第22話 期待と緊張、彼女さん
「さて、今夜私が頂くのは、『すき焼きもどき』です」
「もう毎回やることにしたんだな、それ。あと頂くんじゃなくて、水瀬さんが作るんだからな」
俺は某CM口調で話す水瀬にツッコミを入れて、水瀬の隣に立っていた。
場所は変わって水瀬の家のキッチン。スーパーから料理で使う食材を買ってきた俺達は、料理をするためにキッチンに立っていた。
「私すき焼きは知ってるけど、『すき焼きもどき』は知らないよ?」
「安心しろ、ただすき焼きを鶏肉で作ろうってだけだ」
今日水瀬に教えるのは、鶏肉を使ったすき焼きだ。たまに食べたくなるすき焼きだが、牛肉なんて高い物は買えない。そんなときに、牛肉の代わりに鶏肉を使用するのだ。
理由は単純で、安くてたくさん肉が食べてるから。あとは、野菜も手軽に取れるから何かと便利な料理だったりする。
「鶏肉じゃなくて、牛肉でよくない?」
「よくない。俺は水瀬さんほどブルジョア人じゃないんだよ」
「ぶ、ブルジョアっていうほどお金持ちじゃないし」
聞いた話だと、水瀬は良い所の娘さんらしい。正直、我々のように『肉と言えば鶏肉! 安いから!』という考えを持ってはいないのだろう。正直、金があるなら鶏肉で代用する意味はない。
「鶏肉は低脂肪で高たんぱくなんだ。だから、えーと、お得なんだ!」
「なんか後半投げやりにならなかった?」
「仕方ないだろ。詳しいことは知らんのだから。俺は一人暮らしをしている一般男性以上の知識は持ち合わせていない」
俺は水瀬に鶏肉を使う利点を紹介しようとして、盛大に失敗をしていた。
いや、だって『鶏肉がなければ牛肉を食べてばいいじゃない』なんて言われてたら、反論できないだろ。
別に栄養学とか学んでいる訳じゃないんだし。
そんな俺の説明をよそに、水瀬は料理の準備のためにエプロンを付けようとしていた。
「……」
「えっと、なにかな?」
「え、いやぁ、べつに」
「そう?」
水瀬は一度こちらに視線を向けたが、俺が何も言わないでいるとエプロンの紐を結び始めた。
学校から帰宅したばかりの水瀬は、当然制服姿だった。学校指定の制服に足元は黒のソックス。そして、その上から桃色のエプロンを掛けていた。
皆まで言う必要はないだろう。水瀬は制服エプロンで俺の目の前に立っていたのだ。
学校で一番可愛い女の子が、二人きりの空間でそんな姿をしている。これを何という言葉で表現すればいいのだろうか。
筆舌に尽くしがたい? いやいや、ただただ眼福であった。
「ん?」
水瀬は俺から向けられている視線がいつもと違うのに気がついたのか、自身の恰好を確認していた。そして、何かに気がついたのか、にやりと悪だくみをするような笑みを浮かべてきた。
「そっかそっか。三月君、制服もエプロンも好きだもんね?」
「き、嫌いな男子はいないだろう」
水瀬はいつになく余裕のある笑みを浮かべていた。そして、俺が微かに狼狽えた瞬間を見逃さず、からかうような口調で言葉を続けた。
「ふーん、それで水瀬さんの制服エプロン姿から目が離せなくなっちゃったんだ?」
「目が離せなくなったわけでは、なくもないけど」
水瀬は俺の言葉を聞いて、微かに頬を赤らめた。しかし、いつものように慌てふためく様子はなく、その表情にも余裕がある。
「それで三月君、どうかな?」
この話の流れで、水瀬がこの言葉を振るときはどんな言葉を返して欲しいのか想像がつく。
想像はついているし、水瀬の欲しがってる言葉を言うのも癪なのだが、嘘を言うのも違う気がした。そして、俺は頭に思い浮かんでいるありていな言葉をただ口にするのだった。
「……可愛いと思う」
「えへへっ、ありがとうっ」
水瀬は俺の言葉に満足したような笑みを向けると、上機嫌で料理を開始した。
水瀬にからかわれて、俺は胸の中が痒くなるような感覚と少しの体温の上昇を感じていた。
それでも、そんな俺の様子を知りもしない水瀬は機嫌良さげに料理を続けていた。
しかし、開始して数分も経たないうちに、水瀬がこちらにちらちらと視線を向けてきていた。
まだ野菜を包丁で切っている段階。俺をからかっていた時以上に頬の熱を高くさせて、こちらに視線を向けてくる。
「さ、さすがに見過ぎじゃないかな?」
「え、ああ、ごめん。今は料理の方見ているだけだから、気にするな」
「うん、分かった」
どうやら、俺から向けられる視線が気になっていたらしい。俺は水瀬に向けていた視線をまな板にのせられている野菜に切り替えた。
無意識の内に、制服エプロン姿の水瀬に視線が向いてしまっていたらしい。
しかし、俺が水瀬の方に視線を向けることがなくなっても、水瀬はこちらをちらちらと見てきていた。
ただ見ているのではなく、何かを期待するような視線。
一体、何を期待する視線なのだろうか。
そこで、俺は最近料理をしたときの記憶を振り返ってみることにした。
以前料理をしようとしたときは、七瀬がやってきた記憶しかない。そうなると、もう少し前の料理をした記憶を引っ張り出す必要があるか。
そうして少し考えると、一つ思い当たる節があった。
そして、俺は水瀬の視線が何かを期待する視線ではなく、警戒するものであったことに気がついた。
警戒している瞳には見えないのだが、もう少し分かりやすく感情を表現できないものなのだろうか。危うく勘違いしてしまいそうになる。
「水瀬さん、安心してくれ。今日は、前みたいに後ろに回り込んで教えたりはしないから」
「だ、だっ、だれもして欲しいなんて言ってませんけど!」
「え? して欲しかったのか?」
「~~っ! ほ、欲しくないから!」
水瀬はそう言うと、羞恥に満ちたように顔を赤くさせた。恥じらいのためか、こちらに向けられなくなった瞳はいつもよりも潤んでおり、何かを言いたそうに小さな口をきゅっと閉じていた。
「~~~~っ」
俺の視線から逃れたいのに、逃げられない。俺は隣に立っているだけなのに、どんどんと水瀬の顔は赤みを増していった。耳の先まで赤くなるのに、そこまで時間を要さなかった。
「水瀬さん?」
「みっ、三月君が、私の制服エプロン姿を舐めるように見た後、『後ろからして欲しいのか?』って、言ってきたって、みんなにーー」
「情報の切り貼りが酷すぎて俺が水瀬さんにそういう格好させてしようとしている変態みたいだから誤解を生まないためにも誰にも言わないでくださいお願いします何卒!」
俺は調理実習とかあったとき、クラスの女子全員から軽蔑の視線を受けるであろう未来を回避するために、深く頭を下げた。
だって、今の間は勘違いしそうになってしまうだろ。
今回は俺が悪いのだろうか? いや、明らかに勘違いを生み出した水瀬の視線が悪い。
それとも、やっぱり思春期が悪いのだろうか。
誤魔化そうとする水瀬の言葉と、あの表情。まるで俺の勘違いが勘違いではなかったとのように思えてしまい体が熱くなる。
俺は水瀬にこのドギマギしていた感情がバレないよう、深く頭を下げて誤魔化すのであった。
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