第12話 彼女の言い分
こんな時は即答しないで、先ずは考える山尾を見透かすように彼女は畳みかけて来た。
「でも最後には治ると解れば話すが、もう手遅れで余命あと僅かと宣告されれば、却って不幸だと思って多分言わなかったのよ、でもいくら何でも酷すぎる。息を引き取る前に言われたあたしってそんな女なんですか」
そう言われれば俺もそうしたかも知れない。もしこれが響子ならアッサリと告白できても彼女には出来そうも無かった。もし告知すればこの女はどんな行動を取るのか予測不可能な処があるからだ。先の見えないただ痛みと耐えがたい苦痛が伴うだけで、助かる見込みがない抗がん剤治療と解っていても、彼女は何が何でも延命措置を取るだろう。それが有るから却って怖くなる。最後は楽に死なせてくれと言いたいからだ。でも彼女は痛みに耐えて生きて欲しいと望む、それも愛だと説くだろう。山尾は彼女と生活した数年で、その独占欲と同じぐらいの反動力も知ってるだけに頷けた。
「あなたに言わせれば勝手な女だと思っているのでしょう」
朧気に十五年近い年月を振り返ってみてもあんな惨めな別れ方はなかった。頭には中島みゆきの「わかれうた」がいつも彼の胸中を占拠していた。そのバリケードを根気よく撤去してくれたのが響子だった。あの日を境にして沙織は全く頭の回線がショートしたように切り替わったのだ。それでも相手の顔や形は違っても、五年も掛けてじっくりと同じ考え方の人を、おそらく沙織も選んでいるはずだ。だからどうして告知が遅れたか、いや、ギリギリまでしなかったのか。それは彼女からどんな苦しみからでも打ち勝てるように山尾より深く愛されたからだ。
「あの人はあなたより痛みを分かち合える人だと思っていたのに……」
矢張りそうか。
「そのー、亡くなられた相手はどんな人だったんですか」
ちょっと気になって訊ねたが、沙織はそうねと言ったきりなのは今はまだ語りたくないのだろう。まだ日も浅いから想い出すのが辛いのだろう。過去から完全に切り離されて想い出としてなるまでにはもう少しの年月が必要なのかも知れない。だがもう山尾には過去の女だった。
「そう言えばあなたはあたしをモデルにして描いた絵を今でも残しているんでしょう」
「さあ解らんよ」
「うそおっしゃい顔に残していると描いてあるわよ」
山尾は慌てて頬を
「私は美大生の時に時々あなたの絵を見ていたのを憶えてますか」
そう言われてももう絵筆は十年以上いやもっと長いかも知れないが持ったことがなかった。そして同棲していたときも彼女は話題にしなかったのに何で急にと思って首を傾げた。
「忘れては居ないでしょう多分想い出したくないんでしょう」
そう言われて大方は当たっていた。それだけではないあの一緒に過ごした日々そのものを想い出したくはなかったのだ。
「今更ながら何を言いに来たのですか」
「
「昼までに来客があるのでね」
「撮影のお仕事中ですか」
「いや娘が友達を連れてくるんですよ」
「娘、さんが居るの?」
彼女の
「いつ頃」
と訊かれて
「まあ学校帰りと言ってももう授業がないから多分昼頃かなあ」
「じゃあお邪魔かしら」
と沙織は名刺を取り出した。渡された名刺にはジュエリーショップ
「亡くなった夫の名刺ですがそこの住所で宝石や貴金属を取り扱っているお店なんですが今はあたしがやってますけれどそのうちお店をたたむ予定なので名刺もそのままにしています」
「店を閉めてどうするんです」
「あらッ心配してくれるの」
「別にそう言うつもりじゃないけれど今更就職するより今の仕事を引き継げばご主人が開拓してきた顧客もあるでしょうそれにまだ知らないお得意さんもあるから店を畳んでしまうのはどうかなあと思っただけだ」
「気にしてくれるのね」
と言いかけて次の言葉を浴びせられる直前に「ごめんください」と制服姿の女の子が二人入って来た。見ると娘の彩香と多分、夕子ちゃんらしき女の子が入り口に立っていた。
山尾は部屋を出て入り口で二人と話し出すと、後から沙織も出て来て「お仕事中すみませんでした」と言って沙織は出て行った。それを彩香は不思議そうに暫く見送っていた。
「お父さん、誰なの」
お客さんなら表の写場で話さないで、どうして奥の部屋に居たのか気になったようだ。それで式を挙げる人の指輪などを斡旋する為に、ホテルと契約している宝石店の担当者だと適当に説明して名刺も見せた。それでも怪訝な娘に「なんだ」と用件を問うた。
夕子は彩香に頼んで、別会社でモデルのバイトに応募する為に、証明写真を撮りに来たのだ。山尾は直ぐに端に片付けてあるライトを撮影状態に動かして、配置したライトの中央に置いた椅子に夕子を座らせた。
先ずは証明写真を撮ってから、次にどんな表情を作れるか、簡単なポートレート写真を撮りだした。これはカメラを意識させずに、どれだけこちらの要望を酌み取ってくれるかテストをした。それで作品の良し悪しが決まるからだ。撮影が終わると出来上がりを楽しみにするように言って帰らせた。
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