真意

 元来た道を引き返し、私は中央広場へ向かった。ここレヒナーの街は東西南北に門があるけれど、北側の市街は建物が入り組みすぎていて、ほぼ迷路だ。避難場所の中央政庁へ向かうなら、いちど中央広場に出て、そこから大通りを北上する以外のルートは事実上ない。少なくとも、私を含めた余所者が迷わず行くのは無理だ。

 衛兵隊もそこは認識しているようで、中央広場に戻ると、東西方面から何人もの衛兵さんが集まってきていた。ここを突破されれば、背後にいるのは丸腰の市民だ。やってきた衛兵さんたちは、広場にもともと設置されていた衛兵人形と共に隊列を作り、侵入者を迎撃する態勢をとっている。


「お嬢さん、何をしているんだ! 早く避難を!!」


 衛兵さんたちの言葉と同時に、南の方角からときの声があがった。お屋敷にいた連中と同類の、薄汚れた革鎧の一団が押し寄せてくる。

 ……どうして? ここに来るまでの間にも、通りの随所に衛兵人形は設置されている。移動はできないけれど、弓矢や投槍での自動迎撃はできるはずだ。そういうふうに、私たちが作った。

 しょせん初歩的な自動動作だ、万能だとは思わない。けど、完全に無傷で突破されるほどチャチな造りにはしていないはずだ。こいつら、どうやって――


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。矢を放て!』

『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。槍を放て!』


 衛兵さんたちが叫ぶと、広場の衛兵人形が得物を放つ。

 槍が、先頭の賊の肩をかすめる。矢が、膝を射貫く。

 一人、倒れた。……こうなるはずなんだ。


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。矢を放て!』

『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。槍を放て!』


 槍と矢が飛び、怯んだ賊が足を止める。そのまましばらく、にらみ合いになった。

 この隙に避難しよう。私は衛兵さんたちに一礼し、北へ続く大通りを駆けた。


   ◆


「どうしよう……」


 思わず、独り言が漏れた。

 中央政庁までの道に、バリケードが築かれていた。机や椅子の類で作られた簡素なものだけれど、高さはそれなりにあって、通り抜けることは難しそうだ。

 周りには誰もいない。ひとりでいるよりは、衛兵さんや人形と一緒の方が安全な気がする。しかたなく、私は元来た道を引き返した。


   ◆


 遠目に見る中央広場では、なおも賊と衛兵隊がにらみ合いを続けている。南の道からは、賊の新手が続々とこちらへ向かっているのが見えた。時間が経つほど防衛側が不利になりそうだ。魔導騎士が出払っている今、私たちに増援の望みは当分ないだろう。

 衛兵人形が期待通りの働きをしてくれることを、制作者としても市民のひとりとしても、祈るしかない。


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。矢を放て!』


 衛兵さんの声に応え、人形が牽制の矢を放つ。前進しかけていた賊が、足を止める。

 と、その瞬間、聞き覚えのある高い声が辺りに響いた。


「……『例の言葉』、忘れちゃったのかい?」

「すみません、どうにも長ったらしくて、こっちの隊は誰も覚えておらず」

「しょうがないなあ」


 賊たちの先頭に、濃紺ローブ姿のよく知ってる眼鏡男が歩み出て、高らかに声を張り上げた。


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。ここに汝の任を解く、月光を仰げ、宵闇に抱かれよ、黄泉の底に横たわれ……しかる後、永遠の眠りにつくべし!』


 男――アレクシスが言い終わった瞬間。

 すべての魔導人形が、膝から崩れ落ちた。

 いくつもの白いボディが、音を立てて地面に転がる。はずみで、何体かの人形の蓋パーツが外れた。心臓の位置に窓が開き、中の何枚もの紙が剥き出しになる。


「え、何……いまの、何!?」


 叫んだと同時に、アレクシスが私の方を向いた。少し遅れて、賊たちが追随する。

 しまった、と口を押さえたけれど、遅かった。アレクシスが目を細めて笑った。


「フミカ。……こんなところにいたんだ」

「ちょっと、説明しなさいよアレクシス! 何がどうなってるの、今あんた何やったの!?」


 精一杯、威圧的な声を作ろうとしたけど、出てきたのはかすれた震え声だった。

 アレクシスが、あはは、と声をあげて笑った。


「説明してほしいのは僕の方だよ。……フミカ、どうして知らせてくれなかったんだい。アーレント家のあの二人が、僕のことを何て言ってたか」


 何のこと、と言いかけて気付いた。おそらく半月前、彼の両親と話した内容だ。


「僕も気になったから、メイドに頼んで、こっそり聞いててもらったんだけどね。酷いじゃないか、黙ってるなんてさ。……昔から薄々、感づいてはいたんだけどね」


 アレクシスは、くい、と眼鏡を押し上げた。日の光を受けて、レンズがぎらりと光った。


「僕は邪魔者だ。誰からも望まれていない子供だ。あらためて知って……泣くばかりだったろうね、昔の僕なら。でも――」


 アレクシスの口元が、笑いに歪む。陽光を反射するレンズの向こうは、見通せない。


「フミカ、君には本当に感謝してる。こんな僕にも何かができる、役に立つ何かを作れるって……君と一緒なら、僕は、僕でさえ、なんでもできるんだって、教えてくれて。だから僕は『新天地』に行くことにした」


 笑顔が、怖い。


「君と一緒に、これまで作ったもの。そして、この街そのものを手土産にね……父上の部屋でこっそり印章を借りて、封蝋をつけて偽情報を流したら、みんな簡単に引っかかってくれたよ」


 アレクシスが右手を差し出した。濃紺のローブの袖が、揺れる。


「さあ、おいでフミカ。一緒に、もっといいところで研究をしよう。あんな小さな、工房という名の檻じゃなくて。そして他の街で……他の国で、どんどん魔導人形を使ってもらうんだ。そして――」


 聞こえる言葉尻が震えているのは、たぶん、恐怖のためじゃないと思う。

 二十五年間、抑えつけられてきたいろんなものが、今、爆発しかかってるんだ……けど、だけど。


「――僕はをする。僕を踏みつけてきた家の連中にも……なにもかも知らないふりをしていた、街の連中にも。皆に、ね……!」

「そういう……ことなら」


 手足が震える。ちょっと……いや、かなり怖い。周りの賊はどんどん新手が増えている。一斉に襲ってこられたら、今いる衛兵隊だけで守りきれるかわからない。

 でも今、言わなきゃ、いけない。


「ついてくわけには、いかない」


 あはは、と、アレクシスが高く笑う。


「フミカは、僕なしじゃなにもできない。分解して整理した呪式は、僕が全部持ち出したからね。ひとりでどうする気だい? 人形の緊急停止命令さえ、存在を知らなかったくらいなんだよね?」


 やっぱりさっきの、強制シャットダウン命令だったのか。悔しいけど、研究歴一ヶ月半そこらの私と、八年のアレクシスじゃ、知識の絶対量が違ってる。

 でも、だからって、ここで怯むわけにはいかない。


「言ったでしょ、私は言われたことしかしないって。でも、言われたことは何があってもやりとげるって。私の業務は『魔導人形たちを使える子にすること』『人形たちを使って、この街をもうちょっと安全な所にすること』……トナイのSE様が、引き受けた業務を途中で投げ出すわけにはいかないのよ!」

「……そう」


 くっくっと、声を潜めてアレクシスは笑った。そして、衛兵さんたちの方を向いた。


「交渉です。そこの女性の……ミツイシ・フミカの身柄を、僕たちに引き渡してもらえませんか。彼女さえ確保できれば、この場での撤退も視野に入れましょう。ですがもし断るなら、中央政庁に総攻撃を――」

「断る」


 衛兵の隊長さんが、即答してくれた。


「彼女も今は市民のひとり。市民を守る者として、市民の犠牲を看過するわけにはいかぬ」

「そう、ですか」


 背筋に震えが走る。

 アレクシス、本気で私を捕まえに来る気だ。その後どうされるかはわからない。わかったもんじゃない。

 そして、私が逃げた場合は……街の人たちを犠牲にすることも辞さない、ようだ。

 どうすればいい。

 私が行けば街は助かる。けどその先で、私はこの街を、この国を、害するための研究を間違いなくさせられる。契約中の顧客を裏切って競合他社につくなんて、SEの、いや、社会人としての信義にもとる。

 本当に、どうすればいい。

 ふと視線を落とすと、地面に転がる衛兵人形たちが目に入った。矢や投槍は地面に散乱し、胸の蓋は無残に開き、呪式の紙が剥き出しになっている。これがちゃんと使える状態なら、少しは――と考えかけた時だった。

 突然、頭の中に電流が走った。

 これなら、いけるかもしれない。

 ダメかもしれない。けど、やってみないことにはわからない。

 テストどころか、動作確認すらなし。ぶっつけ本番。失敗すればそれまでだけど――


「衛兵の皆さん!」


 脳が詳細を詰めるより前に、口が動いた。


「すみません、ちょっとだけ時間作ってください! 五分! 五分でいいです!!」

「……何か考えたんだね。それじゃあ、皆」


 アレクシスが高く叫ぶ。


「総攻撃だ、フミカを捕らえろ! 彼女は危険だ、時間を与えるな!!」


 賊の雄叫び、押し寄せる気配。衛兵隊の鬨の声。

 私は、衛兵人形から呪式の紙を掴み取り、跳ねるように走りだした。

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