外伝1 コロッケとボク

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より      


殺伐たる話だけだと、さすがに申し訳ないので

外伝をおつけしました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 もう、秋の風が吹いてる河川敷を、ゆっくりとで歩きながら、相棒に話しかけた。


「なぁ、やっぱり、お前どっか悪いんじゃないか?」


 カフ、カフッ、カフッ


 返事の代わりに、乾いた咳をしてから、ボクの方を丸い瞳で見上げてくるコロッケ。表情は豊かだけど、日本犬は、甘え鳴きも含めて、めったに吠えない。


 コロッケが吠えたのは、あの「決闘」の時が最後だった。


「年なのかなぁ」


 フリ、フリ、フリ


 まだまだ若いですよと、言っているみたいにシッポが動く。


 とはいえ、大型の日本犬の平均寿命は10歳だっていうことを、つい最近、父さんから教えられた。


 コロッケは11歳だから、もうお年寄りなんだ。


「ちゃんと獣医さんに見せてもらってるから、病気ってことはないはずなんだけど」


 コロッケが子分になってから、わりとすぐにが判明した。父さんが飼い主さんに交渉して、何とか引き取ろうとしてくれたんだけど、ウンと言わないらしい。


 超、テキトーな飼い主は、犬小屋だけは用意してるけど、それ以外は何もしてないのがまるわかり。飼い主のオッサンは「娘が世話をする約束なので任せてる」と言い張るのみだ。


 オレと同い年の娘は、隣の小学校に通っている子だ。興味がないから、話したことはないけど、どうやら小さいときにコロッケに噛まれて以来、近寄らなくなったらしい。


 世話をするどころか、首輪もしばらく取り替えてなかったという悲惨さだ。


 まあ、だからこそ、鎖でつながれてなくて、毎日、ウチに来られるんだけどね。


 飼い主さんにお願いをして、ウチで買った新しい首輪をつけさせてもらった。そうしないと保健所に連れて行かれちゃうかもしれないから。


 自分では何もしないクセに、うちで世話をしようとすると、飼い主のオッサンも娘もひどく嫌がるのが困った。


 プライドだけは高いのかな。


 せめて、とお願いしたのは獣医師の定期検診とワクチンを打ってほしいということ。父さんがお金を渡して「これで」と頼んでくれた。


 おかげで、少し安心だけど、コロッケの咳はひどくなっている気がする。


「やっぱり年なのかなぁ」


 4年生までは、二人で走ってもボクの方が先に息切れしてたんだぜ?


 ぜーぜーしながら走る横を、コロッケは実に楽しそうにボクの顔を見ながら、力強く、だけど、余裕の表情で、楽しそうに走ってたんだ。


 でも、去年の春、はじめて「もう、親分にはついて行けませーん」って感じで、コロッケが道にへたり込んだんだ。


 その時に「あ、コロッケもおばあちゃんなんだ」って気が付いたんだよね。


 あまりにも強い犬だから、ついつい忘れちゃってた。


 なにしろ、いつでも、どんな犬に対してもコロッケは強かった。


 この辺の犬たちのリーダーらしい。ボクは、そのリーダー犬のってことで、お散歩してる時に出会う犬達は、ボクにとっても愛想が良い。


 ただし、ボクは絶対に、その犬達を撫でられないのが笑える。


 だって、手を伸ばしたら、間にサッとコロッケの頭が入ってくるんだもん。


 コロッケはボクを黒い瞳で見上げて嬉しそうだ。


「わたし! ね? ね? ね? ほら、わたしがいますよ。撫でるんなら、私を撫でませんか?」


 そんなセリフが顔に書いてあるんだ。他の犬を撫でられるわけがない。


「ははは。ごめんごめん。君だけだよ」


 そんな風にコロッケの頭を撫でると、実に気持ちよさそうに目を細めて耳を後ろに伏せるんだ。そして、頭を撫でられたまま、今度は相手の犬にドヤ顔してみせるのが常だった。


 わかるかい? 犬もドヤ顔するんだよ。ちぎれんばかりに振っている尾っぽからは「私の親分って、ステキでしょ」って言葉が聞こえるみたいだったよ。


 コロッケは無条件で、ボクが好き。

 ボクにとっても、コロッケは家族。

 ボクの大切な家族は、コロッケにとっても大切。

 

 ということで、である未玖が、ピアノのお稽古から帰る時間に合わせて、お迎えがてらのお散歩も、にとっては楽しくて、しかも大事な時間だった。


「よし。いつもの通りオヤツだぞ」


 ビシッ


 ほら、犬の「お座り」にも、いろいろとあるじゃん? コロッケは、ボクが「お座り」って声を出さなくても、まるで心の中が伝わってるみたいに、背中を伸ばした、見事なお座りをしてみせる。


 ハッ、ハッ、ハッ


 息が荒いのは、息切れかい? それともオヤツへの期待?


 肩からかけたポーチを開ける。


 もう、それだけで、コロッケは何が出るかわかってる。黒い瞳がワクワクって、言ってるよ。


「ふふふ。未玖が来るまでの、お楽しみおやつタイムだね」


 この土手を降りて、角を三回曲がれば、未玖がピアノを習っている家だ。直線なら100メートルほどだろう。


 オヤツを食べながら帰りを待つのが二人のお約束だった。


 もちろん、コロッケ専用のお水も持ってきてる。飲み水用のお皿も前は持ち歩いたんだけど、ボクの手に汲んだ水が一番好きみたいで、今では、こぼれるのを覚悟で「掌に受けた水」がいつものドリンクだ。


「ふ~ ゆっくりお飲み。ここは、平和だね~」


 最近はこの辺も物騒になったらしいけど、土手の上には平凡で平和な風がふわりと吹いている。


 実にのどかな秋の夕方だよ。


「さて、そろそろ未玖も終わるかな?」


 時計も、スマホも持ってないけど心配ない。だって、未玖がピアノの先生の家を出ると、ちゃんとコロッケが反応してくれるからね。


 ボクにはって言うか、人間には感じられないで、未玖が出てくるのをちゃんと、わかってるんだ。


「ほら、お楽しみ。おやつだ」


 オヤツを手に出しても絶対に、すぐには食べない。


「ヨシッ、食べて良いよ」


 パクン!


 ボクが「ヨシッ」って言わないと、絶対に食べないんだ。


 たまに会う「オヤツあげオバちゃん」が、コロッケの大好物のジャーキーを出しても、ボクが「ヨシッ」って言わないと、ボクの顔ばかり見て、絶対に食べないもんね。


 ま、ヨダレを垂らしながら、悲しそうに見上げる圧に弱くて、すぐ「良し」って言っちゃうボクも、ボクなんだけどさ。


 ともかく、ボクの命令は絶対だったんだ。


 その日は、二つ目のオヤツをパクッと食べた時に、コロッケの顔が「来ました」って反応したんだ。


 嬉しそうだ。コロッケも「一番幼い家族」を守りたいって気持ちがあるんだろうね。


「未玖かい?」


 返事の代わりに、コロッケがスッと腰をあげる。でも、ボクが行くよって言わない限り、そこで待っているのがいつものこと。


「大丈夫。もう一つあるよ。これを食べて待っていようね。慌てなくても、ちゃんと未玖は来るから」


 親分の言うことは絶対なのだ。まして、おやつ待ち! 耳をヒコーキみたいに横にしての上機嫌。


 掌に載せたおやつを差し出して「よしっ」って言った時だった。耳がピクンと立った。


「ワンッ!」


 え?


 日本犬は、めったに吠えない。まして「親分」に対して吠えるなんてありえないはずなのに、ボクに対して本気で吠えたんだ。


 驚いた。


「コロッケ?」


 ボクの声をムシして、コロッケは走り出した。


「コロッケ! 待て! 待つんだ! 待てってば!」

 

 ボクの命令は聞こえていたはずなのに、振り向かない。


 見たことのない加速で走り出したコロッケをボクは全力で追いかけた。速い! コロッケって、こんなに速く走れるんだ?


 ただひたすら驚いて、ただひたすら追いかけていった。


 あれ? これって、ピアノの先生の家の方?


 間違いない。


 ジャーンプ!


 いつもなら回り込むフェンスをコロッケは跳び越えた。そこを曲がれば先生の家だ。


 ボクは回り込んだ分だけ、遅れた。


「ばうぅううう」

「うわぁああ」

「きゃぁあああ!」


 三つの声が交錯して聞こえたんだ。


 後でわかったんだけど、未玖は帰り道、偶然、空き巣がお隣から出てきたところに出会ってしまったらしい。


 刃物を出されておびえた未玖。


 本当にタッチの差だった。


 いち早く到着したコロッケは「噛んじゃダメ」って言うボクの言葉を思いだしたのか、全力疾走のまま、その巨体を空き巣狙いにぶつけたらしい。


 倒れ込んだ男に対して「うぅううー」と低く唸り声。


 日本犬が全力で威嚇すれば、熊すら怯える迫力だ。


 男が立ちすくんだところを、近所からワラワラ出てきた人達に慌てて逃げ出した。もちろん、誰かが110番をしたのだろう。近所で空き巣狙いの男は捕まった。


 男が逃げ出した直後に到着したのがボクってわけだ。


 泣いている未玖を慰めるように、頬をペロペロと舐めてるコロッケは、ボクを見て申し訳なさそうな顔をした。未玖を守るためとは言え、ボクの命令を無視したお詫びをしているように見えた。


 あの顔が今でも頭に残ってるよ。


「ありがとう。コロッケ」


 首を抱いたら、誇らしげに、でも、本当に申し訳なさそうに「くぅ~ん」と弱々しく鳴いたんだ。


 ごめんなさいって言ってるみたいにね。


「ありがとう。コロッケ。君が守ってくれたんだね」


 ボクと、未玖のホッペをいつまでもペロペロしてくれたね。でも、呼吸に混じった咳がひどい。


 コロッケが辛いんだってことは、わかっていたんだよ。


 でも、の家族を、君は守ってくれたんだ。



・・・・・・・・・・・



 それがボクの見た、コロッケの最後の走る姿だった。


 その勇敢で、賢い犬の話が新聞に載ったんだ。


 それがいけなかったんだろうな。やっぱり、その前に、どんなに無理してでも「ウチの犬」にしておくべきだったんだよ。


 飼い主さんは「そんな立派な犬だったなんて知らなかった」と鎖につないでしまった。


 そして「今後はウチの犬なんで、会いに来ないでね」と冷たく言われてしまった。


 悔しいけど、ボクの家の犬じゃないって言うのが現実だった。


 それでも、一回だけ、こっそり、様子を見に行ったんだよ。


 もしも気付かれたら、コロッケが悲しむのはわかりきってるからね、声も音もさせないようにして、遠くから、絶対にボクの姿が見えてないようにしたんだ。


 それなのに、アッという間に気付かれた。


 つながれた鎖を引きちぎらんばかりに引っ張りながら、キュゥーン、キュゥーンってんだ。


 真っ直ぐに、隠れているボクの方に顔を向けてね。


 その姿があまりにも辛すぎで、ボクは、それで見に行くのを辞めたんだ。


 それから三ヶ月して電話が来たんだよ。


が何も食べなくなったんだ。一応、獣医に診せたら、フィラリアだったみたいだよ」


 飼い主さんと、ボクは初めて、直接、話した。


 そこで、ボクは怒りで目がくらむっていう体験を初めてすることになった。


 コロッケの飼い主は獣医に連れて行くのをサボってたんだ。フィラリアという、犬にとっては最も怖い病気がある。でも、定期的な飲み薬で予防できるんだよ? 獣医さんに定期的に連れて行けば、いいだけなんだよ?


 少しも難しいことではないんだ。それなのに……


「てめぇのせいだ!」


 ボクは、飼い主のオッサンに、そう叫んでいた。


 父さんが飼い主さんにお願いして、獣医さんに連れて行ってもらってるはずだったのに、金だけ受け取って、サボってたんだから。


 あぁ、こんなことなら、飼い主さんのご機嫌なんて気にせず、ウチで医師のところへ連れて行けば良かったんだよ。なまじ、飼い主さんに遠慮していたのがいけなかった。


 でも、さ、飼い主さんは、毎回、父さんに言ってたんだよ。


のコロッケは、健康ですよ~ 獣医さんに毎回褒められますから」


 調子よく、言ってたけど、全部、ウソだった。


 何度も「ウチで引き取って」と父さんにお願いしてきた。毎回、良い返事をしてくれなかったけど、実は、父さんは内緒で動いてくれていた。


 何度も相手に頭を下げて「ウチで引き取りたい」ってお願いしてくれていたのは後で聞いた話だ。


 だけど、飼い主であるは「娘の犬なので」と頑としてOKしなかったらしい。


 あんないい加減な飼い主であっても、一度、シャットアウトされちゃうと、やっぱり法律上は須藤家の犬。


 あの悲痛なコロッケの姿を見た後では、ボクに近寄る術がなかったんだ。


 後悔したなんてもんじゃない。


『あの時に、無理やりでもなんでも、連れ帰っていれば!』


 怒りで目の前が真っ暗になっているボクに、受話器からの声が響く。


「もう、あいつは歩けないし、治らないみたいなんで、ウチではいりません。引き取って良いですよ」


 そんなセリフを吐いたオッサンに、ボクは、生まれて初めて殺意を覚えたんだと思う。でも、コロッケをっていう思いの方が大きかった。


 すぐに父さんの車に乗って須藤家に行った。


 玄関前の地べたに、ゴロンと横たわってるコロッケの姿が遠くに見えた。


 歩けないんじゃなかったのかよ! なんで、玄関前の道に放り出されるみたいに寝かされてるんだよ! 


 怒りに燃えて、窓から顔を出そうとした瞬間だった。


 コロッケが立ち上がったんだ。シッポをちぎれんばかりに振ってる。


 匂いも声もわかるはずないのに、車に乗ってるボクに気付いたんだ。理屈じゃない。そうとしか思えなかった。


 歩けないはずのコロッケが、ヨロヨロと、こっちに歩こうとしてる。


「コロッケ!」


 車が停まりきる前に飛び降りたボクは、駆けよって温かなコロッケの首を抱きしめた。


 崩れるように、もたれかかってきたコロッケ。


 それが最後の力だったんだ。最後の最後の瞬間までボクを待ってくれたんだ。


「コロッケぇえええええ!」


 ボクの腕の中で、コロッケの目から光が消えた。


 汚れきったコロッケの遺体をボクと父さんで頭を下げてもらい受けて、泣きながら一緒にお風呂に入って、その日は一緒のベッドで寝た。


 父さんも母さんも、ボクの気のすむようにさせてくれたんだと思う。ネットで調べた火葬場で荼毘に付してから、ウチの裏庭に埋めたんだ。


 コロッケ。


 ずっと一緒だからね。



・・・・・・・・・・・


 中学に入って、コロッケの飼い主だったが同じクラスなんだと気が付いたのは、もっと、ずーっとあとの話だった。



 



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

細かい突っ込みはナシでお願いします


ちなみに、犬の超感覚は、

車を降りる前から乗っている人を見分けます。

それは実話です。


あくまでも「感想」ですが、コロッケは、最後にみっちゃんに抱いてもらえて

幸せだったと思います。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 

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