はじめてのお手上げ
「細かく?」
食べ終えたお皿を重ねながら、アレクシスが首を傾げる。
「魔導人形、手を上げようとして倒れちゃったけど……ってことは、手じゃなくてどこか違うところが動いた、って考えられるよね。だったら『手を上げる』のうち、『上げる』の方はたぶん合ってる。『手を』の方が、指定を間違っちゃってただけで。だから」
重ねてもらったお皿を脇にどけて、空いたスペースに呪式の紙を広げる。びっしり書き込まれた文言には、今はまだ章区切りもない。
「もっと小さな単位で見ていけば、どこで間違ったかがわかると思うんだ。どこで、手じゃなくて他の部分を動かしちゃったのか。そこさえ直せば正しく動くと思うし、それに――」
私は、横たわる人形をあらためて見た。
人形というだけあって、あたりまえだけど、人間と同じ手足が付いている。よくよく考えたら、これを立たせて動かすってすごい難易度だ。まず全身のバランスを取るのが簡単じゃない。重心を維持したまま動かそうと思ったらさらに大変だ。人間の赤ちゃんだって、ハイハイして立ち上がるまでに一年ぐらいかかるんだし、決して易しい動作じゃない。
だけど今の私たちは、少なくとも「まず立つ」はクリアしてる。すごい。
しかも「どこかの部位を動かす」も、たぶんできてる。超すごい。
あとは「どこか」さえ、どうにかすればいい。しかも、そこをクリアできれば別の展望さえある。
「――うまくすれば手だけじゃなくて、他の色々な部分も動かせるようになるかも。『手を上げる』だけじゃなくて、『頭を上げる』も『足を上げる』も、共通の呪式でできるようになるかもしれないよ!」
「それって、何かいいことがあるのかい?」
アレクシスは、あんまりよくわかっていない感じだ。
「『手を上げる』『頭を上げる』『足を上げる』を、全部別々に書くのとどう違うのか、僕にはよくわからないんだけど……無理に共通にしなくても、同じ呪式を三回書けばいいだけじゃないのかな」
ああ、新人さんがよくやるやつだ。ループ文を使って「○回繰り返す」って書けばいいところに、同じプログラムコードを十行ぐらいコピペで並べたりとか。
「三回ぐらいだと、違いはあんまり分からないかもしれない。でもこれが十とか二十とか、百とかになってくると、見やすさ分かりやすさが全然違ってくる。それに、修正とか改良とかをしようと思った時に、百箇所直そうと思ったら絶対どこか漏れるよ。断言してもいい」
「そういうものなのかな……」
「そういうものだよ。トナイのSE様を信じなさいって」
広げた呪式に、あらためて目を通す。今はまだアレクシスに頼らないと、どこの行が何をしているかわからない。でも各行の役割さえ整理できれば、きっと道は開けるはずだ。
「はじめから一行ずつ、細かく説明すればいいのかな。ええと、まずは――」
アレクシスの指先が、書き込まれた呪式の上をなぞっていく。
色白な指には、ところどころ固そうなたこが見える。工具やペンを使い込んだ証拠なんだろうな、と思いつつ、私は説明に耳を傾けた。
細かく説明してもらうと、あのポエムもどき、実はずいぶん込み入った内容だった。魔力の流し方や止め方、部品同士の相互作用などなど、細かすぎる解説が延々続く。どこをどうすれば動かす対象が変わるのか、ちょっとこれじゃわかりそうにない。
それでもどうにか、数箇所あたりをつけた。うち一箇所を書き換え、魔導人形に入れてテストする。
……今度は倒れなかった。けど、すごい勢いで頭を前後に振り始めた。
「超高速赤べこ……」
思わず笑ってしまった。卵みたいな頭部が超高速で頷きまくってると、なんだかシュールギャグの世界に思えてくる。大笑いする私を、アレクシスはきょとんとした顔で見つめていた。
とはいえ、笑っていても作業は進展しない。次の箇所を直してみると、今度は起動しなくなった。次、さらにその次――直すたび、人形の挙動は変化したり、しなかったりする。
そしてついに、その時はやってきた。
十何回目かの、たぶん二、三時間には及んだ書き直しの後、私は魔導人形に命令をした。
『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。手を上げよ』
さすがにそろそろ疲れてて、私もアレクシスも、発する言葉からはすっかり気合が抜けてしまっていた。でも、幾分ぞんざいだった言葉の直後、魔導人形は低い唸りを響かせて――右の手を、ゆっくりと上げた。
「あ」
「え」
声がふたつ、重なる。
「できたね。……フミカ」
「……だね」
大声を上げる気力ももう残ってなくて、ぼんやりした答えになってしまった。職場で、原因不明の大きなバグをひとつ潰した時のような、疲れ混じりの脱力感がある。
一方で、アレクシスは浮かれていた。歌うような声色で、命令を繰り返す。
『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。止まれ』
『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。起きよ』
『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。手を上げよ』
停止し、起動し、手を上げる――三つの命令を、アレクシスは何度も繰り返す。興奮混じりの言葉に合わせて、魔導人形は何度も止まり、起動し、手を上げる。
思えば私も、学校ではじめてプログラムを動かした時はこんなだったな、と思い出す。自分が書いた内容を、コンピュータがそのとおりに実行してくれるのが嬉しくて、何度も繰り返し実行したっけ。
アレクシスは魔導人形の開発を長年やってるはずだけど、呪式は昔の物を引き継いで使ってたという話だから、自分で一から書いたことは、ひょっとしたらなかったのかもしれない。
うん、嬉しいよね。自分で書いたものが、その通りに動くって。
工房の窓を見ると、外はすっかり暗くなっている。ランプの灯りに照らされながら、アレクシスは何度も何度も、三つの命令を唱え続けていた。
楽しそうなアレクシスを横目に見ながら、私は、夕食時にとっておいたワインを二つのマグに注いだ。
このお酒は、きっとおいしいだろう。たとえ、味が口に合わなかったとしても。
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