第11話 彼女の告白

 彼女は「いいかしら」と返事も聞かずにずけずけとスタジオに入って来た。此処はあたしが勧めた写真屋さんだけあって矢張り春樹さんには向いていたんだと言い出した。確かに勧められたが、今の仕事は実力で勝ち取ったものなんだと言いたかった。だが哀しいかな、それは彼女の恨みつらみを全部注ぎ込んだ結果だから、まだ彼女の影響下に有るのだろう。

「あの奥で仕事してるの」

 とそれを見透かすように遠慮なく入り込んできた。ああ、と返事をしながら後についてカーテルレールで区切られた奥の事務所の小部屋に入った。

「こんな狭い部屋でもちゃんとした流しもあるのね」

 と驚いていたようだが、昔は此処でモノクロの現像とプリントの焼き付けもやっていた。

「まあッ、何処どこでやるの」

 と言われて更に奥にある部屋が暗室になっていると説明した。

「証明写真ぐらいだけれど後は智恵光院に有る本社スタジオでやってる。勿論カラープリントは外注のラボに出すけれどもっとも今は暇だけれどでも此の週末は卒業式の写真の予約が結構入ってるよ」

「じゃあこれから忙しくなるのね」

 認められない絵を描いていても、うだつが上がらないと見込んで、彼女は写真に目を向けさせた。それは美大での山尾の絵を見てそう決めたらしい。けして良くないとは思っていないが、余り人に受けるような絵じゃなかった。これはこれで極めればいつかは花が咲くかも知れないが、そこまで彼の精神が充実出来そうも無かったのだ。物を捉える視点にはその発想の奇抜さにはひいでた物があったが、集中力が足らないのだいや持たない、見極めが悪いのだ。何とか煽てれば持続するが、沙織の方が先に音を上げてしまった。それをこんこんと言って聞かせる前に彼女自身の精神が持たなくなったのだ。だからこうして今更ながら気になってやって来たようだ。

 仕方なく山尾はインスタントのコーヒーを淹れてやると、空いた事務椅子に言われる前に座ってコーヒーに一口つけた。

「それでまだ独りなの」

「昔を思うと君に言う必要はないと思うんだけど」

 何とか見栄を張った。

「あらッ、そうだったか知らん」

 と笑って誤魔化すと「でもあなたには笑って済ませられないわね」と彼女は怒りを人にぶっつけるのが苦手な春樹を見透かすように言葉を続けた。

「でもいつか笑って過ごせる日が来ると信じていたのに」

 と沙織は顔を寄せてきて「図星! そうでしょう、ねえそうなんでしょう」

 彼女にそう決め付けられると春樹は返事に困ってしまった。いつかこんな日が来ると判っていればシミュレーションが出来ていたが。すでに使うことの無い場所に仕舞い込んだ記憶を探し出す為に、頭は目まぐるしく回転し始めた。彼女の大らかな物腰に包まれると一体どの辺の記憶を引っ張りだせば良いか選ぶのに一苦労していた。

「あなたは昔からそう謂う処があるわね」

 どうやら考え事をして中々結論を言わないところらしい。そう謂えばそれが描いている絵にも表れていると言われてじっと自分の描いた絵を眺めた時もあった。あの絵はまだ押し入れの何処かに有るかも知れない響子が捨てなければ。しかし彼女はまだ肝心な事を言わないなら聞くしかないか。

「それでどうして此処へ来る気になったんだ」

「多分まだ居ると思っていたけれど矢っ張り居たのね」

 そこで彼女は珍しくしんみりとし出した。

「実はあの後で結婚したの」

 ムッとする山尾には構わず。

「それがついこの前に亡くなったのよそれがあまりにも突然すぎて」

 と言われると盛り上がった嫉妬の感情が一遍に霧散した。代わりに哀れみがどっと胸中から湧き上がって来た。山尾があれほど別れ際にすがり付いたのに、彼女には無慈悲にも烈しく罵しって突き放されたにも関わらずに慕情が漂った。この辺がこの男に取っては断ち切れがたい感情的な持ち主なのだった。言い換えれば気立てが良すぎるのだ。

「それでいつ亡くなったのだ」

「去年の暮れ」

 と言って沙織の表情が少し陰った。それで相手への思いの入れ具合が多少は伝わると気分を悪くして邪険になった。そうか、しかし、その淋しさから此処へ来たのならば、あの頃の山尾の辛い胸中を知ってもらう為には突き放すべきだろうと考えた。だが更に話を聴けばどうやら知り合って七年近くは連れ添ったようだ。と謂う事は別れてから六年ぐらいは心を寄せる人が居なかったのか。そう思うと山尾も、彼女にしてみれば特定の人だっのだ、と思うと少しは気が晴れて落ち着いてきた。

「病気か事故かその突然に亡くなった相手は……」

 今日君が来たのと同じように突然か、しかしそんな急に人が亡くなるものか。

「少し前から身体の調子が悪かったのは知っていたけれどまさか今までそんな大事な事を隠していたなんて信じられない」

「病死か」

膵臓すいぞうがん」

 聴いた瞬間、ウッと息が詰まった。一瞬にして山尾は何の因果だろうと思うほどこの女の人生が気になった。

「膵臓がんは殆ど自覚症状が出にくいそうなのよ、だから気が付いたらもう手遅れだったそうらしいの」

「それでも抗がん治療を受ければ助かる場合もあるだろう」

「もう殆どゼロに近いらしいの」

「いつ解ったんだ」

「あたしは去年の暮れだけれどあの人はその数ヶ月も前だったそうなのよ」

 何故、相手の男は辛い告知を遅らせたのか、それが愛情なのか、それともこの女に取り憑いた、何か、だったのか。 


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