第67話 タオルの香り、彼女さん
「三月って、今日暇?」
「え、きょ、今日か」
俺がしれっと一人で帰宅しようとしていると、俺の席にやって来た七瀬にそんなことを聞かれてしまった。
俺は休み時間に時光から例の物を預かってから、授業中もずっと緊張していた。クラスメイトにバレてはならない物を俺は鞄に隠しているのだ。
その例の物がえっちなゲームであることは、言うまでもない。
時光がやけに押してきたので借りることになったこのゲーム。一刻も早くプレイをしたいというよりも、一刻も早く家という安全圏に持ち返ることで安心したかったのだ。
だから、今日は家に直帰するよていだったのだが。
「茜の玄関の電球が切れちゃったみたいでさ、変えるの手伝ってあげてよ」
「え、別に大丈夫だって。椅子使えば私でも変えられるよ?」
七瀬はさらりとした口調でそんなことを口にしたが、どうやら水瀬はその提案を初めて聞いたかのような口調だった。
「でも、茜一人暮らしじゃん。足滑らして頭ぶつけたら、そのまま誰にも気づいてもらえないよ?」
「こ、怖いこと言わないでよ」
そして、そんな状況であることを知らされて、当然引き受けない選択などできるはずがない。別に、ただえっちなゲームを持って女子の部屋に行くだけだ。
何も問題はないだろう。……問題は、ないだろう。
「まぁ、そうだよな。そういうことなら、分かった。別に、電球かえるくらいなら大したことじゃないしな」
「それじゃあ、お願いね三月」
「ん? 七瀬は来ないのか?」
「私はちょっと別用があるからいけないんだよ」
流れ的に三人で水瀬の部屋に向かうのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
まぁ、今さら水瀬の部屋に行くからといって緊張をしたりもしない。休日は二人きりで過ごすことも多いしな。
そんなことを考えながら、俺は鞄を持って席から立ち上がった。いつもと少しだけ中身が違う鞄。女子の前でバレない様にえっちな物を運ぶというシチュエーションに少しだけ鼓動が速くなっていた。
これがバレたら、これを貸してくれた時光にも被害が及ぶことになる。せっかくの好意で貸してくれたというのに、そんなふうに期待を裏切ることはしたくはない。
そんなバレてはならないミッションをこなす状況が、さらに俺の鼓動を速めていった。
「あれ? 三月、茜と二人きりになるかって緊張してんの?」
「は?! なんだ、急に?!」
七瀬が少しこちらをからかうような口調でそんな言葉を口にした。軽い冗談のつもりだったみたいだが、微かに俺の心情をかすめていたので必要以上に驚いてしまった。
「え、なんか表情硬い気がしてさ……まぁ、いいや」
七瀬は必要以上に驚く俺の反応に少し驚くと、軽く手を振って別れの挨拶をして俺たちの席から離れていった。
「えっと、それじゃあ行こっか。三月君」
「あ、ああ。そうだな」
「~~っ」
俺とぱちりと目が合った水瀬は、俺から照れるように視線を外した。その反応は俺の緊張感を感じ取って、その雰囲気を共有するかのようだった。
青春の一ページのような恥じらう乙女。急に意識し始めた男子を前に、照れるように恥ずかしがるように頬を朱色に染めていた。
……いや、俺ただエロゲ持ってるのがバレないか心配してるだけなんだけど。
そんなすれ違いを解消することなく、俺は水瀬の家へと向かったのだった。
「ちょっと、濡れちゃったね」
「まぁ、少し雨が降るって予報だったしな」
俺たちは学校を出てから急に振ってきた雨によって、少し体を濡らしてしまっていた。そうは言っても、互いに折り畳み傘を持っていたのでびしょ濡れにはなっていない。
夏の激しい雨によって、折り畳み傘で防ぎきらない部分だけ濡れてしまっただけだった。
「今タオル持ってくるから、少し待っててね」
「え、いや、」
タオルなら俺も持ってきてはいた。しかし、それを告げる前に水瀬が部屋の奥に引っ込んでしまったので、俺は水瀬が戻ってくるのをそこで待つことに。
「三月君、どうぞ」
「え、ああ。ありがとうな」
水瀬にタオルを渡されてしまったので、俺はそのタオルを使わせてもらうことにした。濡れた手で触ってしまった後で、使わずに返すのはよくはないだろう。
そんなことを考えて、俺は受け取ったタオルで頭と顔を拭いた。そこまで濡れてはいなかったので、タオルを擦るだけのようになった。
そこでふと、俺は気づいたことがあった。
「……あれ? このタオルって、学校で水瀬さんが使ってなかったか?」
「学校でも使ったりはしてるよ。あ、でも、安心してね。ちゃんと洗濯はしてるから」
俺に渡されたタオルは、学校で水瀬が普段使用しているタオルだった。何度か体育の後とかに、そのタオルで汗を拭っている姿を見たことがあった。
しかし、俺の表情をどう捉えたのか、水瀬は何かに気づいたように口元を緩めたようだった。俺をからかうために緩められた口元。
いつものように自然に緩められるのではなく、緊張している空気を緩ませようとするかのように少しだけ無理をしているようだった。
「ふふっ。もしかして、三月君は洗濯してない方が良かったのかな?」
だからだろうか。俺はいつものようにからかわれるのではなく、ただ冷静にそのタオルで顔を拭きながら、思ったことをそのまま口にしていた。
「……水瀬さんの匂いがする」
「へ?」
「すぅー、うん。甘い香りの中に汗のような匂いが混じり合い、女の子のフレグランスな香りがする。その中でも、脳を蕩けさせるような妖艶な香りが数滴振りかけられているようなえっちな香り。うん、水瀬さんの匂いだな。もしかしたら、このタオルには水瀬さんの汗とかが染み付いているのかもしれないーー」
「え、あっ」
「ん? どうした、水瀬さん」
俺がただ脳に浮かんだことをそのまま口にすると、水瀬は羞恥の感情に呑まれてしまったかのように、顔を真っ赤にさせていた。感情がついてこれなくなったような潤んだ瞳は揺れて、こちらを見つめていた瞳がそっと逸らされた。
言葉もろくに発せないような態度。……妙だな。
その水瀬の態度を見て、俺は先程の発言を思い出した。そして、先程淡々と話していた言葉を振り返って、俺は小さく声を漏らした。
「あ、今の発言はマズいな。いや、全然平気だよ。俺水瀬さんのえっちな匂い好きだし……あ、」
「~~っ!」
俺はタオルを汗臭いと非難している訳ではないよ、と訂正しようとしたのだが、その言葉が悪かったらしい。
水瀬は俺の追撃を聞いて、耳の先まで真っ赤にしてしまった。逸らされてしまった瞳は潤んだ状態で、こちらを睨むようにして向けられた。視線が逸らされなくなっただけ、先程よりも良いのかもしれないな。
……いや、そんなわけがないか。
「えっと……なんかすんません」
「……み、三月君が、私の普段使ってるタオルの匂い嗅いで、『水瀬さんの汗の匂いはえっちだから、好きぃ』って言って、私の匂いで興奮する姿を見せつけて、私を辱めてくるって、み、みんなにーー」
「それだと俺が誰もいない教室で水瀬さんのタオルの匂いを嗅いでるときに水瀬さんに見つかってしまって俺が水瀬さんに変態的な行動を取ろうとしてる情景が浮かんでしまうので誰にも言わないでくださいお願いします何卒っ!」
俺はクラスメイトから『匂いフェチの化身』と呼ばれないように、水瀬に深く深く頭を下げたのだった。
今回は俺が悪いのだろうか? いや、汗の匂いをテイスティングするみたいに的確に分析した思春期が悪いだろ。
え? 思春期はそんな些細な違いを判別できる力はないだって? じゃあ、一体誰があんな分析を……俺、なのか?
俺はタオルに染みついた水瀬の香りを堪能しながら、深く深く水瀬に頭を下げたのだった。
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