第47話 お昼の買い出し、彼女さん

「なんか、今日はもう疲れてきたな」


「み、三月君が悪いんだもん。私悪くないもん」


 俺達は水瀬の家で時間を過ごした後、お昼ご飯の材料を買いに近くのスーパーに来ていた。お昼ご飯にしては、少し遅くなったかもしれない。


 先程まで色んなやり取りをしていたせいもあり、俺も水瀬も精神的疲労が溜まっていた。


「今日は軽く作れるのを教えることにしよう」


「軽く作れる? 何作るの?」


「肉汁うどんだ。簡単だし、疲れたときにすぐできるお手軽料理だな」


 水瀬にはほとんど作り置き向けの料理しか教えていない。面倒くさがりの水瀬にはそっちの方が向いているだろうと、作り置きメインで教えていたのだ。


 だが、今日みたいに作り置きをする分まで作るのが面倒な時もある。


 これから夏本番を迎えるにあたって、手軽で栄養のある料理を食べたいときも来るはずだ。


 何よりも、今日は疲れたから軽い料理を教えて帰ってしまいたい。


「長ネギとナスと、豚肉。それに麺つゆと少しの醤油で味を調えて、温かい汁を作る。あと冷たくしたうどんを用意すれば完成だ。な? それなら簡単だろ?」


「うん、それくらいなら私でも簡単にできるね。ナスはこれでいいかな?」


 水瀬はそう言うと、何気なしに近くにあったナスを一つ手に取った。バラ売りされているそれは、中々良い形をしており黒光りしている。水瀬の長くて綺麗な指は、それを包み込むように握っておりーー。


 いやいや、その思考はアウトだろ思春期!


 俺は先程水瀬の指使いがえっちだとか言ってしまったせいか、ただナスを持つ水瀬の指を見て別の何かを想像しようとしてしまっていた。


 発情期真っ盛りの中学生男子じゃあるまいし、そういう想像に発展されるのはダメだろ! 


 俺は思春期が中学生の頃にタイムリープしようとしていたので、慌てて羽交い締めして思春期の暴走を止めようとした。


 そんな俺の脳内での格闘の様子をどう思ったのか、水瀬はしばらく首を傾げていたが、何かに気がついたように口元を緩めた。


「もしかして、三月君。私が他の人にえっちな目で見られていないか気にしてるのかな?」


「な、ちがっ!」


 水瀬はリブニットの上からパーカーを着ている。そのおかげもあって、周りからの視線を必要以上に集めていることはない。


 それでも、ファスナーが上がりきっていない胸元はやはりえっちなのではないだろうかとか、そんな心配は一切していない。


「あ、顔赤くした。ふふっ、三月君可愛いっ」


「か、可愛くなんかあるものか」


 ちくしょう、思春期の暴走のせいで変な所に気づかれてしまった。


 俺が慌てる様子を見て、水瀬はいつもの調子を取り戻しつつあった。どこか余裕のある笑みは、俺をからかうときに見せるそれだ。


 俺は水瀬にそれ以上追及されないように、カートを押して別の売り場に移動することにした。その最中も水瀬はどこか余裕のある表情をしていた。


 肉汁うどんを作るのに必要な食材をカートに入れた後、俺達はスナック菓子の売り場に着ていた。何かお菓子も買っていこうと言い出した水瀬は、スナック菓子に吟味するような視線を向けていた。


「三月君、三月君。どうしたのかな?」


「え、ああ。悪い悪い」


 俺が周囲をきょろきょろと見ていたのを不思議に思ったのが、水瀬はスナック菓子から外した視線をこちらに向けた。きょとんと首を傾けた様子は、俺の考えていることなど全く頭にないようだった。


 俺はこのスーパーに来てから、ずっと背後を気にしていた。 


 そう、このスーパーには出るのだ。あのおばさま達が。


 少し油断をしようものなら、囲まれている。だから、俺は警戒を怠らないように、いつにも増して周囲を見渡していた。


 俺の様子があからさまに可笑しかったのだろう。水瀬は思い当たる節がないか考えようとして、すぐに何かに思い当たったようだった。


 そして、水瀬はくすりと笑みを浮かべて、こちらにからかうような視線を向けてきた。


「三月君、そんなに他の人に見られたくないんだ」


「なっ、別にそんなこと言ってないだろ!」


「何を見られたくないのか、どう見られたくないのか、まだ何も言ってないんだけどなぁ。……三月君は、何だと思ったんだろうね」


「ぐっ」


 分かりきっているくせに、あえて手玉に取って弄ぶように焦らすような水瀬の口調。


 そんな余裕のある表情で、水瀬は悪だくみでもするかのように口元を緩めた。


「ふふっ、三月君のえっち」


 そんな水瀬の言動に心臓がうるさくなるのが分かった。体温が一気に熱くなるのを感じる。


 そんな一瞬の隙見て、暴走していた思春期は俺の制止を振り切って、どこかに走り去ってしまった。


 まずい、そんな悠長なこと言ってる場合ではないだろ。こんな所をおばさま達に見られたら……。


 そう思った時には、すでに遅かった。


 スナック菓子コーナーの先にゆっくりと現れたカート。そのカートを引く人物には見覚えがあった。


 いつものおばさま一号である。そして、振り向いた先にはおばさま二号と三号。それぞれがこちらに生暖かい目を向けて、俺達の会話に耳を立てていた。


 くそっ、もう回り込まれていたか。


『あらあら、何を見られたくないのか、ですって。ふふっ、あんな純情そうな顔をしているのに、一体家では何を見せつけているのかしらね』


『きっと、普段すんごいのを見せてつけているのよ! 家に帰ったら『ねぇ、これが見たかったんでしょ?』って玄関先で言うんだわ! きゃーっ!』


『若いっていいわ~。若いって……いいわ~っ!』


 俺の周囲で聞こえるおばさま達のガヤ。それによって、余裕のある笑みを浮かべていた水瀬の顔から余裕が奪われた。


 おばさま達の言葉をかみ砕き、徐々におばさま達が思い描いている妄想の世界へと歩みを進めていく。


 そして、そのおばさま達の妄想の世界の扉を開けてしまったのだろう。最後のピースが頭にハマった瞬間、水瀬は小さくポンと音を立てたように見えた。


「み、見せつける? 私、が、玄関先で……~~~~っ、あぅ」


 水瀬は自らの想像で、熱でもありそうなほど顔を赤くした。耳まで達したその熱は、水瀬の瞳を潤わせて、体を小さくぷるぷると振るわせていた。


 羞恥の感情に呑まれてしまった水瀬は、先程までの部屋でのやり取りなども一気に思い出したのか、しばらくその妄想の世界から帰ってこなかった。呆けながら、時間経過と共にその顔を熱くさせている。


「帰ってこい、水瀬さん! それは幻想だ!」


 俺はこれ以上ここにいると、水瀬が現実世界に帰ってこれなくなりそうだったので、水瀬の腕を取ってこの場を離脱することにした。


『あら、我慢できなかったのね。どちらが我慢できなくなったのかしら。玄関先まで我慢は、できなそうね、どこでしちゃうのかしらね?』


『誰もいないところで見せつける気よ! 『ねぇ、こんなになっちゃったんだけど、どうしてくれるの?』とか言うつもりなのよ、あんなに清楚そうな顔してるのに! きゃーっ!』


『若いっていいわ~。若いって……いいわ~っ!』


 なんとかおばさま達の声を振り切って、俺達はその場を後にすることができた。それでも、水瀬が簡単におばさま達の作り上げた妄想から帰ってくることはなく、


「……うぅ。三月君が、三月君が、私に見せつけることを強要し続けたせいで、未来の私はすごいえっちな子にさせられちゃうんだぁ。特殊な性癖を押し付けて、私がどんどんえっちになっていく様子を見て、辱めて楽しむんだぁ」


「将来を考えた上での長期的なセクハラはしないししたとしても水瀬さんがえっちなのは元からな気がするけど誤解しか生まないから絶対に誰にも言わないでくださいねお願いします何卒!」


 ちくしょう、気を抜くといつもおばさま達のテリトリーの中だ!


 ていうか、今日は全体的に思春期が暴走し過ぎだろ! あ、思春期、ここにいやがったか!


 え? 思春期、お前なんか若返ってないか? なに? 中学時代の思春期と入れ替わってきただって? ……え。


 俺はこれからもっと暴れだしそうな思春期を前に言葉を失いながら、水瀬の手を引いてスナック菓子コーナーを後にしたのだった。


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