8

「クズ男と別れた千秋に、乾杯!」

「かんぱーい! ……その乾杯の音頭は流石に最悪すぎない?」

 大学時代からの友人とこうして今も縁が続いているというのは幸運だと思う。いつものメンバーでいつもの店『ユートピア』に私たちは来ていた。男と別れた私を慰めるというのを名目に集まったのだが、友人らにも破局秒読みであることは元々知れていた話で特に大きな動揺もなく酒宴は始まった。

 私たちは店に到着するなりビールを四人分注文した。すると今日はマスターがジョッキをテーブルまで運んできた。千葉恵吾の姿が見当たらないがそういう日もあるのかと思い一旦は目の前のジョッキに意識を戻したものの、友人のうちのひとり・由依がその男の話題を出す。スポーティーな格好で、活発そうな見た目の彼女は今日もトレーニングをしてから『ユートピア』を訪れたらしい。ジョッキのビールを半分ほど一気に飲んだ由依はポニーテールを縛り直しながら言う。

「今日は千葉さんいないんだね」

「確かに。マスターがビール持ってきてくれるの、久しぶりじゃない?」

 由依の話に朱莉――黒のショートヘアに綺麗めのタイトスカートがよく似合う――も同調して頷く。

 なんということはない話題だったがなんとなく気まずい。所詮ワンナイトの男だ。そんな人物についてどうのこうのと思う必要はない。そうは分かりながらも心が落ち着かない。

「そういえば千秋、どうして別れた日に連絡くれなかったの? いつでも集まる準備できてたのに」

 艶やかで明るい茶髪を耳にかけて、渚が私に不思議そうな顔を向けた。ルーズなシルエットの薄いニットの袖を余らせて、頬杖をついている。

「いやいや……月末で忙しかったでしょ? あと、私自身もなんだかんだショックだったみたいで、皆に連絡するのもちょっと気後れしちゃった」

「ショックだったみたい、ってあんたね……まあ、二ヶ月くらい随分とゴタゴタしてたもんね。そりゃ疲れるわ」

「最後はほとんど音沙汰なしだったよ。荷物も全部着払いで相手の家に送り返したわ」

 渚が労りの表情でこちらを見つめてくるが、逆に申し訳ない思いになってくる。別れた男との思い出は今や何の思い入れのないものとなってしまい、悲しみや感傷よりも男の荷物を整理している時の疲労感の方が優っていた。すべて捨てればよかったかもしれない、とも思ってしまうが流石にそれはできなかった。ゴミ同然のものも段ボール箱に詰め込んでいる時の虚しさが疲れの原因だった。

「送り返したってことは結局いつ別れたのよ」

 由依がグイグイとビールを流し込みながら横目で言う。

「……もう二週間前とか?」

「そんなに前なの? もうちょっと早く連絡欲しかったわ」

「そこは本当にごめん。色々話を聞いてもらってたのにね……」

「ま、色々あるもんねえ。連絡なかったのはちょっと寂しいけどさ。私たちも社会人だし、大学生の時のフットワークの軽さとはいかないかあ」

 遠い目をしながら朱莉がお通しとして出されたピーナッツを指先で弄ぶ。

 心配してくれていた友人らには連絡しなかった上に、クズ男と別れた数日以内で別の男と既に寝たという話は流石にできない。そもそも遊びで男と寝るなど私のキャラでもない。もうこうなったら謝り続けるしかなかった。

「本当にごめんね……」

 私の心を知る由もない彼女たちは必要以上にしおらしい態度の私に対しておそらく何か勘違いをしたのだろう。大慌てで店のメニューを開き、私の目の前に差し出してきた。

「千秋! 今日は飲もう? 何にする? ここは料理も美味しいもんね?」

「そりゃ引きずるよねえ……私奢ろうか?」

「浮気するようなクズ男と別れるのは正解なんだから、明るくいこう!」

 あれも良いこれも良いと、私を差し置いて三人がメニュー表を見てワイワイ騒いでいると、背後から気取った気障ったらしい声がした。

「ご注文はお決まりですか、お客様」

 振り返ると取り澄ました微笑みを浮かべた千葉恵吾が注文伝票を手に立っていた。刺繍の入ったドレスシャツの上から小綺麗なベストを着用したいつものスタイル。

 ――この下にあのホルスターを着けているのか。

 違和感のあまり出ない着こなしに妙に感心を覚えてぼんやり眺めていると、男は澄ました表情を崩し、いつもの人懐っこい笑顔で困ったように私を見た。

「千秋ちゃん……そんなに見つめられると、流石に恥ずかしいんやけど?」

「あっ、すみません……」

「千葉さん、今日出勤してたんですね。いないのかなって話してたんですよ」

 由依は既に飲み終えたビールジョッキを千葉恵吾の方へ渡しながら笑いかける。由依の笑顔に男も嬉しそうな満面の笑みで答えた。

「なになに、俺がおらんと思って皆寂しかったん? ちなみに俺は皆に会えへんかった時間、結構寂しかったけどな」

「まーたそんなこと言ってる。女の子相手にはそれ、冗談にならないんじゃないですか?」

 朱莉がニヤリと笑いながら千葉恵吾を牽制する。朱莉はこの男の接客を嫌ってはいなかったが軽薄な男が苦手な人間だった。

「俺は冗談でそんなこと言わへんからなあ」

「うーわ……」

 朱莉が舌を突き出して吐く真似をする。朱莉の表情がおかしくて、私も由依も渚も思わず笑ってしまう。

「朱莉って潔癖」と渚が言えば、

「千葉さんがおかしいだけでしょ」と千葉恵吾の振る舞いについて一蹴した。

 取りつく島もない朱莉の発言に男は気まずそうに笑みを浮かべると、話題を変えるためか私に話を振ってきた。

「そや、千秋ちゃん、今日は皆で来てくれたんやな。予定合って良かったやん」

「今日は皆で?」

 渚が驚いて千葉恵吾の言葉を繰り返すと、渚を含む友人三人共が私の方を勢いよく振り返る。そして男は何の気もなしに話を続けた。

「先週は千秋ちゃんひとりで来てくれてんで。一緒にトランプしてん」

「……そうですね」

「千秋ちゃんめちゃくちゃ弱かってん。みんな鍛えてあげてや」

 あれは絶対にトランプに仕込みがあっただろうとか何とか色々ツッコミたいところはあったが、それよりも気にかかるのは女友達の冷たいやら好奇心やら様々な感情に満ちた視線だ。

「……とりあえず注文お願いしていいですか」

 友人らの視線を一旦無視することにする。

 私ができることは一刻も早くこの男をテーブルから追い返すことだった。私の焦りに気づいているのか、いないのか。男はニコニコといつもの笑顔で注文伝票を構える。

「お伺いしましょう」

 その余裕のある振る舞いが非常に優美で見惚れてしまいそうだった。

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