第3話 実はずぼらな彼女
「まさか、こうなるとはな」
水瀬が俺の家を訪れて数日が経過した週末。俺は水瀬に呼ばれてある所に来ていた。
まさか、こんな日が来るとは思いもしなかったのだが。
「いらっしゃい、三月君」
俺は今、水瀬が一人暮らしをしているというマンションの前に来ていた。
どうしてこうなったのか。
そんなことは考えるまでもない、以前に水瀬とした約束が原因だ。
『部屋の掃除を手伝って欲しいなって』
恥ずかしがるような表情でされたお願い。
まぁ、部屋の片づけくらいなら別に大したことはないだろう。なんか必死な表情もしていたから、気になるところではあるが。
俺は水瀬に連れられてエレベーターに乗り込んだ。自然と狭い空間で二人っきりになってしまい、鼓動が速くなるのを感じた。
隣にいる水瀬にちらりと視線を向けると、いつもと違う私服姿の水瀬を拝むことができた。
袖口の広い七分袖の白いロンTに、黒のミニ丈のショートパンツ姿。ややスポーティーというか、動きやすそうな格好。
元の容姿とスタイルの良さが相まって、ファッション雑誌からできてきたかのような佇まいだった。
「ん? どうかした?」
「え、ああ。私服姿の水瀬って初めて見たなって」
「そりゃあ、休みの日に合うのは初めてだもんね」
水瀬はそんな風に微笑むと、体をこちらに向けて服装を見せつけるように両腕を伸ばした。
「私服姿の水瀬さんはどうかな?」
おどけて笑うような表情に、心音が加速していく。意見を求めるような視線に耐え兼ねて、思わず視線を外してしまう。
正直、服のことなんか全く分からないし、玄人ぶった意見を言えるほど言葉のバリエーションもない。
かと言って、何も言わないのは失礼だ。それならせめて思ったことをそのまま言葉にした方がいいだろう。
パッと思いついた言葉はあまりにもありきたりだが、女子同士で褒め合ってるときに使っているのを見たことがある。それなら、問題はないだろう。
「……可愛いと思う」
「お、おぅ。結構直球で褒めるんだね、三月君って」
先程まで堂々としていた佇まいはどこへやら。俺の言葉を聞いてしおらしくなる水瀬がそこにいた。
「え、可愛いなんて普通に言われ慣れてるだろ? なんでそんな初心な反応を?」
「う、初心で何が悪い! そんなじっくり考えた上で、心を込めて可愛いって言われたことなんてないもん」
「え、ああ。なんかすまんません」
「むー。今日は動きやすい格好にしたから、そんなこと言われる想定もしてなかったのに。三月君も掃除するから、動きやすい格好で来てくれたんだよね?」
水瀬からしたらそんなにキメていない服装で来たのに、不意を突いたように褒められたから驚いたのだろう。
そして、キメて来たはずなのに、そんな風に不意を突かれると俺だって驚く。ジーパンと白パーカーでキメてるって言われてもって感じなのかもな。
「は、ははっ、もちろんさっ」
不意に似てもいないアニメのキャラクターのような声を出してしまうほど、動揺してしまっていた。
「あんまり似てないよ?」
「う、うるさい」
そんなやり取りをしていると、すぐにエレベーターは水瀬が住む階に到着した。
「水瀬?」
エレベーターから降りて、水瀬に部屋の前に着いたのだが水瀬は中々部屋の扉を開けようとしなかった。
鍵穴に鍵は入れているのに、中々鍵を回そうとしない。
「三月君、約束覚えているよね?」
「え、約束?」
今日の片づけを手伝うっていう約束だろうか?
そんなことを何となく考えていると、水瀬が勢いよくこちらを振り返った。その勢いのまま、俺のすぐ目の前まで体を前のめりにして、ぐっと近づいてきた。
「部屋が散らかってること、誰にも言わないって約束!!」
「あ、ああ。覚えているって」
「絶対、絶対だからね!!!」
「わ、分かった。約束するって」
水瀬は俺がその勢いに押されるのを確認すると、仕方なしといった様子で再び扉の方を向いた。
「開けるよ」
「おう」
俺の返事を聞いて数秒、水瀬は勢いに任せるように鍵を開けて扉を開いた。
「おじゃましますーーす?」
水瀬の家に入って初めに驚いたことは、靴が多いことだった。
誰か来ているのかな? そう自然に思うほどの靴が玄関に置かれていた。スニーカー、ショートブーツ、ローファー、サンダル。
広くない玄関にこれだけ靴を並べているのだ。自分の靴だったら、靴箱にしまうよな。
「先客がいたのか?」
「ん? いないよ?」
「え?」
そんな風に俺を置いていく水瀬は、運動靴を脱いで、沢山並べられている靴の横に並べた。俺もそれに続くように靴を脱ぐ。
「足場ちょっとないけど、踏んじゃっていいから」
「ふ、踏む?」
何のことだろうと思った時にはすでに遅かった。むしろ、なぜ今まで気がつかなかったのだろう。
本来、廊下と言われる箇所。そのフローリングに服が敷き詰められて木目すら見えなくなっていることに。
「み、水瀬さん?」
水瀬は思わず後ずさる俺を見逃さなかった。
俺が体重を後ろに引いた瞬間、水瀬は強く俺の手を引っ張った。前によろめく俺と対するように、再び玄関へと向かった水瀬の姿を横目で捉える。
しかし、捉えたところですでに遅かった。
たたらを踏む俺の背後では、玄関の鍵が閉められる重い音が聞こえた。
「み、なせ」
「掃除、手伝ってくれるんだよね?」
やけに静かな室内には、水瀬の声がよく響いた。
先程まで向けていた笑みと変わらないはずの笑み。それなのに、状況が変わるだけでここまで印象が変わるのか。
向日葵のような眩しかった笑顔は鳴りを潜め、その裏には含みさえあるように感じさせる。
「誰にも言わないでよ? 二人だけの約束だからねっ」
水瀬は『秘密だよ』とでも言いたげに、人差し指を立てて笑みを浮かべていた。
言えるわけがない。言ったところで誰が信じるだろうか。
学校で一番可愛い女の子が、こんな『ずぼら』だなんて!
こうして俺は、途方もない水瀬家の掃除を手伝わされることになったのだった。
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