どこまでも共に

 衛兵人形から掴み出した呪式の紙と、買ってあった羽ペンとインク。しっかり抱えて、広場中央の水源塔へ走る。

 水盤は、いつものようにたっぷりと水を湛えている。横にいた魔力切れ確認用の人形は、さっきの強制シャットダウン命令を受けて倒れてしまってるけど、その前はしっかり手を上げていたことを確認済だ。

 私は水源塔の管理用扉を開いた。中に、水源用の呪式が書かれた銅板が設置してある。水源用の設備とはいえ、この部分は直接水を受ける場所ではないから濡れていない。魔導石から水を生み出すシンプルな呪式が、大昔から変わらぬまま刻まれている。

 衛兵人形から取ってきた呪式を素早く確かめ、うちの一枚を選び出す。

 水源用の銅板を外し、空いたスペースに選んだ紙を貼り付ける。

 その間にも、賊と衛兵隊の戦いは続いていた。数で勝る賊が押し気味だ。衛兵隊がじりじりと後退し、包囲網が確実に狭まってくる。

 水盤の水は、子供の腕くらいの金属管を通って水盤に注がれている。管を少し動かし、盗賊たちが集まっている辺りへ向けた。

 大きく息を吸う。

 喉がカラカラなことに、不意に気付く。ひとつ唾を飲んで、声を張り上げた。


『我が声を聞きし、すべての水源に命ず。水を放て!』


 ――凄まじい勢いの水流が、射出された。

 強烈な水の砲撃が、賊をなぎ倒す。

 管の角度を変え、もう一度叫ぶ。


『我が声を聞きし、すべての水源に命ず。水を放て!』


 噴出する、高圧の水。

 射線上の賊が、吹き飛ぶ。

 衛兵隊から、驚きとも喜びともつかない歓声が上がる。

 ……賭けではあった。衛兵人形が得物を「放つ」動作は、私とあいつが共通化した。だから「矢を放つ」も「投槍を放つ」も「投石を放つ」も、使っている呪式は全部一緒だ。

 だったらそれを、種火もしくは水源と組み合わせたらどうなるだろうか?

 種火の方は、ぶっつけ本番で試すにはちょっと怖すぎた。けど水源であれば、暴発しても火ほどに致命的ではないだろう。かつ、うまくいけば機動隊の放水砲みたいなことができるかもしれない。水源用の巨大な魔導石からは、高出力の水圧が得られる可能性があるから。

 ……とはいえ、ここまで綺麗に全部が思った通りにハマるとは思わなかった。正直、奇跡に近い。


『我が声を聞きし、すべての水源に命ず。水を放て!』


 管の向きを調整しつつ、発射を繰り返す。

 辺りはすっかり水浸しになり、賊たちはすっかり及び腰だ。衛兵さんがひとり、私の傍に駆けてきた。


「フミカ殿。これは……すごいですな」


 受け答えする余裕がなくて、頷きだけを返す。


「これは、もしや……種火でも、同じことができるのですかな?」

「街、燃えますよ」

「射線の管理ができるなら、賊への威嚇にはなりましょう。近隣住民は避難済です、準備だけお願いしてもよろしいですかな」


 複雑な気分だけど、ひとまず頷く。

 水源放水砲は衛兵さんに任せ、他の人形へ呪式を取りに行く。


「させない!」


 アレクシスが叫ぶ。けれど盗賊たちは、放水砲に恐れをなしてか近づいてこない。

 妨害されることなく、倒れた人形から呪式の用紙セットを取り出す。ひらひらと見せつけながら種火塔に駆け寄ると、賊たちが数人、踵を返して逃げ始めるのが見えた。


「……さて」


 種火塔の脇に立ちつつ、私は、立ち尽くすアレクシスに言った。


「この呪式を種火塔に仕込めば、超高出力の火炎放射器になる。いま撃ち出されてる水が、そのまま炎になる感じでね……そうなれば、あなたたち全員焼き払える」

「街を……灰にする気かい?」

「それはあなたたち次第。おとなしく投降してくれれば、命までは取られないと思うけどね……消し炭になっちゃったら、選択の余地もないよ?」


 また、賊たちが数人逃げた。アレクシスの肩が、小刻みに震えはじめた。

 私は、種火塔の管理用扉を開いた。中では水源塔同様、古い呪式が書かれた銅板が鈍く光っている。


「さ、焼かれたくないなら今のうちだよ」

「……フミカ、は」


 アレクシスの口調が、ちょっと変わった。さっきまでの尊大さが消え、いつもの気弱男子が少し戻ってきている。


「僕を殺すことも、平気なんだね。やっぱり、僕は誰からも――」


 これだけのことをやらかしといて、何言ってんだか……と一瞬思った。

 けれど、アレクシスが歩んできた二十五年を考えると、仕方がないのかもしれない。家族の誰からも愛されず、成果の出ない閑職で長年冷や飯を食わされて。やっと見つけた仕事の相方(私だ)も、転籍話には乗ってくれなかった。

 なんとかしてあげたくは、ある。けど、彼はたぶんもう、どうにもならないところまで来てしまった。

 私にできることといえば、せいぜい、後腐れなく投降できるよう促してあげるくらいだ。最後まで抵抗して捕縛されるよりは、まだ減刑の余地はあるかもしれないし。

 種火塔の銅板を外し、「放つ」呪式の用紙に入れ替えた。閉じた管理用扉を、見せつけるようにぱんぱんと叩く。


「さて、これで火を『放つ』準備はできた。もう、私が手を放しても大丈夫。……いこうか、アレクシス」

「え」


 うつむいていたアレクシスが、顔を起こした。


「僕と、来て……くれるのかい?」

「行かないよ、あなたの行きたい場所には。逝くのは、もっと違うところ」


 私は、首元のペンダントを掲げてみせた。ルビーのような深い赤色が、日の光を受けてきらりと光った。


「これ作る時、あなた言ってたよね。爆発するから危ないって。だから、ちょっと細工しといたんだ。石についてるその金具にね……起爆用の呪式、仕込んどいた」


 アレクシスが、ぎょっとした表情で胸元に手を伸ばす。


「おっと、捨てたりしないでね。やろうとしたら、その前にこっちで爆破するから。ドカーン、って」

「なんで、そんなこと」

「元々、護身用のつもりだったんだけど。こんな形で使うことになるとは思わなかったよ。でね」


 私は精一杯、皮肉めいた笑みを作ろうとした。うまくいったかどうかは、自信がないけれど。


「揃いのペンダントにしたせいで、うっかりとんでもないバグが入っちゃって。……起爆命令、あなたのと私のでお揃いなんだよ、よりにもよって!」

「……分かりやすい嘘だね、フミカ」


 バレた。

 SEには多少のハッタリも必要だ。絶対に納期を守らなきゃいけない時に「大丈夫です!」と言い張って、裏でこっそり大残業して間に合わせる時とか、特に。

 このペンダントで説得工作できないか、ハッタリを仕掛けてみたけれど……ちょっと、いや、かなり滑ってしまったかもしれない。起爆装置なんて危ないもの、装身具に付けてるわけがない。

 でも、図星を突かれたからってうろたえるのは二流だ。嘘をつくなら、つき通せ。伝えたかった気持ち自体に、嘘はまったくないんだから!


「嘘じゃないんだけど。どうしてそう断言できるわけよ」

「もし本当なら、僕を止めることは簡単だった。フミカは自分のペンダントを捨てて、僕のだけを爆発させれば万事解決だった。でもフミカは、いちばん危ない時でも、そのそぶりさえ見せなかった」

「そりゃあ、ね。当然でしょ」


 ふふ、と声をあげつつ、笑いを和らげる。

 ここが、勝負所。


「言ったよね。『二人でこれを着けているかぎり、私はあなたの味方だからね』って。……捨てたりしたら、味方をやめたことになっちゃうよ」

「今、現にそうじゃないか。一緒に来てはくれないんだろう?」

「そりゃまあ、トナイのSE様は仕事が最優先だから。でもね――」


 ゆっくり頷きながら、極力やわらかい声で、話す。

 酸っぱいキャベツと、しょっぱい塩漬け肉。ひとつひとつじゃおいしくない、でも合わせて食べたら最高に美味しい。そういう二人なんだ、私たちは。

 アレクシスがいなければ、私は何もできない。私がいなければ、アレクシスはひとりで立てない。

 それを抜きにしたって――ほっとけないよ。こんな頼りなくて、泣き虫で、友達いなさそうで、でも生真面目でがんばり屋な、二十五歳男子を。


「――仕事の次くらいには、あなたのこと好きだから。アレクシス」

「嘘つき」


 アレクシスはうつむいた。

 うつむいて肩を震わせながら、ぽつりぽつりと言う。


「嘘だ、よ。わかってるよ。僕の、ことを……愛してくれる、人なんて、この世にいない……けど」


 アレクシスは、水浸しの地面に膝をついた。濃紺のローブに水がしみて、重い黒に染まっていく。


「嘘でも……そんなこと、言ってくれるの。フミカ、だけだよ……」


 アレクシスの言葉は、切れた。

 瓶底眼鏡を押さえつつ、彼はすすり泣いていた。

 取り巻きの賊たちは、放水砲に恐れをなし、すっかり逃げ去ってしまった。ひとりうなだれるアレクシスの両側から、衛兵が駆け寄り、首筋に剣を突き付けた。

 それが、すべての終わりだった。

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