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「ゲーム?」

 通常、バーカウンターでボードゲームをする客はいない。追加のドリンクを注文しに一時的に腰を落ち着けているか、ゆっくりと酒を楽しむ客のどちらかだ。そもそもカウンターの狭さでできるゲームなど限られている。

 千葉恵吾は懐から小さな箱のようなものを取り出して蓋を開ける。紙製のトランプケースであった。ケースの角は擦れて脆くなっているが、肝心の中身は綺麗なカードの束だった。男は大きな手のひらでカードをシャッフルしながら艶かしい笑みを浮かべている。

「せっかくボードゲームバーに来てるんやから、楽しんでってほしいねんなあ」

「トランプ、ですか」

「お酒を飲みながらやるゲームやし、そんな小難しいゲームはせえへんよ。ハイアンドローってわかる?」

「なんとなくなら。親のカードより自分の手札の数が高いか低いか当てるゲームですよね」

「そうそう。当たってたら自分の持ち札になるし、外れたら捨て札になる。親は一回ずつ交代でやって、最終的に持ち札の多いプレイヤーの勝利」

 ルールの詳細を説明しながら、千葉恵吾は鮮やかな手つきでトランプをふたつの山に分け、その内のひとつを私の目の前に差し出した。そして悪戯を企む少年の表情が、再びその男の顔に浮かんだ。端正な大人の男の顔つきとあどけなさすら感じさせる表情のギャップに、私の心臓が大きく高鳴った。その表情はちょっとズルいなあと、心の中で呟く。

「どうせ勝負するなら何か賭けた方が楽しいと思わへん?」

 自信を滾らせた企みの笑顔。目の前の男はこのようにして様々なことを楽しんで、物事を押し通してきたのだろうかと余計な推察を挟んでしまう。顔の良い人間は羨ましいなとも思った。そんな笑顔を向けられてはこちらも千葉恵吾の意見に賛同するしかなくなる。

 私は差し出された手の中の山札をそっと受け取り、カウンターに置いた。ツヤツヤとしたトランプの表面が気持ち良い。カードの表面を撫でながら、その男の目を見つめ返した。

「まあ……私もそう思います。では何を賭けます?」

「何がええかなあ。定番はお酒代を奢るってやつかな」

「そうしましょうか。では私は千葉さんの奢りでお酒を楽しませていただきますね」

「もう勝った気でおるんかあ、えらい強気やなあ。千秋ちゃんが払うハメになるかもしれんのに」

「勝負事は勝つ気でいないと面白くないでしょう?」

「それもそうやな……ほな、親の決め方やけど、コイントスでええかな? 当たったら親で」

 私が頷くのを見て、千葉恵吾は己の背後へ手を回すとピスポケットから銀色の硬貨を取り出した。色々なところから様々な物が出てくるものだと感心する。目の前に掲げられた大振りのコインは何やら細かく彫刻が施されており、表面は獅子の紋章、裏面には円周に沿って文字が彫られている。実用品ではなく観賞物のようだった。しかし千葉恵吾にとってはそれが観賞物であることは些事なのか、構わず親指でそのコインを弾き、左手の甲へ乗せ、右手で覆い隠した。パシッと手の甲を叩く音がすると同時に、千葉恵吾は「表か裏か」と私に問う。

「うーん……裏で」

「ショータイム」

 低く囁かれた声がやけに色っぽい。何かしらの雑念が頭をよぎった気がしたが、気のせいだと思い込むためにもゆっくりと開かれる手に注視した。しかし注視するほど男の大きな手のゴツゴツとした様に、私自身の手との造りの差を見せつけられてどぎまぎしてしまい、その努力は無意味となった。

 男に飢えている自覚などない。むしろ懲り懲りとすら感じているはずなのに、目の前の男はそういった私の躊躇を軽々と越えてきてしまう魅力がある、ように感じられてしまう。男の端正な顔立ちのせいか、逞しい肉体のせいか、バーの雰囲気のせいか。原因を考えたところでどうしようもないが、理由が欲しかった。理由があればこの衝動が湧き起こるのも仕方ないと思うことができるからだ。

 手の甲に乗った硬貨は獅子の紋章を天井に向けていた。表だ。

「ハズレ。幸先悪いんちゃうかあ、千秋ちゃん」

 千葉恵吾は口角を片方だけ吊り上げて意地悪な笑みを浮かべた。男はいつの間にかカウンターに出されていたシャンディガフのグラスを手に取り、私の方へ突き出す。

「ほな、勝負開始といこうか、千秋ちゃん。俺の勝利に乾杯」

「……私の勝利に、ですよ。乾杯」

 グラス同士を突き合わせると小気味の良い高い音がカウンターに響く。

 それを合図に私たちのゲームはスタートした。

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