第51話 電車通学、彼女さん
「あ、三月君」
「え? 水瀬さん?」
「ととっ」
「お、大丈夫か?」
とある通学の時間帯。通勤ラッシュと被る通学の電車の中で水瀬さんに会った。
珍しいこともあるものだなと思っていると、その後ろからぞろぞろと人が流れてきた。水瀬はその流れに押されるように俺の所まで来ると、少しばかり疲れたような笑みを向けてきた。
「大丈夫、大丈夫。ふぅ、凄い混んでるね」
「あれ? そもそも水瀬さんってこの路線だっけ?」
「ううん、今日はいつも使ってるのが止まっちゃったから、別の路線から来たの」
「あー、なんか今日凄い運転見合わせあったな」
家を出る前に確認したが、メインの路線が脱線したため、その影響が各路線にも出ていた。運転見合わせとか遅れとかが被り、水瀬もいつもとは違う路線で来たということか。
それだけ各路線に影響が出ると、当然動いている電車には人が殺到するようになる。今でも車内は少し込んでいる状態なのに、多分次の駅でさらに人が乗ってくるだろう。
「水瀬さん、こっちに来てた方がいい」
「え? あ、ありがとう」
俺は次の駅で開くドアと反対側を確保していたので、水瀬に譲ることにした。
これから込むと分かっている電車の中で、水瀬をそこらへんに放っておいたら痴漢の被害遭う確率がぐっと上がってしまうだろう。
俺が水瀬と他の客の壁になってそれを防ぐことが吉だ。そう思っていたのだが、脱線事故の影響というのはそんな軽いものではなかったらしい。
そして、次の停車駅。
栄えている駅ということもあり、多くの人が電車の中に流れ込んできた。
やばいな、想定以上の人の多さだ。
後ろから押されるような人の勢いに負けそうになるが、なんとかドアに手をついて水瀬が押しつぶさないように踏ん張りを効かせる。
ていうか、このまま水瀬に倒れ込んだりでもしたら俺が痴漢になってしまう。自分でこっちに来るように指示しておいて、体を密着させてきたらいよいよ計画犯だ。
「えっと、三月君大丈夫?」
「ははは、何も問題はーー」
そこまで言って顔を水瀬の方を向けたところで、俺が突っ張った腕のすぐ近くに水瀬がいたことに気がついた。
恥ずかしげに上げられた顔は朱色に染まっており、どこかしおらしい姿をしていた。それは俺との距離の近さよりも、この状況になるような気がした。
電車が満員時に腕を突っ張って彼女を守ろうとする彼氏の図。何度も電車の中でその光景を目にしては舌打ちをしていたあの図。それを俺が再現しているというのか。
微かに香る甘い香り。電車の中で密集状態だから、そんな香りはしないのかもしれない。それでも、水瀬の恥じらうような表情からそんな香りを想像していた。
「えっと……」
水瀬は何かを言おうとして、辺りをきょろきょろとしていた。
この電車は通学電車でもある。どこかに、俺達のクラスメイトがいるかもしれない。それを確認するような視線を周囲に向けていた。
それから、水瀬は俺の方に少し顔を近づけると、内緒話のようなトーンで言葉を続けた。
「体、こっちに預けてもいいよ?」
「ふぇ?!」
「うわ、びっくりした。急に変な声出さないでくれるかな。私が変なことしたみたいに見られちゃうから」
水瀬はこちらから体を離すと、少し不満げに片頬を膨らませながらそんなことを口にした。
学校で一番可愛い女の子が耳元でそんな事を言って来たのだ。驚くなという方が無理だろう。思春期を抑えるという方が無理だろう。
水瀬が変な意味合いで言った訳ではないことは分かっている。それでも、先程の誰にも聞かれたくないような声のトーンとその無意識のパワーワードが俺の脳を揺らしていた。
そして、そんな俺の機微に水瀬が気づかないわけがない。こちらの体温が上昇したのに気づいたのだろう。
水瀬はからかうように口元を緩めた。悪巧みを思いついたような笑みを向けられて、俺の体が緊張したように硬くなった気がした。
水瀬は先程同じように俺の方に顔を近づけると、誰にも聞かせないような声で言葉を続けた。
「三月君は何を想像したのかなぁ? あ、そっか。三月君は私のことをえっちな目で見てるんだもんね。電車の中でこんな近くにいたら、えっちなことを想像しちゃうよね?」
俺の弱点が耳であることを知っているからだろう。あえて耳の近くで声を潜めてそんな事を言ってきた。水瀬の甘い香りと夏場の汗が混じり合った香り。それがぐっと近づいたと思ったら、そんな俺の意識を掻き立てるようなワードの数々。
血流が体を勢い良く回り、脈拍を速くする。水瀬の言葉を受けて、さらに俺の体温は上昇していった。
「ふふっ、三月君のえっち」
水瀬はそう言うと、妖艶な笑みを浮かべて俺から距離を取った。遠のく水瀬の香りと水瀬の声。この空間までも水瀬に支配されているような気がしてしまい、手玉に取られたような感覚に陥る。
しかし、次の瞬間に電車がガタっと大きく揺れた。その衝撃に耐えかねて、俺は手を滑らせてしまい、体を水瀬に押し付けそうになった。
まずい、非常にまずい。
そこで俺は、下半身に膨れ上がった思春期の存在に気がついた。このまま水瀬に体を預けたら、俺の思春期がスーパーサイ〇人になっていることがバレてしまう。戦闘状態に入っていることがバレてしまうのだ。
そう思った俺は、急遽体をくの字に変形した。そうすることで、なんとか下半身を水瀬に押し当てることなく、ただ顔が近づいただけの状態に変更することができた。
もちろん、顔を必要以上に近づけるわけにはいかないと思い、俺は顔の位置をずらして水瀬のうなじの近くの首付近へ移動。これで、何も問題ない位置取りを突ことができた。
「すうぅぅ」
「~~っ!」
そう、思春期が暴走しなければ。
一瞬のことだった。俺の思春期はあろうことか、匂いを嗅ぎたいと申したのだ。いくらでもバレない方法はあるだろうに、思春期は肺いっぱいに吸い込みたいと申した。
音出して嗅ぐのはダメだってば。
俺はなんとか誤魔化そうと思ったが、先程の水瀬の言動によって頭がくらくらとしていた。だめだ、こんな頭では考えがまとまらない。
それでも、黙り込むのはマズいと思って、俺は脳に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「いや、違うんだ。えっちな匂いがした気がして。いやいや、もっと違うな。今のなしで」
「え、えっちな……~~~~っ!」
水瀬は俺の言葉を聞いて、耳を真っ赤にさせていた。多分、正面から見たら顔を真っ赤にしているのだろう。触れたら熱そうな耳をしている。さすがに、触れるわけにはいかないよな。
「その更にごめんなんだけど、この状態で動けないから、しばらく我慢して」
「~~~~っ!!」
それから電車は途中で止まったりしながら、目的の学校の最寄り駅へと到着したのだった。
駅のホームに降りて、俺は恐る恐る水瀬の顔を確認した。
長時間、人前で異性に匂いを嗅がれるという羞恥プレイ。そんなハードなプレイを終えた水瀬の目は潤んでおり、こちらに睨むような熱の籠った視線を向けていた。長時間辱めを受け続けたような、というか実際に受け続けた少女がそこにいた。
羞恥の感情だけで赤くなったような顔色に、夏の暑さ以外で染み出たような汗。そんな姿を見せられて、思春期が今にも暴れだそうとしていた。
「えっと……なんかすんません」
「……み、三月君が、満員電車の中で、私をドアの所に追い詰めて、『えっちな匂いがする』とか言いながら、長時間、本当に長時間! 匂いを嗅いで私を辱めたって、み、みんなにーー」
「今回は事実ばかりなんだけどそれを言われてしまうと俺が水瀬さんに特殊な痴漢プレイをしたみたいに思われてしまうので誰にも言わないでくださいお願いします何卒!」
俺はクラスメイトから『匂いフェチ超特急』というあだ名で呼ばれないように、水瀬に頭を下げたのだった。
今回は俺が悪いのだろうか? いや、俺がサイ〇人の末えいだという疑いを持たれないように俺は頑張ったはずだ。問題は貴様だ、思春期! もっと慎みを持て!
俺は水瀬の汗が混じったような香りを忘れないようにしながら、水瀬に深く深く頭を下げたのだった。
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