第42話 修羅場ですよ、彼女さん

「確認なんだけど、二人は付き合ってるとかじゃないんだよね?」


「はい」


「……それなのに、三月君が愛実に可愛い格好をしてくれって願いしたってこと?」


「は、はい」


「つまり、三月君は付き合ってない女の子に可愛い服を着てくれってお願いして、一人暮らしの家に連れ込んで、その女の子を観賞しようとしたってこと?」


「ひゃい」


 俺と七瀬が二人でコンビニにいるところに偶然遭遇した水瀬は、俺の家のリビングに入るなり数点確認をするようにそんな質問をしてきた。


 ローテーブルを挟むように、水瀬と俺は向かい合っていた。そして、七瀬は俺の隣で気まずそうにしていた。


 七瀬は可愛い服が好きだが、それを人前で着たりはしない。自分のイメージに合わないという理由で、可愛いものが好きという趣味も隠しているのだ。


 それをこんな形でばらすわけにはいかず、俺の趣味で七瀬に可愛らしい服を着せたということにしておいた。


「ふーん、三月君ってこういう服が好きなんだ。確かに、愛実はこっちの方が可愛いかも」


「だろ? 普段クールだから、こういう服を着るとギャップがあって、可愛くなるんだよ」


「三月君、急に早口になってない?」


「……なってないよ」


 そして、俺達にまじまじと見られている七瀬の顔は、いつになく真っ赤になっていた。


 そんな様子をさらに眺めていると、七瀬の顔はさらに赤さを増して、水瀬がこちらをジトっと眺める目が強くなった。


 そろそろ視線を外すか。


「色々と思う所はあるんだけどね……えっとね、私は怒ってます」


 水瀬はそう言うと、ぷんすかと音でも出そうな表情で頬を膨らませた。何に対してなのか、色々と思う所が多くて特定できない。


「なんで、私も誘ってくれなかったのかな? 勉強会なんでしょ?」


 水瀬はそう言うと、こちらにジトした目を向けてきた。どうやら、この格好の七瀬についてではなく、自分がこの勉強会に呼ばれなかったことに対してお怒りみたいだった。


 少し言いよどんだ言葉が気にはなったが、今は聞かれたことに対応することにしよう。


「それも考えたんだけど、それだと水瀬さんへの質問会みたいになって、水瀬さんに迷惑かかるかなって」


「迷惑なんかじゃないよ。むしろ、誘ってくれない方が悲しいな!」


 水瀬は体をずいっと前に出しながら、不満そうに眉を潜めた。おそらく、のけ者にされたようなことが納得いかないのだろう。


 確かに、声だけでもかけておくべきだったかもしれない。


 水瀬が後から俺達の勉強会のことを聞いたら、拗ねることは簡単に想像できたはずだ。


 配慮不足というよりは、俺達が変に遠慮してしまったのが悪かったのだろう。


「別に、愛実と二人きりで勉強したかったとか、そういう気持ちがあったなら別だけど、そうじゃないなら、誘って欲しかったよ」


「いや、故意的に二人っきりになろうとか、そんなことはしてないって」


「本当かな?」


 怒り冷めないといった様子でこちらをジトっと見る水瀬。なぜそこを疑うのか分からないが、その件に関しては嘘は一つも言っていない。


「えっと。ごめんね、茜」


「……」


「茜?」


 水瀬は七瀬の方を見ると、少しだけ考えるように黙り込んだ。七瀬を上から下まで眺めるような視線を向けている。


 俺と七瀬の謝罪で少し機嫌を持ち直したのか、水瀬の顔にはいつもの雰囲気が戻っているように見えた。そして、水瀬は微かにからかうように口元を緩めた。


「悪いと思ってくれてるなら、一つだけお願い聞いてもらってもいいかな?」


「私にできることなら、うん。聞くよ」


 七瀬はこの水瀬の表情をあまり見たことがないのだろう。真剣な声色に似せた水瀬の声に、幼馴染の七瀬は真剣な声色で返してしまったようだった。


 良からぬことを考えるときの水瀬の表情。俺が何度も見たことのある表情だった。


「三月君、一枚だけ私と愛実でツーショット撮って欲しい!」


「え?」


「そういうことなら、協力しよう。ほら、さっさと立つんだ七瀬さん」


 俺は調子を取り戻した水瀬の声に乗るように、そのふざけた提案にに乗った。おそらく、水瀬さんは少しだけ重くなったような空気を払拭するように、あえてふざけたようなことを口にしたのだろう。


 多分、そうだよな?


「え、まってまって」


「ほら、愛実笑って笑って! えへへっ、可愛いなぁ! 似合ってるよ、愛実!」


「ほら、こっち向いてくれ! 撮るぞ!」


 七瀬はよく分らないままポーズをさせられ、笑顔を作らされ、水瀬とツーショットを撮らされていた。


 所要時間は7秒。七瀬が状況を把握する前に、全てを完了していた。


「うん。可愛く撮れたね! 後でチャットに送っておいてね!」


「うぅ、送らないでよ、三月?」


「許してもらうためには仕方がない。許せ七瀬さん」


「おー、きたきた! ……待ち受けにしようかな」


「それだけはやめてぇ!!」


 今回水瀬を呼ばなかった件はこれで終わり。そういうふうに分かりやすい終わり方をつけてくれたのだろう。


 それから結局俺達は、三人で勉強会をした。


 ただ、いつもよりも水瀬の表情が晴れていないように見えたのは、勘違いなどではないのだろう。


 俺はその横顔がずっと気になり、勉強に身が入らないでいた。




「水瀬さん。少しだけ、この後時間いいかな?」


 二人が帰る時間になった頃、俺は玄関を出ようとした水瀬に声を掛けた。当然、七瀬も一緒に振り向いてこちらを見ている。


「ちょっと誤解を解いとくから」


 七瀬にそのように告げると、七瀬は空気を感じ取ったのか一足先に玄関を出た。


 水瀬はいつも通りの顔をしている。まるで、昼間の一件など忘れてしまったかのようだった。


「えっと、何かな?」


 水瀬は何事もなかったかのように、きょとんとした顔をこちらに向けていた。多分、俺がここで水瀬を呼び止めなかったら、水瀬も今日のことを蒸し返そうとはしないだろう。


 だから、今日のうちに聞いておきたいと思った。


「色々と思う所っての、まだ聞いてない」


「え?」


「ほら、昼間に言ってただろ? 色々って言ったのに、一つしか聞けてない」


「……はは、よく覚えてたね」


 水瀬は痛い所を突かれたといったように、気まずそうに視線をこちらから逸らした。から笑いは静かな玄関に響き、ただただ時間が経過していった。


 やがて、水瀬は両手の指をくっ付けたり、離したりしてもじもじとし始めた。その頬は微かに赤みを帯びていた。


「えっとね、言おうとしたんだけど、なんかこれ言っちゃうと、私がヤキモチ焼いてるみたいだなーって、思って言わなかったんですよ」


「それでも、やっぱり水瀬さんにはできるだけ素でいて欲しいと思ってる。前のグループにいたときみたいに、気を遣わないで欲しいな。変な勘違いとかしないから、聞かせて欲しいんだけど」


「それ言われると弱っちゃうな。えっと、ヤキモチとか嫉妬とかじゃないから、勘違いしないでね」


「ああ。約束する」


 水瀬が一体、何を感じたのか純粋に聞きたかった。その水瀬の考えを聞いて、変な勘違いなんてするわけがない。


 水瀬は言いにくそうに口元をきゅっと閉じた。赤さを増していく頬の熱はさらに熱くなり、徐々にその瞳を湿らせていく。


 やがて、意を決したように顔を上げた水瀬は、恥じらうようにしながら言葉を続けた。


「……なんで私には可愛い服着てとか頼まなかったのかな? 私だって、三月君が言ってくれたら着るよ? 可愛い服を着せて何をしたのかは聞かないけど、わ、私だって言ってくれればできると思うし、なんで私じゃなかったのかなって思ったり」


「へ?」


「え、えっちなことはだめだよ?! でも、愛実にそういうことさせてるなら……す、少しくらいなら、私に振ってくれれば愛実の負担も減ると思うし。でも、三月君がどうしても愛実がいいって言うなら、どうしようもないんだけど」


「え、えっちなこと?」


「な、何が言いたいかって言うと! 私が初めに仲良くしてた三月君が、どこかに行っちゃいそうで、離れていっちゃいそうで、水瀬さんは結構もやっとしたのでした!」


 水瀬が言葉を言い切った頃には、その顔は真っ赤になっていた。羞恥の感情と緊張する気持ちに呑まれて、言葉がずっと上擦っており、瞳は一段と潤いを帯びていた。


 そして、そんな水瀬の心の声を聞かされて、俺は素直にこう思ったのだった。


「や、ヤキモチとか嫉妬だ」


「~~! ち、違うから!」


 見事なまでのフリに、俺はその言葉を言わざるを得ないでいた。


 え、俺って、学校一可愛い女の子にヤキモチとか嫉妬されてんのか?


 そんな感情を向けられていたこと知り、急に体温が上昇したのが分かった。目の前にいる女の子がそんな感情を俺に向けている。その事実を知ったことで、急に目の前の水瀬が可愛く見えてきた。


 いや、ずっと可愛かったんだけどな。

 

 ビッド数が変わったというか、ピントが水瀬に合わされたというか、淡い景色の中に入り込んだような錯覚に陥っていた。


 跳ね上がる心音は騒がしく、脈拍が異常なくらい速い。顔が熱くなっていき、言葉が何も出てこなくなる。


「三月君? もしかして、照れてるの?」


「て、照れてなんかいませんけども!」


 当然、隠し通せる訳もなく、水瀬はからかうような笑みをこちらに向けてきた。そして、何を思ったのか、俺の方に一歩分歩み寄り、俺の片足を軽く踏んだ。


「み、水瀬さん? ……足踏んでるんだけど」


「知ってる。これは、その、意思表明というか、口だけじゃないんだぞっていうことと、もやってした気持ちをぶつけてやりたいっていうのと、あとは、ま、マーキング? みたいな」


 水瀬はそう言うと、俺の足に軽く乗せた自分の足を、少しだけ左右にこすり付けた。


 明らかに無理をしているのだろう。羞恥心を無理やり抑えこむような表情をしている。そんな表情でこんなことをされると、凄いえっちなことをしてもらっているんじゃない勘違いしてしまいそうになる。


 伝ってくる水瀬の体温。微かな湿り気と、程よい柔らかさの指の動きに。それらを感じたとき、体が硬くなるのを感じだ。


 キスをするわけでもなく、手をつなぐわけでもない。恋人もない水瀬はそんな表現方法をするわけもなく、言葉に表現できない気持ちを足で伝えようとしていた。


 俺が脚フェチっていうのは知ってるはずだよな?


 思春期がいつになく騒ぎ立ててくるせいで、俺は少しだけ前かがみになる。

 

 しかし、すぐそこには水瀬がいるので、あからさまに前かがみにはなれない。そんなことをしたら、水瀬にぶつかってしまう。


 そんな状況ということもあり、俺はそんな思春期全開の状態を隠すこともできないでいた。頼むから気づかないでくれと切に願った。


 そして、水瀬の言葉を思い出し、俺はぽろっと言葉を漏らしていた。


「……マーキング。匂いか」


「え? ち、ちがっ、そういう意味じゃないよ! ていうか、そんなに私の足臭くないよ!」


「いや、分かってるって。香りと足の感触をこすりつけてやるって意味だよな。水瀬の足の」


「~~~~っ!」


 俺の言葉を聞いて、水瀬はポンと音がするように顔を赤らめた。羞恥に見た濡れた瞳で、いつもよりも弱々しくこちらを睨んでいる。


 こちらの想定以上に恥じらう水瀬の様子を見て、俺は何かすれ違いがあるような気がしてきた。


 あれ? これってそんな深い意味なかったのか?


 私もえっちなことできるよって意味なんじゃ……あれ、なんか違うっぽいぞ。水瀬もふるふると小さく震えてるし。


「えっと……なんかすんません」


「み、三月君が、私の残り香と足の感触を思い出して、一人で如何わしいことする想像を私に押し付けて、私を辱めてくるって、み、みんなにーー」


「それだと俺脚フェチと匂いフェチのハイブリッド感がすごい変態みたいな感じがするしそれに加えて一人でする想像を押し付けるっていう最強の変態感出ちゃうので誰にも言わないでくださいお願いします何卒!」


 俺はクラスメイトから『次世代の変態』というあだ名で呼ばれないよう、水瀬に頭を下げたのだった。

 

 今回は俺が悪いのだろうか? いや、あんな事を言われて、あんなことされたら勘違いもするだろ。水瀬だって悪いはずだ。それとずっと騒いでる思春期も悪い。


 もしくは、勘違いじゃなくて、それを言葉にしたから水瀬は恥ずかしくなったのか?


 俺はそんな出口のない迷路に迷いながら、水瀬に深く深く頭を下げたのだった。


 水瀬の足の感覚は、その後しばらく俺の足に残って取れることはなかった。匂いに関してはノーコメントだ。


 

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