はじめての異世界飯

 アレクシスが落ち着くのを待って、私は、まっさらな紙一枚を机に広げた。ぼろ布の繊維を主原料にしてるとのことで、表面はだいぶ粗い。耐久度等を考えたら、本当は原本のように羊皮紙に書くのがいいらしいんだけど、テスト用にそんな高価な物はもったいない。


「それじゃ、試作の呪式を作ろうか。アレクシス、どれとどれが起動に必要な行なのか、教えてもらっていいかな。他の機能に関わっててもいいから、とりあえず全部」


 アレクシスが指差した先は、思った通り巻物の先頭あたりに固まっている。文言を確認しながら、羽ペンで新しい紙に書き写していく。……意味は分かるとはいえ、知らない文字、知らない言葉を写しているとちょっと不思議な気分になる。

 指差し確認しながら行を写し終わり、次は「手を上げる」ための行だ。こっちは場所がばらばらだった。主に真ん中あたりだったけど、先頭近くや末尾近くにも、何行か関連する項目があるようだった。

 だいたい三十分くらいかけて、私は呪式を指示通りに写し終わった。あとは、魔導人形に入れてテストだ。元の呪式が入っていたのと同じ位置に、呪式の紙を巻いて入れる。


「起動、やってみる?」


 アレクシスが、呪式格納部位に蓋をしながら言った。


「私でもできるの? 魔力とか必要ないんだ?」

「動力は魔導石から供給しているから、大丈夫だよ。指定の言葉さえ唱えれば、誰でも動かせる」

「……それ、逆に危なくない? 敵に操られちゃったりとかしない?」

「昔は、特定の主人にだけ従わせる呪式もあったらしいんだけど……主人がいなくなった時に誰の命令も聞かなくなって、壊すしかなくなったそうだよ。それ以来、主人の指定はされなくなってる」


 権限管理すらフリーパスなのか、この人形。実用化する前には、言うことを聞く相手もどうにかして指定可能にしておかないと、色々怖いな。


「ともあれ。命令するには、『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず』の後に、させたいことを言えばいい。今回は『手を上げよ』だね」

「わかった」


 私は何度か深呼吸をした後、立てかけられた魔導人形と向かい合った。マネキンのような白い肌、白い顔。少し汚れが付いてはいるけど、他には模様も表情もない。宵闇の中、ぬっと出てこられたりしたら、正直ちょっと怖いと思う……けど、ここは昼間の工房だ。恐れるものは何もない。

 意を決して、声を発する。


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。手を上げよ!』


 魔導人形に、モーター音めいた低音の震えが走り――次の瞬間、派手な音を立てて床に倒れた。


「……やっぱり」


 予想はしていた。

 書いたプログラムが一発で正常に動くなんて、普段の業務じゃまずありえない。いくら正確に書いたつもりでも、大抵どこかしら変な動きをする。人間が書くものだから、最初から完璧にならないのはしょうがない。

 だから今回も、最初から正しく動くとは思ってなかった。


『我が声を聞きし、すべての魔導人形に命ず。止まれ』


 アレクシスの声で、魔導人形は動作を止めた。

 一緒に、倒れた魔導人形の様子を確かめる。少し擦り傷はついたけど、幸い、部品に大きなダメージはないようだ。瓶底眼鏡を押さえながら、元研究員様はまたうつむいた。


「やっぱり……だめだった。僕は、魔導人形に手を上げさせる程度の簡単なことさえ――」

「はいはい、いちいち落ち込まない」


 目を潤ませているアレクシスを、とりあえず手近な椅子に座らせる。窓の外はまだ明るくて、工房の中も昼の光で満ちているけれど、背を丸めている元研究員様の周りだけ、どんよりした何かで満ちているような感じがする。

 ……真昼の太陽みたいに明るくなれとは言わない。けど、研究を続行できる程度には元気になってもらわないと、私が困る。


「まったく新しいプログラム……じゃなくて呪式を、一から書き起こしてるんだから。それも、機能がごちゃごちゃに入り組んでる中から抜き出して。なにかしら動いただけで上出来だよ。正直、最初は全然動かない可能性も高いと思ってた。アレクシスはよくやってくれたよ」

「……そう、かな」

「そうそう。ボディが動いたってことは、ひとまず起動まではうまくいってるってことだし。いちど動かせたなら、少しずつ呪式を書き変えながら、動き方の変化を見ることもできるよ」


 とはいえ、ちょっと疲れた。次にやるべきことは、写した中でどの行が間違ってるかの精査だけど、その前に一息つきたい。

 その時ちょうど、工房の扉がコツコツと鳴った。メイドさんが二人、お盆に盛った料理を持って入ってくる。じゃがいもとソーセージの炒め物、キャベツの漬物、塩漬け肉、細長いパン……次々と手際よく、工房の机に並べられていく。最後に瓶入りのワインと、陶器のマグ二つを並べ、メイドさんたちは一礼して帰っていった。

 工房が、すっかりレストランになってしまった。


「これ、私がいただいていいの?」

「もちろん。全部食べていいよ、僕のはいつでも厨房に頼めるから」


 流石に、その言葉に甘えるわけにはいかない。量もどう見ても二人前だ。並ぶ皿を半分ずつに分け、私はテーブルに着いた。促して、アレクシスも向かいに座らせる。

 目の前の机は、どう見ても食事用じゃない。焦げ跡や擦れ跡が無数について、使用感がすごいけれど、こんな食卓もエンジニアならではの風情があっていい。それに少なくとも、職場で残業中にパソコンデスクで食べるコンビニ弁当よりは、見た目の時点でずっとおいしそうだ。

 ワインは今日の作業が終わるまでとっておくとして、食べ物は熱いうちに食べてしまおう。


「いただきます」


 軽く手を合わせ、まずキャベツの漬物から口に入れる。……くったりした葉に酢の風味が染みていて、すごく酸っぱい。ちょっとピクルスっぽいけど、あれより酸味がきつい。正直ちょっとつらい。

 せっかくのいただきもの、まずいとは言いたくないんだけど、たぶん顔に出てる。アレクシスが、不思議そうな顔でこちらを見ている。


「おいしい?」

「……おいしい」


 精一杯うれしそうな声を作ったつもりだったけど、たぶん顔の方が引きつってる。アレクシスは苦笑いしながら、手元の塩漬け肉をナイフで切った。


「フミカは味覚もちょっと違うんだね。それ、僕はお肉と一緒の方がいいな」


 言ってアレクシスは、お肉と酢漬けキャベツを交互に自分の口へ運んでいく。……これ、肉の付け合わせだったみたいだ。

 あらためて、塩漬け肉を少し切っていただく。濃縮された肉の味も塩味も強いけど、酸っぱいキャベツを続けて食べると、両方の尖り方がいい感じに口の中で噛み合ってくれた。なるほど、この二つはこうやって食べるものなのか。

 肉を食べるとキャベツが欲しくなり、キャベツを食べると肉が欲しくなる。合間にソーセージとじゃがいもの炒め物も挟みながら、私はあっというまに置かれた皿を食べ切ってしまった。


「おいしかった?」


 今度は朗らかな声で、アレクシスが訊いてくる。


「おいしかった!」


 今度は、私の側も即答だった。

 単品でダメだと思ってても、組み合わせ次第でおいしくなることはある。単純なことだけど、真理だ。

 思えば、プログラミングも似たようなものかもしれない。単品ではたいしたことのない機能を、順番に並べたり繰り返したり分岐させたりして、役に立つ機能に仕上げていく。

 だったら、まずは、お皿を分けなきゃいけない。キャベツと塩漬け肉とソーセージとじゃがいも、同じ皿にぐちゃぐちゃに乗ってる状態じゃあ、意図的に組み合わせることもできないから。

 そう考えれば、次にやるべきことも、あらためて決まってくる。


「……アレクシス。写した呪式、次はもっと細かく分けよう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る