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「じゃ、親の俺からいくで」

 千葉恵吾は山札の一番上のカードを表に向け、カウンターへ置いた。私たちの丁度中間の場所に置かれたカードの隣へ、私のカードも裏向けたまま差し出す。

「ハイ、ロー、どっち?」

 開かれたカードはハートのキング。これよりも数字の大きいカードは存在しない上、同じキングを引く可能性も51分の3――ゲーム序盤であるため限りなく低い確率だ。私が選ぶべき答えは決まりきっている。

「勿論、ローです」

 新しいグラスから一口シャンディガフを飲み、それはもう自信満々に答えてみせた。そして私はグラスを置き、勢いよく手札をひっくり返す。

 そのカードの印刷を見た千葉恵吾は「ふふふ」と笑い声を漏らした。

「ほんま幸先悪いやん。ダイヤのキングか」

「……うっそでしょ」

「逆に運が良いかもなあ。このゲームではアウトやけど。同数の場合は捨て札やから没収やね」

 驚きのあまり硬直してしまった指の下からカードがするりと抜き取られ、親の札と共に私の手札が捨て札となってしまった。私にとってはあまりに波乱のスタートである。

「どうして……」

「ありがたい引きやなあ。ほな次は千秋ちゃんが親やで」

 悔しさを押し流すようにもう一口カクテルを飲む。シュワシュワと弾ける炭酸とほんのり甘くて苦い味が先程よりも随分甘ったるく感じたが、どこか心地良い。千葉恵吾に促されて山札のカードを捲ると、ハートのジャックが現れた。まだまだ互いに山札がある状態では確率の高い選択肢を取るのが定石だ。そして千葉恵吾は私の予想通りの答えを口にする。

「ロー」

 宣言の瞬間には男の手札は表になっており、そのカードにはハートの7が印刷されていた。千葉恵吾は特に喜ぶでもなく、さも当然というような振る舞いで私のカードと自分のカードを手元に回収した。そして流れるように山札のカードを一枚捲り、中央へ置く。

 開示されたカードはスペードの8だ。まだまだ序盤。冷静に確率の高い選択をすれば良い。

「どっちでしょうか?」

「ロー」

 宣言と同時に手札を表向けるとスペードの5が印刷されているのがわかった。これでやっと私は持ち札を獲得することができる。

「よし……」

「まだ一組目やのにそんなに喜ぶなんて……ほんま千秋ちゃんって負けず嫌いやなあ」

「コツコツと勝ちを重ねていくのが大切なんですよ、こういうのは」

「それについては同意見やな」

 余裕そうな男の微笑みを見て、私は今に見てろよと思いながらもう一度グラスを手に取る。そして小さな勝利の祝杯を掲げて、中身はどんどん胃のなかに消えていく。

 勝負はまだ始まったばかりだった。そこからしばらくは定石通り、確率に則った動きをふたり共繰り広げていく。運が関わる勝負であったため、途中で何度か予想が外れて互いに捨て札が発生するターンもあった。

 私が親となり、カウンターに開示した手札はハートの9。9よりも数の小さいカードも大きいカードもある程度場に出てきたタイミング。しかし、総数だけで考えるとハイを選ぶにはリスクのある状態。千葉恵吾は胸元のポケットから電子タバコとカートリッジを取り出し、カートリッジを本体へ挿入するとそれを口元へ運ぶ。私に煙が吹きかからないようにするためか、顔を天井へ向けながら煙をふうっと緩く吐き出す。露わになった首と喉仏の男らしさはなんとなく目に毒のように思えた。

「……ハイ」

 タバコを支えている手とは逆の手が千葉恵吾の手札を捲る。ダイヤの7がカウンターの上に姿を見せた。男の目がスッと細められると、二枚のカードが速やかに捨て札の山へ移された。

「千葉さん、今、結構な賭けに出ましたね?」

 千葉恵吾の予想が外れたことの嬉しさに、思わず彼の行動を指摘する。すると男は目を真剣に細めたまま、唇だけを弓形に曲げて歪な笑みを作る。そして再びタバコを咥えた。

「勝つためには安牌ばっかり取ってられんやろ」

「私ならローと宣言していた場面ですけどね」

「そんなん結果論やわ」

 人に負けず嫌いと言ってきた本人も相当負けず嫌いなのかもしれない。少し悔しそうな男の顔を見るのは快感に近いものがある。

 山札からカードを伏せたままカウンターの中央に差し出すと、千葉恵吾も山札から一枚カードを取り、表に向けて置く。カードはクローバーの3だ。3以下の数がどれほど場に出たか記憶が定かではないが、何枚かゲーム上に現れていた覚えがある。そうであるなら私の取るべき手は決まっていた。

「ハイ、ですね」

 一ターン目以来の大いなる自信を迸らせ、私は自分の手札を開示する。

「ウッ……!」

「やるなあ、千秋ちゃん。ほんま良い引きしとるで」

 千葉恵吾は満足げな笑顔を取り戻し、私の手の下のカードと自分の手札を捨て札の山へ移動する。私の手はハートの2であった。

「なんで!」

「そりゃあ安牌ばっかりでも勝てへんってことやろ」

「グゥッ……それこそ結果論じゃないですか」

 先程の会話と立場が逆転した状況で悔しさが胸に込み上げてくる。その熱を押し戻すため、さらにシャンディガフを煽った。アルコールによってどんどん体が熱くなっていくが、毎ターンの一喜一憂がさらに私の体温を上げているように感じた。

 ターンを重ねていくと自然に互いの山札は減っていき、とうとう最後の一枚になった。親である私の手札はクローバーの4。私は千葉恵吾の最後の一枚が何なのかまったく検討がついていなかった。ハイとロー、どちらを選んでも外れるかもしれないという絶妙な数字だ。

 千葉恵吾は吸い終わったタバコのカートリッジを手近にあった灰皿へ入れると宣言と同時に手札を開く。

「ハイ」

 男の手の中にあったのは、なんとスペードの4だった。

「同じ数やから、捨て札か」

 真剣味が増した低い声で呟くと、千葉恵吾は二枚のカードを捨て札山へ移す。そしてグラスの中のカクテルを勢いよく半分ほど流し込み、ニヒルな笑みをこちらへ向けた。

「じゃあ、持ち札を数えよか」

 少々バラけていた持ち札を整えてカウンター上で数えていく。二十枚。キリの良い数字だが勝利のためには少し頼りない数だった。男の持ち札はどうだっただろうと視線を動かせば、既に数え終えており、千葉恵吾は二本目のカートリッジを電子タバコの本体に挿しているところだった。

「うーん……引き分けかもな」

「えっ、どういうことですか」

「とりあえず結果発表といこうや、せーの」

「「二十」」

「引き分けだ……!」

 千葉恵吾が捨て札の山を数えた形跡はない。己の持ち札を数えたときに既に引き分けという結論を出していたことになる。並外れた記憶力の持ち主であれば終盤ほど有利であるが、この男にそのような特殊能力があったとも思えないし、仮にそういう力があれば勝ちを掴むことなど造作もないことのはずだ。

「どうして引き分けってわかったんですか。私、まったくそんなこと気づいてなかった……」

「自分の持ち札が二十枚ってわかった段階でなんとなく……勝つなら二十二枚以上は欲しいところやったけど案外捨て札が少なかったからなあ。やから引き分けかなあって」

「すごい……私、そんなことにまったく気が回ってなかった……」

「いつもよりハイペースで飲んでるからやろ、多分。フードが来ても気づいてないみたいやしな」

 ハハッと笑いながら千葉恵吾はカードを一ヶ所に掻き集め、近くに置かれていたフィッシュアンドチップスを私のスペースへ置き直した。配膳されてからあまり時間は経っていないようで湯気も上がっているが、まったくその存在に気づかなかった。

「ありがとうございます……思ったより、ゲームに夢中になってました」

「そうやろね……同数で始まって同数で終わるのはなかなかドラマチックな展開やったなあ。しかも引き分け」

 このまま終わるのは味気ない――そんなことを思いながら目の前に置かれたバスケットからフライドポテトをつまむ。千葉恵吾も酒を飲みながら煙をぷかぷかと吐き出していた。その目は何か言いたげに私を見つめている。優しげな、しかし意地悪な笑顔の眼差しに私は落ち着かない気持ちだった。居ても立ってもいられず、フライドポテトのしょっぱさで満たされた口内を残りわずかなシャンディガフで濯ぎ流した。

「……あの、勝負、決まってませんよね」

 落ち着かない気持ちを誤魔化す目的もあったが、味気なさや物足りなさが私を駆り立てる。まだこの男とゲームを続けたい。そんな思いだった。

「もう一回しませんか」

「……次こそ俺が勝つのに?」

「私が勝って、お酒を奢ってもらいます。マスター! おかわりください!」

「ちょっ、何勝手に追加注文してんねん! マスター、俺も!」

 私のオーダーの声に負けずに千葉恵吾も声を張り上げる。私も、この男も、大の大人が子供のようにはしゃいでいる。そんな空間が心地良くてたまらずに笑ってしまった。

 少し離れた位置でグラスを拭いていたマスターは呆れ顔でこちらを見ると「畏まりました」と静かに応えてくれた。

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