第2話 もう少しだけ完璧超人な彼女
俺は家の中に水瀬を迎え入れ、靴をそろえてリビングに向かおうとしていた。
「……」
水瀬は何を考えたのか、靴箱に人差し指を当てるとすーと動かした。そして、その指の腹を眺めながら、小さく呟いた。
「……埃はなし」
「えーと、水瀬さん?」
「え? あっ、ううん。なんでもないの!」
さすがに姑みたいなことをしておいて、何でもないはないだろう。しかし、慌てたように隠した様子を見ると、深く追求しない方がいいのかもしれない。
「とりあえず、上がって。何か飲み物用意するから」
「お気遣いありがとう!」
先程の少し考えるような表情はどこへやら、水瀬は俺に屈託のない笑みを向けていた。先程までの表情が何か見間違いみたいだ。
「三月君。少しだけおトイレ借りてもいい?」
「あっ、どうぞどうぞ。トイレはそこだから」
俺はそう言うと、水瀬にトイレの場所を案内してリビングに向かった。
とりあえず、お湯だけでも沸かしておこう。そう考えて、電子ケトルでお湯を沸かしていた。
……学校一の美少女がすぐ近くで用を足しているのか。
さすがにそんな趣味はないが、俺も思春期を迎えた男子。全く何も考えないかと言われると、そんなこともないわけで。
いや、何も考えないというのは逆に失礼なのではないか。女性として魅力があるのだから考えて当然である。
などとどうでもよい思考に身を任せていると、水瀬がリビングの扉が開けられた。
「三月君、ありがとうね」
「あ、こちらこそ」
「こちらこそ?」
「いや、なんでもない。水瀬さんはコーヒーとお茶どっちがいい?」
「んー、それじゃあコーヒーをブラックで貰おうかしら」
「了解。そこに座ってて」
俺はこたつ布団の布団だけを抜いたローテブルを指さした。水瀬が来る前にクッションだけでもと出しておいたのだ。
水瀬は俺がコーヒーを準備している間、少しだけソワソワするかのように辺りを見渡していた。
しかし、その視線はただ男子の部屋に来て落ち着かないといった感じではなく、何かを見定めるような視線のようにも思えた。
いくら見ても、何も面白いものはないだろうに。
「はい、コーヒーどうぞ」
「うん、ありがとう」
何をしているのか分からなかったが、それが判明するよりも早く俺はコーヒーを持って水瀬の正面に座った。
水瀬はコーヒーを一口飲むと、ふぅと小さく息を吐いた。しかし、何か不思議に思ったのか首を小さく傾けた。
「口に合わなかった?」
「いえ、そんなはなくて! むしろ、逆って言うか……おいしいわね」
「そう? ただのドリップコーヒーだけどね」
「私が飲んでる奴よりもおいしい気がする」
水瀬はそう言うと、不思議そうにマグカップに入ったコーヒーを覗き込んでいた。
確か、水瀬はお金持ちのお嬢さんって聞いた気がする。そんな水瀬が褒めてくれるようなコーヒーではないんだけどな。
「コーヒーとお茶は少し良いのを飲むようにしているんだ」
「そうなの?」
「毎日飲むものだからね。こういう嗜好品に少しお金をかけるだけで気分が違うんだよ。一人暮らしだから、余計にね」
「……なるほど、そういった所も考えるのね」
「いや、別にそこまで深いことではないけど」
軽い会話のつもりで話しただけなのに、水瀬は何か重要なものを見つけたかのように深く頷いていた。
「えーと、それで話って言うのは?」
「あっ、そうね。せっかく時間を貰ったんだもの。あまりゆっくりしていちゃ失礼よね」
「いや、そこは気を遣わないでいいけど」
水瀬は自身を納得させるように何度か頷くと、視線を迷わせながら口を開こうとした。しかし、何も話さずに数度口をパクパクとさせたりと、中々言葉を口にしようとしない。
何かに恥じらうような表情を向けられて勘違いしそうになるが、その雰囲気は乙女心をこちらに伝えようとしているようではなかった。
それからもうしばらく待つと、水瀬は自白するかのような表情で言葉を漏らした。
「……じつは、私も一人暮らししているの」
「え? そうだったの?」
「うん。それで、来週友達が家に遊びに来ることになって」
「なるほど、なるほど」
俺は脳内で水瀬がいつもクラスで鶴んでいるクラスメイトを想像した。水瀬とは違うタイプの顔立ちをしている七瀬、明るくクラスのマスコット的存在の小倉、後は野球部とサッカー部のーー
「女の子だけ! 家に遊びに来るのは女の子だけだから!」
「え、ああ、そうなんだ」
「そうだよ。なんで三月君は、私が簡単に男子を部屋に招き入れる女の子だと思うの?」
不貞腐れるように頬膨らませる水瀬が可愛らしく、思わず顔を背けてしまう。怒られているはずなのに、可愛い顔をしているというだけで別の感情が頭をのぞかせる。
「あー、他意はないんだ。ごめん」
「本当に申し訳なく思ってる?」
「よ、陽キャはみんなそんな感じだと勝手に決め込んでました。申し訳ございません」
「むー。別に、私陽キャじゃないのに」
いや、水瀬が陽キャじゃないなら俺のクラスはみんな陰キャってことになるだろ。そんな考えが水瀬に伝わったのか、不満げな表情は緩むことはなかった。
むしろ、その意思が伝わったせいか、何かを思いついたように微かに頬を緩めた。
「みんなに『三月君が私を誰でも部屋に連れ込むし、男の子の部屋に簡単に行っちゃうような、軽い女だって思ってる!』って相談しようかな」
「や、やめてくださいよ。純情を描いたかのような水瀬さんに対して、そんなことを思っているなんて言われたら、ただでさえない俺の居場所がなくなるって」
「私って、純情なんてキャラなのかな……うーん、どうしようかなぁ」
水瀬はあえて悪戯をするかのように俺の表情をみて、ころころと笑っていた。その悪戯をするなかで、水瀬は何かに気がついたのか、悪だくみをするかのように口の角度を変えた。
「これから私が言うこと、誰にも言わないって言うなら言わないであげる」
「絶対に言いません。口が裂けても、指の爪を剥がされても、膝の皿を割られても!」
「爪を派がす、膝の皿を……ひぃっ! なんでそんな恐ろしいこと言うかな!」
水瀬は自分がそうされる姿を想像したのか、腕をさすりながら顔を歪ませた。微かに恨むかのような顔をこちらに向けてくるが、今はそんなことよりも自身の身の安全を確立させたい。
「絶対に誰にも言わないから、ぜひ水瀬さんの話をお聞かせください」
「なんか慇懃な態度だなぁ。少し言い過ぎちゃったかなぁ?」
水瀬は咳ばらいを一つすると、申し訳なさそうにこちらに覗き込むような視線を向けた。
「えっとね、私片付けとか苦手で、部屋が散らかってまして」
「え? 水瀬さんの部屋が?」
「うん。 ちょっと、ちょっとなんだけどね」
「ほぅ」
水瀬の部屋が汚れているって、あまりイメージが湧かないな。
みんなの憧れでみんなのアイドル。誰に対しても丁寧に接して、優しくて。だからきっと、部屋が汚れているというのも、謙虚な姿勢というだけなのだろう。
「それで、部屋の掃除を手伝って欲しいなって」
「別に、掃除くらいなら全然いいけどーー」
なんか肩透かしのお願いだ。そう思いながら、コーヒーに手を伸ばした所、その手を水瀬に掴まれた。
「え?」
絹のように滑らかな肌。柔らかくて、俺の手の平とは素材そのものが別物のようにさえ感じる。
そんな温かい水瀬の両手が俺の右手を包み込んでいた。
女子とまともに会話すらしたことのない思春期の男子。それが学校一と名高い美少女に手を握られたらどうなるか。
そんなの口にしなくても分かるだろう。
「み、みみみみ、みな、みなせぇ」
「本当?!」
「え?」
「本当に手伝ってくれるの?!」
「あ、ああ。別にそれくらいなら」
「言ったからね! 言質を取ったからね!!」
ぎゅうぎゅうとまるで、捕まえた獲物を逃がさないように強く俺の手を握る水瀬。
ばくばくと高鳴る心音はこれから俺に起こる悲劇を知りもしないのだった。
そして、俺はすぐにこんな簡単に返事をしたことを後悔するのであった。
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