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 バー『ユートピア』は夜も眠らない街の中に店を構えていた。街が眠らないとはいえ賑やかな界隈を離れていけば人通りは途端に少なくなり、繁華街の華やかさとは対照的に真っ黒な闇が路地のそこかしこに貼り付いていた。経済特区であるこの都市は急速に発展し、なおも経済成長をし続けている街だったが、街全体が違法増改築を繰り返しているようなもののため、監視の目が行き届かない場所も日々増えていた。

 東雲は無線のアナウンスとデバイスに表示し続けている地図とを照らし合わせて、強盗犯の行き先を推測する。この街は急速に姿を変えているため、デバイスの地図情報の更新が追いついていない。東雲の目の前にある道が地図には反映されていなかったり、はたまた地図上では表示されている道が見当たらずに登録のない建物が立ち塞がっていたりする。そしてこういった場所には監視カメラやデバイス検知のセンサーが設置されていないということは珍しくない。

「――おそらくこの区画……僕が犯人ならここに逃げ込む、かな。顔も割れてしまっているからわざわざ人目につくようなところを通らないだろう」

 ホロ画面に表示された地図の隣に強盗犯と思しき黒い衣装に身を包んだ男の画像が表示されている。逃走初期は監視カメラ対策のために光学偽装のマスクを着けていたが、派出所の警察官と揉み合いになった際に装置が脱落し、男の顔が監視カメラの下に曝された。監視カメラで男の顔を捉えることはできたものの、結局その警察官はその場で犯人を確保することは叶わず、男を捕り逃す様子までしっかりと記録されている。その警察官は犯人を追い続けているようだが、明らかに新人といった風格の警察官で、捕り逃した焦りから顔面が真っ白になっていた。

 点在するカメラで強盗犯のフェイシャルスキャンはされ続けているものの、次第に新着情報が減ってきていた。東雲の読み通り、監視カメラやセンサーで検知されない場所を選んで逃走している。

「この辺りやったら、海路やら地下水道やらに逃走ルートを仕込んどくことはできるしなあ……カメラもセンサーもないし、悪いことするヤツにとっては居心地のいい場所やで」

 東雲の言葉に千葉も同意し、闇の中に視線を巡らせる。息遣いで互いがどこにいるのか把握はできるものの、極端に明るさの足りない路地では表情を読み取ることも難しい。しかしそれでも千葉の目には辺りの様子が見えているようだった。

 地図上に表示される警察官の追跡反応が数区画先で鈍くなっていた。

「――男を見失ったか」

「……あんだけ組み合ったファーストコンタクトで捕り逃すくらいやし、ヘボい新人に期待なんかしてへん」

 東雲の共有していたホロ画面のライトを浴びる千葉の表情は冷たいものだ。男に対しては一等シビアな評価を下す人間だった。

「君は手厳しいね」

「祥ちゃんかて、そう思ってたやろ」

 千葉がホロ画面を閉じると再び路地は真っ暗となった。ふたりは声のトーンを落として囁き合う。いよいよ逃走者の情報が途絶える。ふたりは建物を背に左右に一本ずつ通る道をそれぞれ見張っていた。その二本の道は申し訳程度には街灯が設置されているため何者かが通れば発見は容易だが、一方ふたりが身を隠す路地は真っ暗で第三者が彼らの姿を見つけるのは少々難易度が高い。側溝に整備された水路に流れる水の音や遠くで排出された工場の排ガスを押し流してくる風の音はするものの、それ以外は極めて静かだった。

 東雲がチラリと隣の千葉を見る。やはりこの路地で相手の表情を確認するのは難しい。しかし千葉があくびを噛み殺しているのだけは東雲にもわかった。

「千葉くん……疲れていそうなのに、どうして手伝うなんて言ったんだい」

「そんな疲れてへんって……おもろそうやから着いてきただけ」

「ただの捕物だよ。君には退屈じゃないか?」

 荒事に慣れている千葉にとって、多少の危険が伴うとはいえただ泥棒を捕らえることは面白みがないのでは、と東雲は考える。その上、千葉を何事かメリットがなければ動かない人間だとも思っていた。面白みもメリットもないこの事件を何故自ら望んで引き受けたのか、東雲は腑に落ちていなかった。

 そして納得のいっていない東雲に対して、意外な言葉が発せられた。

「――真剣勝負の続き」

「……ほう?」

「今日は朝まで飲み明かす」

「なんだって?」

 捕物の現場がまさしく目の前に迫っているという場面にはそぐわない発言だった。加えて、千葉はどちらかといえば酒に強い方ではない。酒宴を楽しめる程度には飲めるものの、東雲の飲みっぷりと比べると見劣りしてしまう。東雲はその両方の面から言葉の意図が理解できず、再度千葉の発言を促した。

「それはどういう……」

「祥ちゃん、強盗を捕まえたら調書やなんやで警察署行かなあかんやろ?」

「そうだが……それが一体どうしたんだい」

「でも俺は今日祥ちゃんと遊びたいねんな」

「……それはできない相談だよ、千葉くん」

 強盗を捕まえてしまえば千葉の要求は叶うわけもない。しかし悪を根絶するという意志を持つ東雲が強盗を見逃すわけもない。

 東雲は目を凝らしても確認することの難しい千葉の表情をじっと見つめる。暗闇に慣れて輪郭こそわかるものの表情の機微を掴むことはできない。しかし、千葉があの柔らかい頬に満面の笑みを浮かべてこちらを見ているような、そんな感覚が突如として脳に流れ込んでくる。今再び、千葉はバーを出発する時と同じ悪巧みの笑顔でいるのだという確信が東雲の中に生まれた。

「俺はな、祥ちゃんが仕事をサボるのを見にきたんや」

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