第43話 息抜きしましょう、彼女さん

「テスト終わったー」


「ふふっ、三月君お疲れ様」


「お疲れ、水瀬さん。……なんか余裕そうに見えるね」


「余裕ではなかったけど、勉強したところはできたかな」


 水瀬はそう言うと、くすりと小さく笑った。


 テスト終わりの放課後。今日でテスト最終日ということもあり、やや教室は浮かれ気分だった。


 赤点が確定したものや、思ったようにテストの問題を解けなかったものたちがいる中で、水瀬は疲れ果ているような素振りすら見せなかった。


 もしかしたら、今回の学年トップは水瀬なのではないだろうか。そんな余裕すら窺える。


「茜、三月―」


「おう、七瀬さん。テストの調子はどうだった?」


「普通よりも少し良いくらいかな。テスト終わったし、息抜きにどっかいこーよ」


 少しだらけた姿勢で水瀬と話していると、そこに七瀬が加わってきた。空いている席に座らずにいるということは、すぐにでもどこか遊びに行きたいのかもしれない。


「賛成だな。なんか、色々溜まってるし、すっきりしたいわ。勉強の疲れか、ストレスとか。水瀬さんは、今日予定大丈夫?」


 ちらりと水瀬の方に視線を向けると、水瀬は微かに顔を赤くしてこちらから視線を逸らした。


「た、溜まってる、す、すっきり……」


 そして、何か小声でブツブツと言っている。


 何か勘違いとかのレベルを大きく超えている気がするのは、気のせいではないのだろう。


「ちょっと、三月!」


「な、なんだ七瀬さん」


 そして、そんな水瀬の様子が可笑しいことに、幼馴染である七瀬が気づかないわけがない。俺の方にぐいっと距離を詰めると、小声で言葉を続けた。


 いや、急にそんなに近寄られると、柑橘系の香りがしてドキドキするので、前もって申告して欲しい。


「誤解、解いたんだよね?」


「……たぶん、深まった」


「はぁ?! どうしたそうなるの?!」


 そうなのだ。以前、可愛い格好をさせた七瀬と俺が一緒にいるところに遭遇した水瀬は、俺達が何か如何わしいことをしていると勘違いしているみたいだった。


 というより、俺が一方的に七瀬にえっちなことをさせていると思っている。


 だからだろう。さっきのエロくもない日常会話にも敏感に反応していた。もうその感度は男子中学生のそれだ。


 どうしてこうなったのかなんて、俺だって分からない。


「あ、茜? 大丈夫?」


「だ、ダイジョウブ!」


「だいじょばないだろ、それ」


 俺達はそんな水瀬を連れて、息抜きがてらカラオケに行くことになったのだった。


 とりあえず、大きな声で歌いでもすれば、水瀬の調子も戻るだろうと思ったんだけどな。




「三月、今日の茜可笑しくない?」


「ああ、水瀬さんカラオケ得意なはずなのにな」

 

 以前は、もしかしたらプロにでもなれるんじゃないかと言うほど上手かった水瀬なのだが、今日はずっと声が上ずっている。


 いつまで先程の会話を引っ張っているのか、もしくは新しい何かを見つけてまた自爆しているのか。


 水瀬は終始顔を赤らめながら、恥じらうような色の瞳をしていた。


 その恥じらいの中に色っぽさが混ざったような瞳の色をしており、いつにも増して、その、えっちな気がした。


 というか、絶対エロい事を考えている。


 学校で一番可愛い女の子が、目の前で顔を赤くしながらずっとエロい妄想をしている。


 そんな状況に置かれて、何も思わないほど俺は枯れていない。


 目配せ一つで、心臓が飛び出そうになるし、ずっと鼓動がうるさい。このままでは、俺がどうにかなってしまいそうである。


「三月、何か変なこと言ったの?」


「……言ってない」


「今の間はなに? 何か思い当たる節があるんでしょ?」


「ないことはないかもしれん」


「はぁ。ちょっと私席外すから、そのうちに何とかしといてよ。……茜がこんな感じなら、ポニキュア歌ってもバレないかな?」


「やめとけ、一般人にそれはハード過ぎる」


 七瀬はそう言い残すと、カラオケの個室から空いたグラスを持って出て行ってしまった。七瀬が出ていく様子を追っていた水瀬の視線は、そのままこちらに向けられた。


 そして、ぱちりと目が合うと、恥じらうように逸らされてしまった。


 さて、どうしたものか。


 さすがに、ここでド直球で指摘するのは違うと思う。水瀬も高校生という多感な時期なのだ。デリカシーの欠片もないような言葉は選ぶべきではない。極力、遠回しな言葉を選んで相手に気づかせることが重要だ。


 そんな紳士的な言葉をかけることが、男女間では重要なのである。


「水瀬さん、今日ずっとエロいこと考えてるでしょ?」


「ぶふっ、けほっ、けほっ! か、考えてないよ!」


 水瀬がストローで飲み物を啜った瞬間を狙ったような一言。水瀬は、器官に飲み物を入れてしまったのか、咳き込んでしまった。


 立ち上がってまで否定してはいるが、その慌てようから俺の考えは確信に変わった。


 水瀬はずっとエロいことを考えいたのだ。


 咳き込んだせいで涙目になった目元。終始恥ずかしがっていたような水瀬の顔と相まって、正直エロいと感じてしまった。


 思春期、自嘲しなさい。


 水瀬は口元を拭うと、こちらにジトっとした視線をしばらく向けると、少し不貞腐れたように片頬を膨らませた。


「私はえっちじゃないもん。三月君がえっちなんだもん」


「俺のどこにエロさを感じたんだ?」


「ちがっ、そう言う意味じゃない!」


 水瀬は慌てたように俺の言葉を否定しているが、顔の赤さは増したように見えた。そんなに慌てられると、こっちが困ってしまう。


 そんな俺の視線から逃れるように目を逸らすと、水瀬は再びこちらに視線を向けてきた。


 言葉を選ぶように、恥じらうような表情で言葉を続ける。


「三月君は、あの日の後に、愛実に何かさせたりとか、したの?」


「あの日?」


「つ、愛実に可愛い服装をさせて楽しんでた日」


「いや、あの後は学校でしかあってないし」


「……た、楽しんではいたんだ」


 非難を浴びせるような口調ではなく、ただ事実を恥ずかしそうに言うような水瀬の口調。


 そんな顔でそんな口調で言われたら、楽しむの意味が変わってくるだろ。そう口にしようとしたとこで、俺はふと数日前の水瀬の言葉を思い出していた。


『え、えっちなことはだめだよ?! でも、愛実にそういうことさせてるなら……す、少しくらいなら、私に振ってくれれば愛実の負担も減ると思うし。でも、三月君がどうしても愛実がいいって言うなら、どうしようもないんだけど』


 やっぱり、俺が七瀬に変なことをしてるって勘違いしているんだうな。この誤解は早めに解いておかねばならないだろう。


 そこまで考えたところで、少しだけ気になったことがあった。


 以前の水瀬の言葉の中で、どうしても引っかかる部分があったのだ。


「少しくらいえっちなことって、なんだ?」


「え?」


「ん? あれ? ……まずいな」


 完全に気になっていたことが、言葉になって出てしまった。


 ずっと気になっていたこと。えっちなことはだめだが、少しくらいならいいと言っていた。それが意味することはなんなのか。


 それを考えるなという方が無理なのだ。だって、俺思春期だもの。


 ただ、それを口にしてしまったことと、そのタイミングと、視線が悪かったのだろう。


 一体、どんなことをしてくれるのかと問うような言葉。カラオケの個室で二人きりというタイミング。


 そして、独り言を言うために、やや下に運ばれた視線はちょうど立っている水瀬のスカートの裾に向けられていた。


 まるで、スカートをたくし上げること要求しているように思われても可笑しくない。


 いや、可笑しいよ、可笑しいけど、受け取り手は水瀬なのだ。そう捉えてしまっても仕方がないのだ。


 恐る恐る視線を上げた先、水瀬は羞恥の感情に呑みこまれたように顔を真っ赤にしていた。


「~~~~っ!」


 耳の先まで熱を持ったような赤さがあり、目元には涙のような物さえ見える。緊張したように体を固くしながら、水瀬は目をぐるぐるとさせていた。


「み、水瀬、さん?」


 それでも、意を決したかのように水瀬はスカートの裾をぎゅっと掴んだ。そして、微かにゆっくりとスカートの裾を数センチほど上げた。


 下着が見えるほどたくし上げた訳ではない。それこそ、私服のショートパンツから見える生足と露出度は変わらない。


 それなのに、カラオケの個室で、学校で一番可愛い女の子が制服のスカートをたくし上げようとしている。そんなシチュエーションに露出度なんか関係なかったのだ。


 露になった白く引き締まった太腿。細すぎず程よく筋肉のあるそれは、そのまま引き締まったふくらはぎに流れるラインを綺麗に描いていた。スカートを持つ手は小さく震えており、スカートの裾がそれに合わせたように揺れている。


 涙の溜まったような逸らされた瞳。羞恥に満ちたように赤く染まった顔。恥じらうにきゅっと閉じられた小さな唇。


 止めなければならないし、誤解を解かねばならないのに、俺はそんな水瀬の姿に魅入ってしまっていた。

 

 しばらくそんな水瀬の姿を堪能した後、俺はふと我に返ることができた。


「み、水瀬さん。勘違いしてると思う。そういうの、要求してないって」


「……え?」


「いや、誤解を招くような言葉を使ったのは悪いんだけど、いや、悪いのかな? そもそも、七瀬さんとかにも、そんなことさせてないし」


「え、え? でも、それじゃあ、なんで、私、こんなことしてるの?」


「……水瀬さんがえっちだから?」


「~~~~っ!」


 色々と勘違いだったことに気がついたのだろう。水瀬はやかんでも沸かせるんじゃないかと言うほど顔を赤くして、たくし上げたスカートを強く押さえつけた。


 こちらを見る目の色も、一瞬で強くこちらを睨むものに変わっていた。


 なんか涙目でスカートを押さながら睨まれると、それはそれでエロイものがあったりするわけで。


「えっと……なんかすみません」


「……ぐすっ、み、三月君が、私にスカートたくし上げさせて、視姦したあげく、私が勝手にしたとか言って、私をえっちな子扱いして辱めてくるって、みんなに、みんなにーー」


「誤解に誤解を重ねてこんなふうになってしまったけど故意的にたくし上げさせようとしたわけではないとはいえ長時間見てしまったことは謝るので誰かに言うことだけはやめてくださいお願いします何卒!」


 俺はクラスメイトから、『視姦の二つ名を持つ男』と呼ばれないように、水瀬に頭を下げたのだった。


 今回は俺が悪いのか? 勘違いをしていたと言えど、水瀬も悪い気がするのだが。


 いや、一番はスカートをたくし上げようとした水瀬を止めなかった思春期が悪いか。そういうところだぞ、思春期。


「三月、えっと、何してんの?」


 ドリンクをもって戻ってきた七瀬は、スカートを強く押さえて顔を真っ赤にしている水瀬を見て、表情を失くしていた。


 そりゃあ、幼馴染が目に涙を浮かべてスカートを押さえてたら、誤解しか生まないよな。


「……ちゃうねん」


 俺は水瀬のスカートをたくし上げる映像を脳内保存した後、度重なった誤解を解くために頭を下げたのだった。


 それからしばらくの間、俺の瞼の裏には水瀬がスカートをたくし上げる姿が消えることなく残っていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る