第24話 電話ですよ、彼女さん

 それはとある週末の晩のことだった。


 俺は寝るにはまだ少し早かったので、最近買ったラノベを読んで時間を潰していた。そんなとき、一件の着信があった。


 スマホの液晶に表示されているのは『水瀬茜』の文字。水瀬からの着信だった。


 水瀬と出会ってから、水瀬から着信が来ることも少なくない。それは家事の報告であったり、ちょっとした愚痴だったり、他愛もない雑談だったり。


 そろそろ慣れてもいい頃なのに、水瀬からの着信があると鼓動が早くなるのを感じる。


 夜に学校で一番可愛い女の子から電話が来るのだ。何も思うなという方が無理だろう。


 なんか電話だと声が近いせいか、耳元で話しかけられているようで、何とも言い難い気持ちが全身を駆け巡るのだ。


 まぁ、そんなこと水瀬には絶対に言わないけどな


「もしもし?」


 俺は冷静を装いながら、通話の文字をタップした。


「み、三月君?」


「おう、三月君です。ん? どうした?」


 その声色はいつもと違い、何かに怯えているようだった。得体の知れない何かを怖がるように、その声が震えている。


「……怖いの」


「怖い? 何がだ?」


「……いつもはこんなことないんだけどね。どこかにいるんじゃないかと思うと、その、」


 狼狽える声色は何かを恐れているようだった。水瀬の言葉からも、今が穏やかな状況ではないことが分かる。


 何か水瀬以外の声も聞こえてくる。


「だから、その、少しでいいから……え?」


「水瀬さん?」


「な、なんで、そんなところに……キャーーー!!!」


「水瀬さん! 水瀬さーん!!!」


 そんな水瀬の悲鳴と共に、突然通話が切られてしまった。


 俺は一瞬で青ざめると、家を勢いよく飛び出していた。そのまま駅に向かい、電車に飛び乗って水瀬の家に向かった。


 一体、水瀬の身に何が起きているというんだ。


 水瀬の言葉を振り返って、俺は現状を把握しようと試みた。


 『怖い』『どこかにいる』『なんでそんなところに』


 これらのワードから連想できるものは、はやりストーカーあたりだろう。それに、『いつもはこんなことない』と言っていた。その言葉から、水瀬は常にストーカーから狙われており、脅えていたことが分かる。


 ただ、周りに心配させないために気丈に振る舞っていただけなのだ。


「なんで気づけなかったんだ、くそっ」


 俺はそんなやり場のない怒りを自身にぶつけながら、どこか既視感を覚えていた。


 なんか、前にも似たようなことがあったような気がする。


 俺はそれが何のか思い出せないまま、電車で揺られて水瀬の家に向かった。


 俺は駅から降りると、ダッシュで水瀬のマンションに向かった。少しでも早く、水瀬の元に駆けつける必要があったからだ。


 水瀬さんのマンションに着くなり、俺はエントランスにあったインターホンを押した。激しい息切れと共に、水瀬が応答してくれるのを待つこと数秒。


「はい」


「水瀬さん!」


「え、三月君? ど、どうしたの?」


 まるで俺が来ることを予想していなかったかのような反応。その声は普通に驚いていた。


 あれ? もしかして、俺は何か勘違いをしていたのか? いつもの水瀬のような声に、一瞬そんなことを考えてしまった。


 いや、今まさにストーカーと向かい合っているのかもしれない。そして、何でもないフリを演じさせられている可能性だってある。


 俺はそんな事態を想定し、緊張感を切らさずに言葉を続けた。


「頼む、開けてくれ。水瀬さん」


「うん、分かった」


 水瀬は不思議そうな口調だったが、エントランスの自動ドアを開けてくれた。


 あれ? 俺を入れちゃっていいのか? いや、あえて怪しまれないように俺を招き入れるつもりか。最悪、中で戦わなければならないかもしれない。


 俺はストーカーの考えに乗ってやることにして、エントランスからエレベーターに乗り込んで水瀬の部屋に向かった。


 俺は水瀬の部屋の前に立つと、息を整えてコンディションを整えた。そして、水瀬の部屋のインターホンを押した。すると、水瀬の声と共にその本人が扉を開けた。


 クリーム色の袖の大きいTシャツに、淡い紺色の七分丈のチノパン。そんな少しラフな格好で、水瀬は俺の前に現れた。


「えっと、こんばんは、三月君――」


「しーー」


 俺は口の前で人差し指を立てて、水瀬に静かにするようなに伝えた。次に俺は声を潜めて、水瀬に状況の確認をすることにした。


「ストーカーはどこにいるんだ?」


「ストーカー? ストーカーって、誰の?」


「……そういうことか。分かった」


 やはり、ストーカーは水瀬にストーカーがこの家にいないように演じるように指示を出したのだ。脅されているに決まっている。


 水瀬は本当に何も知らないかのように、きょとんとした顔をしていた。いや、そう演じているのだ。


「水瀬、入るぞ」


「え、ちょっ、ちょっと、三月君!」


 俺は水瀬の制止を振り切り、水瀬の家に入っていった。


 初めに入ったのはリビングだ。机の上にはお菓子が広げられており、同じく机の上に本が数冊置かれている。あとは、テレビの画面が一時停止されているくらいだった。


「散らかってはいるが、許容範囲内だな。ストーカーはいないか」


 そうなると、次は寝室だ。


 俺は寝室の扉を勢いよく開け、辺りを見渡してみた。布団がぐちゃっとなったベッドに、ハンガーラック。あとは洗濯物が干されているくらいで、特に異変はない。ストーカーらしき人物も見当たらない。


 そうして見ることができたのも一瞬、水瀬は俺の後ろから寝室の扉を激しく閉めた。


「もう! 家探しはしないって約束だったでしょ!」


 水瀬はまるで見られたくない物を見られたかのように、顔を真っ赤にしていた。俺のデリカシーのなさを睨むような視線を向けられるが、今はデリカシーなど気にしている場合ではない。


「ここにいないということは、もしかして、」


 もう、最悪な事態が起きた後だとでもいうのだろうか。俺は水瀬から連絡を受けて、全力でここに向かった。でも、それよりも早くストーカーは目的を達成したとでもいうのか?


「水瀬さん、まさかすでにストーカーの毒牙に……」


「毒牙にもかけられてないから! 私の体は一切穢れてない状態だから!!!」


「え、そうなの、か? 一切、か」


「あ、~~~~っ!」


 水瀬は先程まで赤くしていた顔をさらに熱くさせ、耳の先まで真っ赤にした。羞恥の感情をぐっと堪えようとしたためか、水瀬はぷるぷると小さく震えているようだった。


 水瀬がストーカーの被害に遭っていないのは嬉しいが、予期せず水瀬の恋愛事情も知ってしまったようだった。


 そうか、水瀬ってそうだったのか。ふむ、少し意外なようで嬉しいようで?


「あれ? そうなると、さっきの電話はなんだったんだ?」


 水瀬が俺に掛けてきた電話の内容。それがストーカー以外のものだとするなら、一体なんだというんだろうか。


 そんなことを考えていると、ようやく合点がいったかのように水瀬は深いため息をついた。


「あれ。あれ観てたの」


 水瀬の指さした先には、リビングにあるテレビがあった。よく見てみると、何だか映像が全体的に暗い。そして、机の上にはDVDのケースらしき物が見られた。


「ホラー映画?」


「三月君、チャット見てないでしょ」


 俺は呆れたような水瀬の視線に促され、ポケットに入っているスマホを確認してみた。すると、そこには数件水瀬からのチャットが入っていた。


『ごめん! ホラー映画観ててびっくりして切っちゃった!』


『怖くなっちゃったから、少しだけお話したいなとか思ったり……』


『三月君―。数分だけ、ね? どうかな?』


 水瀬からの通話が終わってすぐに、そんなチャットが送られてきていた。


 ずっと電車の中でもパニックになってたから、水瀬からのチャットに気づくことができなかったのか。なんか不整脈みたいな振動を感じると思っていたが、あれはスマホのバイブ音だったのね。


「ははは、誤解でしたーー」


「……」


 水瀬はこちらに涙ぐんだ瞳をジロリと向けていた。未だに冷めない頬の熱の原因は、先程の水瀬の穢れていない発言だろう。


 意図しない形とはいえ、水瀬が色々とピュアな状態であるのを告白させてしまった。そして、それを自ら言わせるという状況は少しぐっときたりしないわけでもなかったり。


「えっと……なんかすんません」


「……三月君が、私の部屋に押し入ってきて、私の体が穢れているか確認してきたって、みんなにーー」


「それだと俺強姦野郎にしか思われないのでやめてくださいよこのことは誰にも言わないのでどうかそこはお一つお願いします何卒!」


 俺は警察のお世話にならないで済むように、深く頭を下げたのだった。


 今回は俺が悪いのかもしれない。勘違いをして、突っ走ってしまったのだから。


 でも、こんな短絡的な思考になってしまったのは、少しばかり思春期も悪いんじゃないかと思ったりもする。


 俺は水瀬の恋愛事情を知って少しだけ湧き出る感情を隠すように、深く深く頭を下げたのだった。

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