第55話 軽井沢での撮影論

 撮影が一段落すると何もない駅前の貼り紙を見てタクシーを呼んで、全てが揃ってる軽井沢駅前で少し遅い昼食を摂ることにした。

 あの駅は夕子の写真を撮るには良い場所だけれど、此処は流石に新幹線が止まる駅だけに色んな店が駅前にあった。

 直ぐに電車に乗れるように一番近くの洋食店に入った。ここでイタリアン風の海鮮パスタにピザに飲み物を注文した。なんせ窓越しに軽井沢駅が見えて、その前の表通りには若者が闊歩している。

「旅行気分が味わえて遊ぶには良い所ねでもうちらは仕事だからね」

 と夕子と彩香はガラス越しにアイスクリームを食べながら歩く、自分達より年上の若者連中を白けきった顔で見ている。だけどそれもひとつの生き方だと彩香も夕子も心得ている。彼らは親のすねかじりか、それともバイトで旅費を稼ぎ出したのか、どっちにしても目的は想い出を増やすだけなのだ。スポンサーに働きかけてやって来たあたし達の旅は、絶対に意義ある物にしないと、今表通りを行き過ぎる者たちをさげすむ権利はないだろう。だからどうしても価値あるものを掴んで帰らないと無意味な旅になる。

「矢っ張り夏の軽井沢は東京の原宿が移転したみたいにみんな暑さを逃れてやって来るんだ」

 沙織も窓越しに歩く大勢の若者達に目を留めて「あなた達もアイスクリームを注文したら」と言われて素直に従った。というか彼らを見ていた甲斐があったという方が正しいだろう、と山尾はそつのない彩香を見た。

「詩人って言ってたけれど立原道造は建築家なのよね」と沙織に訊かれた。

「まあ表向きわなァ」

「どっちで生計を立てていたのかしらもっとも二十四歳の若さで亡くなったらどうしょうもないけれど」

 生計と言うより彼はまだ建築事務所に勤めていた。そしてそこで働いていたのが水戸部アサイだった。その一年後の春に恋に目覚めて、冬には死の影が忍び寄り、アサイの看護もむなしく次の春に亡くなった。

「まあッ、沙織お姉さんも勉強されたんですか」

「まあ、一応はざっと調べただけだけれど……、だからこの二人にとってあの信濃追分での夏のひとときが一番充実した日々だったのね」

「そうだ、それで夕子には重々言い聞かせて撮影してたんだよ」

 此処でみんなはさっき写したデジタルカメラのモニター画面を回し見した。特に夕子は満足そうに見入っている。

「夕子、気に入った?」

「ウン、これで目的の大半は達成出来たって感じ」

「良かった、矢っ張りまだ古い建物が残っていてだからホームに立つと昔のままの素朴な待合室が背景になっていいね」

「良くこんな場所を見付けられたのね」

 沙織はもう食後の紅茶を飲みながら春樹に穏やかな眼差しをむけていた。

「信濃追分で彼は最後の夏を過ごしたんですよ」

 でもお父さんは全く逆の心境で昔はあそこに行ったのかと、淡々と語る山尾に彩香は重ね合わしているようだ。それだけにこの春からお父さんが写して来た写真が、ここへ来て深みを増して来ていると彩香は見ている。それを一番感じているのは夕子かも知れない。カメラを構えたお父さんと喋っていると急にシャッターを押される。そんな時に今が撮りたい表情だと意識し出すと、自然とそう謂う雰囲気に慣れるようになって来たようだと夕子から聞かされた。

「成ったのじゃなく慣れたのか、でも夕子それはどんな時」

「山尾さんは冗談や駄洒落を連発していると突然に難しい話をしてあたしがちょっと戸惑った瞬間を見付けてはシャッターを押してた」

「へえーお父さんそのなの」

「一概には言えないがその時その時の雰囲気によって違うよ、ただ夕子ちゃんにすればそれが一番印象に残っているからだろう」

「そうなの? 夕子」

「ウン、そうかも知れないとにかくいつシャッターを押すか全然その兆候が掴めないもん」

「でもさっきは段々気付いて来たって言わなかった」

「云ったけど、やっぱあんな表情は意識して作れるもんじゃないんだもん」

「そうだよ、だから創作すればかえってつまらない表情になるから意識させないようにしているそのタイミングみたいなものが分かってきたんだと思う」

 と沙織が急に口を挟んだ。

「じゃあ結局はお父さんにしか撮れないんだ」

「だから目の前の夕子ちゃんは被写体として居るけれどこの人の心の中にはもう一人こうあって欲しいと言える別な人が棲んでるのよその人と通じるものを見付けたときにシャッターを押しているのよ」

 既に食後の珈琲を飲んでいた山尾には、この時の沙織は先ほどの意見と言い意外に見えた。

「じゃあ相手は夕子でなくても誰でも良いの」

「いいことないわよ撮る方と撮られる方の気心が合わないといいものは出来ないわよホテルで撮ってる写真を見れば解るでしょう」

「お父さんそうなの」

「そうだなあー、今まで何千人とスタジオで撮ったけれど気脈が合うのはなかった勿論一分一秒を争う仕事だけに割り切らないとホテル側から何を言われるか解らないからなあー」

「フーンそうなんだー」

 やっと食事を終えた子供達はアイスクリームに切り替わっていた。

「それで一つ聞きたいんですけれど沙織お姉さんとお父さんは昔のお友達だったんですか」

「そうよあなたのお母さんのようには成れなかっただけよ」

「そうなのお父さん」

「そうだよ、だからこうして一緒に旅しても何の差し障りもないんだ」

 山尾は娘にはそれ以上聞くなと投げやり的な言い方になった。彩香もそうかと夕子とまたガラス越しにアイスクリームを食べながら、原宿もどきの群衆に軽蔑的なまなこを浴びせていた。

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