第七話 生け贄1――楼香と出会うまえのこと


 この世の奇跡のような美しさを放つ女性がいる。

 不思議な女性だ、絶世の美女で他者を圧倒させながら、正常な人間をあまり近寄らせない性質があるのだから。

 墨染め色の髪に、雀色の瞳はきらきらとしていて、どこか艶がある。唇はぷるんと厚ぼったく、いつも仄かにピンク色。瞳は長い睫で覆われていて、限りなく均整の取れた顔つきだった。

 スタイルはよいのに表情が豊かな方ではなく、人形的な美しさも感じる。

 それが市松にとってのお気に入りである、佐幸輝夜さゆきかぐやという女性であった。

 一時期は大事に保護していたのだが、とある時期から市松は隠れて保護するようになった。

 輝夜にばれないように痕跡も残さず、輝夜を守って退散する日々だ。

 輝夜は楼香より怪異に好かれやすく、さらに言うと怪異を呼び寄せやすい存在だった。

 美しさだけでなく、輝夜の困ったところは誰も否定しないで全て受け入れるところだった。

 異常性のあるやつらほど固執していく、否定されないという存在はそれほどに魅力的だ。

 市松はその愚かな善人を気に入っていた。


 双眼鏡を手に、ビルの屋上から覗き込む。足下には鯛焼きがたっぷり詰まった紙袋。中の鯛焼きは少しばかり冷めている。

 紙袋から一つ鯛焼きを取り出して中を割れば、ウィンナーとチーズ入りが見える。

「ハイカラですねえ」

 市松は割れた片方を一口で食べ終わると、もう片方を片手に双眼鏡を再び覗き込む。


「いい加減戻っては来ないのか」

 桜の花弁を漂わせて、ざらっと突風が吹けば、そこには蒼髪の青年が立っていた。

 金色の目に、金色の角。ふわりと羽衣を纏い、現代の衣服を身に纏っている。

 長身の大人びた青年に気付くと、市松は双眼鏡を外し、食べかけの鯛焼きを手渡した。

 鯛焼きを手渡された青年は顔を顰めてからもぐ、と口にし美味しさに少しだけ緊張感を和らげた。


「駄目よ、先生が躍起になるまで待つの。僕が帰ってこなくて必死になるまで、待つの」

「見ていて可哀想だ、今も充分必死だと思うけどなあ」

「ううん、あんなのじゃ足りない。もっと狂った先生が見たい」

 市松は輝夜そっくりの見目を顔に表せば、うふふと笑った。はにかんで微笑む姿は魔性の性質を感じる。

 青年はもっと鯛焼きが食べたくなったのか、紙袋を勝手に漁り始めた。


吉野よしの、それ食べるなら手伝ってくれませんか」

「いいぞ、また出たのかあの兎野郎」

「はい、今回は先生にてけてけをけしかけてますね」

「本当に殺意溢れる悪戯をするのが好きな奴だな。お前の一族はどうにも、危ない奴らばかりだ」

「ご苦労をおかけします」


 市松は紙袋の鯛焼きすべてを吉野に与えると決めれば、双眼鏡をしまい込む。

 双眼鏡の先には、兎太郎がいたので元凶である兎太郎に会いに行けば撤退させてくれないだろうかと、思案する。

 それでも輝夜の安全も保証しておきたいので、吉野に輝夜を任せたという事実になる。

 吉野は鯛焼きを手に取って全てほおばってから、紙袋をくしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込んだ。


「はい、では先生のことお願いしますね、僕は警告に行ってきます」

「タイミングを合わせよう、碧の風が噴いたら頼む、その頃には止めてくれ」


 吉野は告げればしゅっと跳躍して去って行き、ビルの下に下りていく。

 市松は首をこきこきと慣らしてから、別のビルの屋上に向かった。自分のことも言えないが、馬鹿と何やらは高い場所が好きなのだ。


「兎太郎、おやめください」

「なんだ、市松か。ちょうど今が見物だぞ、あの女それでも泣き叫ばないからつまらないんだが、他の女児が巻き込まれて初めて怯えたとこだ!」

「知ってます、見てました。他の面白いお話しを聞かせてあげるから」

「いやだ、もっともっと面白いことするんだ! あの女を虐めるだけで、沢山の怪異が喜ぶ!」

「本当に性格悪いな、俺がやめろと丁寧にお願いしてるだけではやめてくれねえのか」


 市松が気迫を変えて凄めば、兎太郎は一気に身を震わせた。

 合図である葉っぱの紛れた風が強く吹雪き、自分の髪を靡かせる。顔には輝夜の顔を現して市松は睨むのだから、美人の気迫は凄い。恐ろしい。

 兎太郎はむくれると、さっと消えていき、その瞬間怪異の気配も消えた様子だった。


「かまってちゃんは厄介ですね、困った遊びを覚えてしまっている」


 呆れた市松は双眼鏡を手にして、助かった一同を見つめる。てけてけも無事撃退出来た様子だった。

 市松はこのまま輝夜が玩具にされるのは許せなかった。

 何せ輝夜は百年単位で見つけた、生涯たった一人のお気に入りで、大好きな人だ。

 ただでさえ短い人の一生をさらに短くさせるなど許せない。輝夜はただでさえトラブルメーカーだというのに、トラブルをけしかけたくなかった。


「きっと怪異に好かれる人間はたった一人じゃないはず。他の方を代理品で献上できたらいいんですけどね」


 そしたら直接的に守りながら、兎太郎も構えるので満足いくだろう兎太郎だって。

 市松は双眼鏡を手にして、一人の鬼の気配に気付く。

 鬼が遠くから女性を自分のように観察している様子だった。


「――なかなか面白い人がいますね、騎士と王子様がいれば。足りるかな」


 市松は鬼に近づき声を掛けようと決めた、鬼に――鶯宿に企みはばれないように。



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