第25話 お泊りですよ、彼女さん

「それにしても、なんでホラー映画なんか観てたんだよ」


 場所は水瀬の家のリビング。俺達は向かい合うようにして座っていた。


「昨日愛実が泊まりに来たんだけど、その時に途中までしか観れなかったの」


 水瀬の話によると、昨日七瀬とのお泊り会が開催されたらしい。その際に、何本かDVDを借りてきたらしいのだが、その中にホラー映画が含まれていたとのこと。


「でも、ホラー映画って途中でやめると怖いじゃない? 続きを観ないと安心して寝られないって言うか」


「続きを観て怖がっていたのに?」


「こ、怖い物は怖いの。でも、観ないともっと怖いの」


「まぁ、言わんとしていることは分からんでもない」


 ホラー映画は展開も怖いが、結末を知らないとその恐怖が永遠に続く気がする。途中で観るのをやめることで、その結末のパターンを無限に考えてしまい、抜け出せなくなるのだ。


「初めから観なければいいのに」


「だって、愛実が観ようっていうから」


 七瀬は可愛いものが好きなはずだから、本心では見たくはないと思うのだが。


 ……あいつ、自分のイメージでも意識したのかな? クール系ならホラー映画を好んでみるとでも考えたのだろう。


「七瀬さんはホラー映画平気なのか?」


「うん、なんかすごい静かに観てたよ」


 多分、それはビビり過ぎて声も出なかっただけだと思う。子供っぽくガタガタ震える七瀬の姿が目に浮かぶな。


「まぁ、これに懲りたらホラー映画なんて観ないことだな」


「むー。観たら三月君に辱められるから?」


「ご、誤解を生むような発言をするなよ」


「ふふっ、慌ててるんだ三月君」


 水瀬はこちらにからかうような笑みを浮かべていた。少し悔しい気持ちもあるが、今は水瀬がそんな顔をできるなら良かったとさえ思える。ストーカー被害に遭ったのだとか勘違いしていた俺には、そんな水瀬の顔が見れるだけで落ち着くものがあった。


「まぁ、何もないなら良かったよ」


「うん。えっと、ありがとね。心配してくれて」


 それから水瀬は微かに頬を朱色に染めた。照れを隠すように髪を耳に掛けた仕草に、ぐっと来てしまったのは言うまでもないだろう。


「お、おうよ」


 そんなぎこちないやり取りをした俺達の間には、少しだけ甘い空気のようなものが流れた。互いに黙り込んでしまい、少しの気まずさを覚えた俺は、思い出したように立ち上がった。


「それじゃあ、俺は帰るとするかな。水瀬さんも無事みたいだったし」


「え、帰るの?」


「当たり前だろ。なんで帰らないと思ったんだよ」


「だって、明日家に来てくれるんでしょ? だったら、その、」


 俺は明日、水瀬に料理を教えるためにこの家に来る。わざわざ一度帰ってから、明日改めて水瀬の家に来るのは手間ではある。多分、水瀬もそういった意味で言ってくれているのだろう。


 それでも、やや体温を上昇させたような水瀬の顔を見せられると、俺が勘違いをしそうになってしまうのだ。


「一人暮らしの女の子の家に泊まるなんて、破廉恥なことはできん」


「破廉恥って、大袈裟な気もするけどな」


 引き留めようとしてくれる水瀬の声もあったが、ここはやはり帰った方がいいだろう。何というか、お互いのためというか俺のためというか。


 こんな前準備もなく泊まりでもしたら、悶々とした感情が溢れだそうで怖いしな。


 俺は自身の理性が正常に働いているうちに、水瀬の家から出ようと思いーー。


「待って」


 リビングを後にしようとしたところで、俺は水瀬に腕をつかまれていた。水瀬の体温の熱が伝わってきて、じんわりと体が熱くなり始めたのが分かった。


「水瀬さん?」


「本当に、帰るの?」


 水瀬の僅かに湿っぽい声。伏せられた顔からは顔色を確認することができないが、水瀬の手から伝わる体温から、その表情というのは安易に想像できた。


 だから、そんな水瀬の表情を想像してしまい、俺は胸の奥から湧き出る感情を理性で無理やり抑え込んでいた。


「み、みみ、水瀬さん。さすがに俺達未成年なわけだしーー」


「終電、まだあるの? 今から帰れるのかなーって」


「え?」


「終電。結構もう遅い時間だけど」


 あっけらかんとした水瀬の顔を見て、俺は大いなる勘違いをしていたことに気がついた。


 そして、今さら俺が家を飛び出してきた時間が遅かったことに気がついた。


 夜遅くに水瀬の家に来て、何かと色々話をしてし込んでいたのだ。終電の時間なんて過ぎているに決まっていた。


 俺は念のために自分の家まで帰るルートを調べてみたが、次の電車の出発時刻は朝の時間だった。


「まじか。終電おわってんじゃん」


「えっと、と、泊っていく?」


 やや遠慮気味に俺にそう聞く水瀬はどこか控えめ印象を受けた。そんないつもの水瀬とのギャップと、上目遣いのような視線にやられ、俺はそれ以上抵抗するという考えが消し飛んでしまった。


「……お願いしてもよろしいでしょうか」


 こうして、俺は水瀬の家にお泊りをすることが決定したのだった。





 当然、若い男女が一つ屋根の下で一晩を越すとなれば、何も起こらない訳もなく。


「まって、これ以上は、」


 水瀬は目を手で覆うように隠し、それを見ようとはしなかった。微かに荒くなったような息遣いをしていた水瀬は、体を小さくするように身を縮めていた。


「怖いのか? 水瀬さん」


 俺はそう言いながら、それを見ることができない水瀬をからかおうとした。しかし、俺だって水瀬さんと同じ気持ちだった。そんな気持ちを隠しながら、俺は堂々としているようなフリをする。


「あっ、だめーー」


 水瀬はそんな声を上げると、隠していたはずの両目を露にした。


 そして、そんな瞬間を見計らったかのように、画面には白い服を着た血まみれの女性がどアップで映った。


「「ぎゃーーーーー!!!!」」


 なんてことはない、俺達は水瀬が借りてきてホラー映画の続きを観ていたのだった。


「み、三月君! 三月君、怖いの平気なんじゃないの?!」


「そんなことは一言も言っていないぞ!」


「三月君、初めは全然余裕みたいな顔してたじゃん!」


「女の子の前だから格好つけてたんだよ! 言わせるな!」


 水瀬がどうしても続きを観ないと寝れないというので、俺達はお風呂を済ませてから水瀬が借りてきたというホラー映画を観ていた。


 そして、俺は水瀬にジャージを借りていた。下着類はコンビニで買えたので、寝る際のジャージのみを借りのだが、これがまた水瀬が普段着ているジャージらしい。


 そんなジャージを着て平常心を保てるわけがなく、俺は二つの意味でドキドキだった。きっと、水瀬の倍は心臓が動いていることだろう。


「うぅ~。なんで最後まで観たのに結局怖いの~」


「ああ。後味の悪い映画だったな」


 そうして、結局ホラー映画を最後まで観たのだが、結局怖さが倍増したかのような終わり方をされたので、寝る前だというのに心臓は落ち着いていていなかった。


 しかし、そうは言っても寝るには十分な時間になっていた。


 俺は水瀬の家に来るために慣れないダッシュをしたので、肉体的には疲弊していたのだった。


「そろそろ寝るか」


「んー、そうだね。そうしようか」


 夜も深くなってきたということもあって、水瀬も俺の意見には同意だったらしく、借りてきたDVDを片付け始めていた。


 屈んだことによって、薄い水色のスウェットの間から水瀬の背中が見えそうになったが、俺は慌てて視線を逸らした。


 理由は単純で、自分の湧き出そうな欲求を抑え込むためである。俺は寝間着姿の水瀬から少しでも意識を遠ざけるために、言葉を続けた。


「あー、できたら、座椅子を貸してもらってもいいか?」


「別にいいけど。三月君、まだ起きてるの?」


「いや、座椅子で寝ようかと思って」


「え? 腰痛くなっちゃうよ?」


「いや、そうはいってもそれ以外に場所ないだろ?」


 水瀬はDVDを片付け終えると、俺にちらりと視線を向けた。


 その一瞬で、水瀬は俺が緊張しているのをくみ取ったのだろう。水瀬は俺にからかうような笑みを浮かべ、挑発するような声色で言葉を続けた。


「大丈夫、寝る場所ならあるよ」


 そんな含みのあるような言い方をされて、自身の体温が上がっていくのが分かる。おそらく、顔にも出ていたのだろう。水瀬はそんな俺の態度を面白く思ったのか、さらにノリノリで妖艶さを含むような声色で言葉を続けた。


「ねぇ、どこだと思う?」


「そ、それは」


 水瀬は余裕のある笑みでこちらの様子を窺っている。当然、余裕があるということは、同衾するという答えではないのだろう。


 絶対安全な所から俺をからかっているのだ。それなら、冷静に考えれば何かしらの答えにたどり着けるはずだ。


 人が来たときに、その人と別々で安全に寝ることができる方法。


「ーーーー来客用の布団とかあったりする感じ?」


「むー。正解。なんだ、すぐ正解しちゃうんだ。つまらないの」


「まったく、純情な男の子を弄んで何が楽しんだか」


「ふふっ、慌ててる三月君は可愛いよ?」


「ちくしょう。……穢れのない水瀬さんには負けるぜ」


「そ、そのいじり方はずるいと思う!」


 水瀬は顔を真っ赤にしながらも、来客用の布団を出してくれた。水瀬の家にしてはすぐに布団が見つかったなと思いながら、水瀬と協力して布団を敷いていく。


「いいのか? 俺が借りちゃっても」


「いいんだよ。むしろ、こういう時のためにあるんだからね」


 布団を敷いていく中で、その布団から水瀬から借りているジャージとは別の香りがした。気のせいだろうか、どこかで嗅いだことのある柑橘系のような香りだった。


「昨日愛実が使ったばっかりだから、すぐに出せる場所に布団置いておいてあったんだ」


「え? これ、昨日七瀬さんが使ったのか?」


 そう言われて、俺の手はぴたりと止まってしまった。まだ誰も使っていない布団だと思って、少々雑に布団を敷いてしまっていた。


 柔軟剤の匂いしかしない洗って間もない布団と、水瀬に続く人気のある可愛い女の子が一晩使った布団だとまるで価値が違う。男子ならば、この違いに天と地ほどの違いを感じるはずだ。


 思わず喉を鳴らしてしまったのは、思春期のせいに違いない。


「三月君?」


「な、なんだよ?」


 水瀬はそんな俺の邪な気持ちに気づいた様子で、いつになく冷たい視線をこちらに送っていた。


「愛実が使ったって知ってから、目がいやらしんだけど」


「い、いやらしくなんて、ないですけども」


「ふーん」


 水瀬のジトっとした目に耐えられず、俺はふいっと水瀬から視線を外してしまった。どうやら、それが決定打となったらしく、水瀬は小さなため息を一つついた。


「やっぱり駄目です。三月君には愛実が使った布団は使わせえられませーん」


「ぐっ、まぁ、仕方がないか。せめて、座椅子を貸してくれないだろうか?」


 せめてもの慈悲をと思ったが、どうやら俺みたいな邪な気持ちを持つ人にはそんな気遣いもしてもらえないらしい。


 水瀬はふるふると首を横に振ると、言葉を続けた。


「三月君は私のベッド使って。私は布団で寝るから」


「そうだよな、俺なんて室内で寝させてもらえるだけーーえ?」


 今、水瀬はなんて言った? 何か信じられないようなことを口にしたような気がしたのだが。


 水瀬は俺の驚いたような目をどう勘違いしたのか、不満げな表情でぶすっとしていた。


「だって、三月君、愛実が使った布団で何するか分からないんだもん。そんな子にはこの布団は貸せません」


「え? 俺がベッド? いやいやいや、そんなの余計にーー」


「いいから。三月君にこの布団は貸せないの」


 水瀬はそう言うと、俺を寝室に追いやって寝室の扉を閉めた。どう抵抗しても無駄だとでも言いたげな勢いに押され、俺は寝室に追いやられてしまった。


「おいおい、まじか」


 なんで水瀬のベッドは良くて、昨日七瀬が使用した布団はダメなんだとか、そんな信用のない奴にベッドを貸してしまっていいのかとか、色々聞きたいことは山ほどあった。


 それでも、水瀬が使っていいと言ったのなら、使ってしまっていいのか?


 先程よりも喉を大きく鳴らしてしまったのは、思春期のせいに違いない。 


 俺はそんなことを考えながらも、ベッドに向かっていった。そして、本能に促されるように、俺は水瀬のベッドの中に入ろうとしていた。


 据え膳食わぬは男の恥という言葉もある。ここは流れに身を任せるが吉とみた。


 ええい、ままよ!


 俺は意を決して、水瀬のベッドにうつ伏せで潜り込んだ。


 柔らかいベッドの感覚や、少し軋むような音。しかし、そんな他の感覚以上に敏感になっている感覚があった。


 皆まで言う必要はないだろう。嗅覚である。


 水瀬のジャージなどからする香りは、比較的柔軟剤の香りが他の香りよりも強い。当然、洗濯したばかりの洗濯物というのは、そういう匂いがするものだ。

 

 ただ今の匂いはどうだろうか。


 柔軟剤の香りが控えめになったことで、布団の中や枕からは他の香りが頭を覗かせていた。


 シャンプーやボディソープの科学的な甘い香りと、水瀬の汗などが混ざり合った香り。絶妙な配合で作られたそれは、鼻腔をくすぐるとそのまま直接脳の方に向かい、自制心で固めれらたリミッターをいとも簡単に壊すような物だった。


 まずい、心臓の音が激しすぎる。


 どくどくと流れる血流は全身を巡り、一点に集中するように集合し始めていた。それがどこなのか。それはここでは言及をしない。


 人としてどうなのかとか、倫理観を捨てたのかとか、そんなの罵声が飛ばされそうだが仕方がないことなのだ。今の俺はベッドの香りにやられてしまい、まともにそんな制御装置は作動していなかったのだから。


 なんとも言えない気持ちが押し寄せてきて、俺は大声を叫びそうになった。咄嗟に枕を顔に押し付け、叫ぶ声を抑え込もうとしたが、ギリギリその行動を耐えた。


 ここは水瀬の家。そんなご近所迷惑になるような行動は避けるべきだろう。


 俺は大声の代わりに、大きく息を吐いた。


「はぁーーーー」


 そして、人の体という物は息を吐いた分だけ吸う生き物なのである。だから、息を大きく吐いた後に吸ってしまうのは仕方がないことなのだ。


 例え、それが顔に枕を押し付けた状態だったとしても。


「すぅーーーー」


「三月君。明日何時に、起き、る、」


 水瀬はまるでタイミングを見計らったかのように、寝室の扉を開け放った。


 ちらりと水瀬の方に顔を向けてみると、何が起きたのか分からないような顔をしている。


 それもそのはず。七瀬の使った布団だと何をされるのか分からなかったから、ベッドを貸したというのに、まさかベッドの方で何かをされているとは思わなかったのだろう。


 さすがにこの行動を予想しておいてくれ、というのは難儀なものかもしれない。


 そして、俺だってこんなタイミングで水瀬が入ってくるなんて思いもしなかった。


 まぁ、とどのつまり、なんていうか。


 うん、人生って難しい。


「いやぁ、違うんですよ。うん、その、ね?」


「~~~~っ!」


 水瀬は数秒固まった後、瞬時に理解したのだろう。


 水瀬はポンと音を立てるように耳の先まで一気に赤くした。これでもかというくらいに体の熱を上げた水瀬は、羞恥に満ちたような目をそっとこちらから逸らした。熱に当てられたような瞳は潤んでおり、口元はきゅっと閉じられている。


 せめて、睨んでくれた方が良かったなあ。


 俺の状況を見て目を背けるというわりとガチな反応。これは一体、どうしたものだろうか。


「……なんかすんません」


「……み、三月君が、三月君が、私の枕の匂いを嗅いで、息を荒くしてたって、み、みんなに、みんなにーー」


「確かに枕に顔を埋めてはいたのだけれども息を荒くはしていないんですよ一部が事実だから人に言っていいわけではないので言わないで頂けないでしょうかなんとかお願いします何卒!」


 俺はクラスメイトから『匂いフェチ』というあだ名を付けられないために、深く水瀬に頭を下げた。


 今回に関しては俺が悪い。それと、思春期! お前も悪いからな!! いい加減にしろ!!!


 俺はベッドから出られないことをバレないようにしながら、長時間水瀬に頭を下げたのだった。

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