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男を追い返そうという試みは失敗してしまい、千葉恵吾は追加のドリンクをこちらへ運んでくるとテーブルに居着いてしまった。
「はぁい、皆様方、追加のお品でございます。適当に取ってってな」
「千葉さんの仕事でしょー、それ」
渚が男の店員らしからぬ態度に笑いながらも私たちそれぞれに中身の入ったグラスを配っていく。グラスは注文の数よりひとつ多い。千葉恵吾が自分で飲むために持ってきたもののようだった。渚がグラスを配っている間に男は脇に抱えていたボードゲームの箱をテーブルの真ん中に置いていた。
「これやろう思っててんなあ、みんなも気になるやろ? 改めて乾杯したら一緒にやろうや」
「あ、それ私がプレイしたかったやつ!」と由依が歓喜の声を上げる。
「そういえば今日写真撮りそびれてるわ。乾杯の写真、撮らせてよ」
渚が前髪を整えながら左腕のデバイスを起動させる。熱心なSNS投稿者である渚が飲み会のたびに集合写真を撮るのにはみんなもう慣れていた。デバイスをインカメラにすると画角に全員が収まるように調整している。私たちもアルコールの入ったグラスを手に持ち、身を寄せた。当然、千葉恵吾も共に撮影するものかと思いきや、顔が画角に入らないように立ちっ放しとなっていた。
「千葉さんも写りなよ」
「いや、お客さんが主役やし。俺は遠慮しとくわ」
男は嫌味にならない柔らかい微笑みで渚に返事をする。その微笑みがどことなく寂しく感じたのは、単に私がこの男と一緒に撮影したかったからそう思えただけだろうか。その証左に、渚は特に気にならない様子で「ふーん」とだけ返す。
「じゃ、撮るよー。3・2・1」
結果的に友人らは私に対する様々な疑問を問い正すタイミングを逃し、私以外の四人でブロックを使った陣取りゲームに興じている。
――あくまで私を励まそうという会ではなかったのか……?
千葉恵吾がテーブルへ持ってきたボードゲームは四人専用ゲームだったため、誰かひとりが溢れてしまうのは分かりきっていた。そのため私がプレイヤーを譲ったという経緯があるが、よくよく考えてみるとおかしな話だった。
いつの間にか朱莉と私の間に割って入って座っている男。いつも通りの笑顔である。実に楽しそうだ。
チェイサーとして注文していたコーラのストローを齧る。不貞腐れているわけではない。時間を持て余して、四人を眺めるくらいしかすることがないだけだ。
「うーん、どのブロックを置くか迷うなあ」
千葉恵吾の手番が回ってきた。様々な形のブロックを広さの限られたゲーム盤の中に配置し、一番広い面積を獲得できたプレイヤーが勝利となるが、どのブロックを使うかタイミングを考える必要がある。千葉恵吾はブロックをひとつ摘み上げると、テーブルにコンコンと打ちつけながら思案している。すると、ゲームを開始してからこちらに目もくれなかったのに、唐突に男は頬杖をついて私の方を振り返った。
「千秋ちゃんならどうする?」
「えっ」
「今めっちゃ迷ってんねんなあ」
眼窩に嵌ったブラウンダイヤモンドが無邪気にキラリと光る。その無垢な輝きはおそらく何者をも惹きつける。私も例外ではない。この輝きを向けられて、誰がそれに抗えるのだろうか。
「えーっと……私もこのブロック使いますかね」
齧っていたストローから唇を離し、男の握っていたブロックを指差す。千葉恵吾は満足気に「やんなあ」と返事をしながらそのブロックをゲーム盤に嵌めた。
由依が「あー!」と大きな声を出すと、わざとらしく顰めっ面を作って千葉恵吾を睨む。
「千葉さん、千秋に聞くのは反則ですよ」
「そんなルールどっかに書いてあったかなあ」
「書いてなくてもダメでしょ!」
由依にそのように指摘された男は意地の悪いニヤケ面で肩を竦める。
「ほな、俺と千秋ちゃんのチームってことで。な、千秋ちゃん?」
「いや、今のは流れで私の意見を言ってしまいましたけど、ダメでしょ」
悪事の片棒を担がされそうになり何とか反論をする。いくらこの男の瞳が抗い難いものとはいえ、これ以上この女子グループ内で冷ややかな視線を受けるようなことをするのは避けたい。
しかしこの男は私がどうなろうと知ったこっちゃないといった様子だ。
「そんな冷たいこと言わんでもええやろ、千秋ちゃん。俺たちの仲やん?」
「……はあ?」
『俺たちの仲』が一体何を指すのか考えたくもなかったが、思い当たる節はひとつしかない。しかし下手に否定をしたり、何らかについて言及をすれば友人らに伝わらなくて良いことまでバレてしまいそうで、咄嗟に間抜けな声を出すことしかできなかった。そして苦し紛れに言葉を続ける。
「……また、適当なこと言ってますよね、千葉さん?」
「何も適当なこと言ってへんやろ」
「いやいや……適当でしょ……」
「さっきも話したけど、俺は女の子にアホみたいな冗談とか適当なこととか言わへんで?」
ニヤケ面はそのままに千葉恵吾は首を左右に振る。芝居掛かったその様子に、友人らは男の言葉が本気か嘘か判断しかねていた。
とうとうその妙な押し問答に耐えきれなくなったのは朱莉だった。神妙な面持ちで右掌を千葉恵吾の目の前に突き出して捲し立てる。
「千葉さん、ちょっと。この際、反則とかはどうでもいい。なんだか親密そうに見えるんだけど、いつの間にふたりは仲良くなったの? もしかして、千秋がひとりでこのバーに先週来ていたってのも……」
非常にマズイ流れになってきたため、私が朱莉の言葉を遮ろうとした時だった。
左手首に巻いたデバイスから呼び出し音が鳴り、これ幸いとばかりに私はその通話ボタンを勢いよく押した。椅子から飛び上がるようにして立ち上がり、テーブルから少しだけ距離を離す。私が電話に出たことに気づいた他のメンバーは会話を一瞬にして切り上げてくれた。
「はい! 高梨です!」
『もしもし』
そして私はデバイスの半指向性スピーカーから響いた声に、自分の思慮の浅さを思い知らされることとなった。
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