第27話 ボクのおよめさん

 小学校1年生の頃の話だよ。


 近所に、女の子がいた。三上さんって言う子だ。


「ミツキとミカミだもん。おんなじだね」


 そんな風に言い合ってた。仲が良かったんだよ。あれ? でも、今思い出すとオレはその子を「つん」って呼んでたなぁ。何でだっけ?


 あ。それで…… えっと、その子の家は、なかなか複雑らしくって、いっつも一人でね。うちの親も、まだそれほど忙しくなかったのもあるのかな。未玖とその子と三人で遊んで、晩ご飯もウチで食べたり、あ、そうそう、一緒にお風呂も入ったっけ。


 女子二人とのお風呂は毎回ピンチだったなぁ。


 オレの股のところに付いてるモノが気になるらしくってさ。ほら、子どもじゃん? 洗いっこするんだけど、どっちがを洗うかで良くケンカになってた。妹の未玖はわりとあっさり派だから良いんだけど、三上さん…… あ、その頃だから「つん」ちゃんって言うね。つんちゃんは、すっごく興味深そうで、今考えると、手つきがちょっとエッチだった気がするよ。ゆっくり手触りを楽しんでるみたいだったし。


 あ~ あの子、今頃すっごくエッチな女の子になってるかなぁ。


 ごめん、ごめん。引くよね、こんな話。


「ううん。それは良いんだけど。それって子どもの純粋な好奇心じゃないかな? その子がエッチだとは限らないと思うよ」

 

 うん。ま、そうかもしれないけど。とにかく、その頃、すごく仲の良いつんちゃんは、オレのことを「みっちゃん」って呼んでたんだ。


 考えてみれば不思議だなぁ。オレのことを「みっちゃん」はわかるとして、未玖のことは「未玖」だったからね。でも、ほら、ウチのクラスの木山さん。彼女も幼馴染みでさ、あの子はオレのことを「みっきー」って呼んで、妹は「ミクちゃん」って呼んでたんだ。


「それは、たぶん、ライバル心じゃないかなぁ」

 

 ライバル心?


「うん。お互いに、好きな男の子を相手が呼んでる言い方で呼ぶのは、嫌だったんじゃない?」


 そんなもの? ま、木山さんは良いとして、その「つんちゃん」が、オレのことをみっちゃんって呼んでたって話さ。


「ふぅ〜ん。で、その、つんちゃんって、どんな子だったの?」


 えーっとぉ、だから、すごくエッチな子で わっ、イテテ。なんでつねるんだよ。


「その話はいいの! どんな子だったの? 思い出はある?」


 もちろん、思い出はいっぱいあるよ。母さんに連れられて、一緒にお祭りも行ったし、プールも行ったし。昼寝も一緒だった。未玖もつんちゃんも昼寝をする度にオレの上に乗りたがるから、毎回、ヒィーヒィー言ってたなぁ。ただ、一番の思い出は…… やめようよ。自慢に聞こるかも。


「聞きたいな」


 わかった。


 えっと、近所にやたらと怖い犬がいたんだ。名前がコロッケって言うんだけどね。茶色の毛並みだからかな? 名前が美味しそうな割に人を噛むんだ。しかも、脱走の名人? でさ。年中、逃げ出しては、その辺をフラフラ歩いてた。なまじ、賢そうで可愛い犬なもんだから、うっかり近づいて噛まれた人がいっぱいいたなぁ。


 もちろん、オレ達は知っているから、見かけても絶対に近づかなかった。


 ある日ね、また脱走して、偶然、ウチの前にいたんだよ。


・・・・・・・・・・・


 おうちに はいろうとしたら げんかんの まえに コロッケがいました。シッポをふるイヌは ごきげんなはずなのに、 コロッケは シッポをふりながら かみつきます。


 ふり ふり ふり


「ヤバい」


 にげたら おいかけてきて かまれます。


 ちかよったら シッポをふりながら かみつきます。


 そのばにいたら ダッシュで カジりにきます。


「どうしよう。にげなくちゃ。でも、どこへ?」


 おとなの ひとは みあたりません。


 お父さんを よぼうとしたけど、コワくて こえが でませんでした。


「みっちゃん。あそぼ」


 つんちゃんが ちょうど きちゃった。


「わっ、つんちゃん! ダメッ、にげて!」

「あっ、コロッケ!」


 にげだした つんちゃんを おいかける コロッケ。


 つんちゃんが ころびました。


「いたっ!」


 あたまから ころんだ つんちゃんに とびかかる コロッケ。


 カジられちゃう! 


 ボクは、とっさに コロッケにとびかかりました。


「ワンッ!」

「がぅううう!」


 ほえる コロッケに ボクも ほえかえしました。


 ボクの てに ガブッとかみついたコロッケ


 その ハナの ところに ガブッと かみついたボク


「きゃぃいいいんんん!」


 コロッケが ひめいをあげました。


 それでも ボクは ガリガリガリっと かむのを やめませんでした。


・・・・・・・・・・・


 その後は、夢中でさ。


 よく憶えてないけど、たぶん、家の中のお父さんが気が付いて出てきたんだと思う。


 今だったら、保健所とか警察? だろうね。


 でも、そのあたり、うちの親はわりといい加減だったのと、コロッケが態度を一変させて、オレの前に「伏せ」をしていたのが決め手だったんじゃ無いかな。まさかのおとがめ無し。


 だってさ、犬って、顔に「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」って表示できるんだよね。もう、見るからに、土下座状態だったんだもん。これ以上何かしなくても大丈夫だって思ったんじゃないかな。


 それに、そもそも、コロッケは子どもが大好きで、遊びたかっただけなんだろうって、父さんは言ってたよ。


 確かに、体がデカいし、本気でかみつかれてたら子どもの手なんて千切れかねないもんね。


 ケガって言えば、つんちゃんはおでこをすっちゃってね。けっこう血が出てたなぁ。でも、自分のケガよりも、オレが噛まれたところを気にしてくれて。


「腕なんか大丈夫さ。それよりも、つんちゃん、おでこに血が出てるよ」

「大丈夫」

 

 みたいな会話をしたはずなんだけど、よく憶えてなくて。ただ、その後のことで覚えてるのは二つかなぁ。


 一つは、コロッケがオレの子分になったこと。家から逃げ出してくると、必ずウチの玄関に座ってるんだ。ウチの番犬みたいにね。


 それで、オレが遊びに行くと、絶対にそばを離れなかった。


 なぜか毎朝、律儀に脱走してきてね。学校まで付いてきたんだよ。校門のところで「帰れ!」というと、そのまま帰って、下校の時になると、今度は迎えに来て、校門のところでして待ってるんだよ。


 で、オレを見つけると、シッポをブンブンふって、頭を差し出してくるんだ。


 ちょうど「親分、お勤めご苦労さんです」的な感じ? 


 で、一緒に帰ってくると、ウチの玄関でお座りして番犬になる。オレが出かけると足下に付いてきて離れない。


 あ、そうそう。その後は、絶対に人を噛まなくなったんだ。


 ただ、犬のお散歩をしている人に会うじゃん? 連れている犬を撫でようとすると割り込んできて「私の頭を撫でてよ」って顔をするんだ。そして、どんなに他の犬に吠えられても、一歩も引かなかった。むしろ、オレを守るみたいにして脚を踏ん張って立ち塞がる感じだった。


 近所の人は、みんな、オレの犬だと思ってたみたいさ。


 不思議だよね。


 それにしても、コロッケの飼い主さんて何考えてたんだろう、だよね。いい加減って言うか。だって自由すぎない? 自分の家の犬が、朝夕にお出かけしてるのに、気にしてないんだよ?


 ヘンに思わなかったのかなぁ。ま、この飼い主さんにはいろいろと言いたいことがあるんだけどね、今さらか。


 今だと考えられないかもっていうか、ちゃんと世話をしろよ、だけど、それが無理だったんだろうね。


 あ、そうそう、もう一つが、つんちゃんのおでこのケガのことだ。しばらく跡になっちゃってね。けっこう目立つケガになっちゃったからかなぁ。


「こんな顔になっちゃうなんて」


 やっぱり、小さくても女の子だから、すごく気にしてた。だから、ある日言ったんだ。


「気にしなくて良いじゃん」

「でも、こんなお顔じゃおよめさんになれないよ」

「だいじょうぶ。ボクのおよめさんになればいいでしょ」

「ほんとに、わたしをおよめさんにしてくれるの?」

「もちろん! やくそくだよ!」


 そんな感じの約束をしたんだけど、ある日、急に来なくなっちゃって。


 それで、つんちゃんのアパートに行ってみたら、ガラーンとしててね。引っ越すなんて言ってなかったのに。


 今思いだしてみると、あれって、親が借金とかあったんじゃないかなぁ。いろんな張り紙みたいなのがしてあったし、ガラスも割られてたからね。


 子ども心に「あ、つんちゃんには、もう会えないんだ」って思ったよ。


 ん?

 

 紺野さん、なにか?


 ボクの前にしゃがみ込んで前髪の間からオレを見上げてるんだ。


「ねぇ? そのつんちゃんの下のお名前って、もう忘れちゃった?」

「いやあ、だって、子どもの頃だよ? 本名で呼び合ったのも少なかったし。ずっと、つんはつんで…… あ、思いだした」

「思いだした?」


 ハッとした。


 オレのヒザに手を置くようにして、身体を乗りあげてくる紺野さん。


 そして、髪の毛をかきあげると、キラキラした目でこっちを見てる。

 

「まさか」


 記憶の中にあるパッチリした黒目がちの目を潤ませながらオレを見つめてた。理知的なおでこには、一つ残ってない。


「つばさちゃん?」

「せーかい」


 チュッ


 人生の半分にもなる長さで会えなかった「嫁」の柔らかな唇と、初めて重なった瞬間だった。



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