第19話 怒ってますよ、彼女さん

「三月君。私は今、怒ってます」


 俺は水瀬に連れられて、空き教室に来ていた。


 どうやら、ここは移動教室で次に使われる教室らしく、昼休みになるタイミングでこの教室は開けられるらしい。


 昼休みが始まったばかりの時間。当然、そんな早い時間から移動教室を訪れる生徒はおらず、俺は水瀬と二人きりになっていた。


 窓際の机を二つくっ付けて、俺達は二人席を作って向かい合った。


 なぜ、普段この教室を使わない水瀬がその情報を知っているのか。そんな疑問もあるが、今はそんなことを質問できる状況ではなかった。

 

 それから水瀬はよそ行きの表情を緩めたのだが、当然怒りが収まることはなく、こちらをいつも以上にジトっとした目で見ていた。


「私は怒っています。それはなぜでしょうか? はい、三月君!」


「俺が予定をドタキャンしたから、ですよね?」


 俺は先週の休日。水瀬と約束をしたにも関わらず、当日にドタキャンをしてしまった。突然予定を崩されれば、誰だって思う所はあるはずだ。


「はい、今回は正直に応えられて偉いです! でも、それだけじゃありません。はい、三月君!」


「俺が、七瀬さんと仲良くなってた、から?」


「いいえ、仲が良いのは悪いことではありません! ……まぁ、もやっとはしたけど。そ、そこじゃありません!!」


 水瀬は一瞬悩むような仕草をしたが、すぐに思い出したようにこちらに睨むような視線を向けてきた。


「私との約束断って、愛実と遊んでたんだよね?」


「いや、遊ぶとかじゃなくてーー」


 水瀬は俺が返答をし終えるよりも早く、陰ったような表情をみせた。


 いつもの明るい水瀬の顔を知っているがゆえに、今の表情は胸を締め付けられるものがあった。


 もしかしたら、どこかで俺が水瀬の考えを否定してくれると思ったのかもしれない。俺の返答で、俺が水瀬との約束をキャンセルして七瀬と会っていたことが確定してしまった訳だ。


 普通に考えれば、前もってしていた約束をキャンセルされて、他の子と遊んでたなんて言われたらショックを受ける。


 今さらながら自身の行動と、先程の返答に配慮が欠けていたことに気がついた。


「ごめん。ドタキャンしたのは本当に悪かった。でも、言い訳を聞いてもらってもいいか?」


「……分かった。言い訳くらいは聞いてあげてもいい」


 水瀬はそう言うとジトっとした目をそのままに、俺の話を聞いてくれた。


 水瀬の家に行こうとした際、七瀬に偶然会ってしまったこと。そして、その後の誤魔化し方が悪かったせいで、七瀬の家に連れていかれてしまったこと。


 さすがに、七瀬が女児向けアニメにハマっていることや、七瀬の部屋がファンシーだったことは伏せて、あの日起きたことを全て話した。


「うん。愛実と会っちゃって、そこから抜けてくることが難しかったのは分かった」


「ああ。変に抜けても怪しまれてたと思う」


「それと、愛実の家に遊びに行ったことも……分からなくは、ない、かな」


「お、おう」

 

 水瀬は大きめの錠剤を飲み込むように、俺の言葉を呑み込んでくれた。しかし、その言葉とは裏腹に表情はずっと不満げなものだった。


「でも、愛実の家を出たのって夕方くらいだったんでしょ? 私は、その後に家に来てくれても良かったんじゃないかと、思いますっ」


「七瀬さんの家を出てから向かうと、水瀬さんの家に着くのは夕食前くらいの時間になってたと思うけど」


「そ、それでも、それでもっ! その、~~~~っ!」


 水瀬はなんの恥ずかしさからか、口元をきゅっと閉じて顔を赤くしていた。自身の感情か言葉に熱しられたように徐々に赤くなり、耳の先までその熱が伝わっていくのが分かった。


 そのまま、水瀬は少しの間ぐっと何かを溜め込むように黙り込んだ。それから意を決したかのように上げた顔には、強い意志と潤んだ瞳が見えた。


「それでも、三月君と話せるのって、休日しかないんだよ?! 次話せるのって、来週になるってことでしょ? 二週間も話せなくなるのは、私は、やだ!」


 言い方としては少しだけ稚拙なのかもしれない。でも、だからこそ、水瀬の心の声を聞いたような気がした。


 そして、そんな声を当てられ何も思わない訳がなかった。


 水瀬の声の振動が、俺の心臓に響くように伝わってきて、その振動によって体中が熱くなっていくのが分かった。


 ありていに言うと、完全に照れてしまっていた。


 学校で一番可愛い女の子が、俺の目をじっと見てそんなこと口にしているのだ。クラスメイトの誰も知らないような、心の奥底から湧き出るような感情をぶつけられて、頭がくらくらしそうだった。


「三月君は、どうなの?」


 いつものからかう口調ではなく、真剣な声色。そんな感情を真っすぐぶつけられて、俺の頭の中にはただ素直な言葉のみが残っていた。


「俺も、水瀬さんと二週間も話せないのは、耐えられない」


「た、たえら……。う、うんっ。素直でよろしいね!」


 水瀬は俺の返答に当てられて、微かに怯んだように言葉をどもらせた。しかし、機嫌は回復したようで、水瀬はコンビニで買ってきたサラダパスタを机の上に置いた。


 どうやら、これで先週の休日の話は終わりらしい。

 

 ただ昼ご飯を食べようとしているだけ。


 そんな何気ない普通の光景なのに、俺は今の水瀬に見入ってしまっていた。


「な、なにかな?」


「いや、なんか制服姿の水瀬さんが少し新鮮でな」


「新鮮って、私いつも制服姿だよ」


「そうなんだけどな。いつも見てるはずなのに、なんでだろうな」


「い、いつもって。そ、そんなこと言われても知りませんけどもっ」


 水瀬は少したどたどしく、俺にそう返してきた。

 

 しかし、今の俺にはその言葉は届いているようで届いていなかった。 


 なんでだろうか。先程からどうも頭が少し熱っぽい気がする。


 先程の水瀬の言葉が頭を離れないせいだろうか。不思議と繕ったような言葉は頭に浮かばず、思ったことがそのまま言葉になって出てしまっているようだ。


 そんな俺の気など知らない水瀬は、落ち着きを取り戻してサラダパスタの蓋を開けていた。


 いつも教室で天真爛漫な姿をみせている水瀬。誰に対しても優しく、みんなの憧れている優等生。きっと、みんなが好きな水瀬はそういう感じだ。


 それに比べて、今目の前にいる水瀬はどうだろうか。


 思ったことをすぐ口にして、たまにアホみたいな言動をして、家事スキルが壊滅的で。それでも、自分の感情をそのまま表情や言葉に出す水瀬。俺はその方が魅力的でーー


「うん。やっぱり、こっちの方が可愛いな」


「ふぇ?」


「あれ?」


 水瀬はサラダパスタを食べようとしていた口から、間の抜けたような声を出した。そして、俺は自分が意識せずに言葉を発していたことに驚いていた。


「あ、いや、今のは違くはないんだけど。なんていうか、」


 頭がぼうっとしていたせいか、何かとんでもないことを口走った気がする。そうは言っても、今の発言を否定したらクラスでの水瀬の方が可愛いということになってしまう。嘘を言う訳にはいかないし、訂正するのはなんか違うような……。


「~~~~っ!」


 落ち着いたはずの水瀬の顔は、一気に赤く染まった。不意を突いてしまったのが悪かったのだろう。水瀬は突然押し押せてきた羞恥の感情を無理やり抑え込むようにぷるぷると震えていた。その感情に呑み込まれたように、水瀬の瞳はいつにも増して潤んでいるように思えた。


「えっと、言葉足らずだった、別に、口説いているじゃないんだけど……なんかすんません」


 水瀬は俺の返答に対してなのか、俺自身に対してなのか。微かに不満そうに頬を膨らませると、俺から視線を外した。


「……み、三月君が、誰もいない教室で『制服姿も新鮮で良いよ』って言いながら辱めてくるって、みんなにー」


「それだと俺ただの制服フェチの変態みたいな感じがするし言いながら辱めるって言われるとそれぞれ別の動作をしてるみたいでいやらしさが増す気がするのでやめていただけませんかお願いします何卒!」


 そして俺は、クラスで『制服フェチ』というあだ名を付けられないように、誠心誠意頭を下げたのだった。


 今回は完全に俺が悪い。いや、今回も俺が悪い。


 俺は水瀬の顔の熱が冷めるまで、長時間頭を下げることになった。


 そんな水瀬とのやり取りに、少しの懐かしさを感じながら。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る