。これなら好きな撮影場所を選べて良い写真が撮れるでしょうと。沙織の運転で先ずは野尻湖を周回しながら山尾は、黒姫山と湖水が背景に写し込めるところを見付けては夕子を立たせて撮った。遊覧船やレジャーボートなどの俗化したものは避けて写した。
洋風の黒姫童話館では、絵本や童話の雰囲気を背景に滲ませて夕子には色々と今までにないあどけない表情も撮った。周囲の眺望が良くてこれは夢があって良いと、信濃追分駅とは趣の違う中高生向きだと此処でも山尾は写真を撮りまくった。
これには彩香も沙織も「何なの此の一風変わったお伽の世界を彷彿させる撮り方は」と見とれている。撮られる夕子はそんな余裕はないのか、山尾の注文に応えるのが精一杯で目まぐるしく場所を変えては動き回っていた。特に黒姫山も妙高山も裾野の広い山だから湖の背景には打って付けだ。
「此処はあなたたちが最初に決めた場所なの良いわねでも来たのは初めてでしょう」
「ウン、クラスでも評判が良かったが殆どが観光写真だからお父さんならもっと上手くこの風景と夕子を活かして撮ってくれると思うからこの夏は此処を予定してたんだ」
「それでもこの童話館と童話の森は載っていた観光雑誌がなくてちょっとイメージが湧かなくて
と彼女らは忙しい合間から沙織にお礼を言っていた。
「今の表情もお
「随分馴れ馴れしいんですね」
「そう、ちょっと昔を想い出しただけよ」
そう言えばお父さんも何か生き生きして撮っている。彩香は夕子の頬に西陽が差して、鼻に当たり、その影が長く引いてコントラストが、強くなりすぎたのに気付いた。それで三人は場所を少し移動したが沙織はそのまま見ていた。
しかしそこも反射光が影に上手く廻らずに、山尾にどうしたと云われて慌ててレフ板を夕子の影が強い部分に当て直した。
「お父さん、もう此処も日差しが強すぎるよ」
「そうだけどよあのお伽話のような尖塔と黒姫山の長い稜線が此処は上手く背景に収まっているから逆光で撮るからお前下から光を補ってくれ」
「なるほどそう云う撮り方で行くか」
と夕子が首を傾げた頬の反対側に西陽を反射させて影を柔らかくした。
「オッ、良いところに光が廻ってる」
と彩香にその調子だと言いながら、眼は夕子ばかりを見ながらシャッターを押していた。影になった夕子の顔の何処に反射光を当てるか山尾はもう指示はしていない。しかしこれも長く続かなかった。
「お父さん西陽がきつすぎてレフが効かないから木陰か建物の軒下に入らないと明暗がきつすぎる」
「そうしたいがそれでは木や建物が邪魔をしていい背景が写り込まないんだもう諦めようか」
「そうだね、もうダメだッ、これじゃあホテルへ帰った方がましよ」
この遣り取りを沙織は見ていなかった。
沙織には宝石のどこをカットすればもっと輝きを増すか、と信之から手持ちのスポットライトをかざされて、説明を受けていたあの日が蘇っていた。
亡くなればそんな日々が余計に脳裏に焼き付いて消えないからだ。春樹も死ねば脳裏に焼き付いて来るが、生きてる限りまだそんな日々は蘇らなかった。心の中にはまだ入って来られないんだ信之は来てくれたのに……。
「彩香、お前の云うとおりだ西陽が頬に長い影を落としてしまって思った写真が撮れないからここまでなあ」
「そうだね、夕子、撮影終わり」
「終わったか」
と夕子はやれやれという顔をした。
「疲れたか」
「流石にこれはロングランだ」
「じゃあ車に戻るか」
と三人はその場を離れて歩き出したが、沙織がまだ佇んで夕陽より先に沈んでいた。
「沙織お姉さん帰りますよー」
と彩香は片手をメガホン代わりにして呼んでいた。しょうがねえなーと駆け寄って来る夕子を見て、やっと撮影が済んでると気付いて沙織も帰り支度した。
童話館の駐車場に戻るとそのまま妙高高原にあるホテルに向かった。
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