第四話 ランプの明かり2――温かみ


 病院に来れば鶯宿は早速蒼柘榴を連れてくるんじゃなかったと後悔した。

 やたらと目立つ背丈は、鈍間のろまで愚鈍さをたまに披露し転ぶ。

 鶯宿の側に身を縮こませて蒼柘榴はついていく。やがて楼香の居る大部屋につけば、患者たちは鶯宿にお辞儀し、次に入ってきた蒼柘榴の背丈に驚いた。

 蒼柘榴も美形ではあるものの、背丈のインパクトの方がでかい。今はただでさえ、鶯宿は角を隠すため目深に帽子を被っているのだから、蒼柘榴のほうが印象に残りやすい。


「ありゃ、意識ねえな楼香」

 スーツケースを楼香の側に置いてから開けば、テキパキと置き時計や充電コードなどをオーバーテーブルに載せて。服の整理は後に楼香自身か看護師さん。もしくはヘルパーさんにやってもらおうと、椅子に腰掛けた。

 楼香の顔色は悪く、がくがくと身を震わせ、寒さを訴えるように青ざめている。

 鶯宿が楼香に触れれば震えは幾らか落ち着き、ぼんやりと暖かくなっていく。

 蒼柘榴は鶯宿と楼香の二人の間に、灯火を見つけ、ほうと目を細めた。


「面白いことになってますネエ、ああ、いや。楼香くんが倒れた話しではなくてね」

「ああ? 何か呪いの原因でもわかるのかよ」

「ちょぴっとだけは。多分、貴方が三日に一回一時間、そうやって触れていれば。楼香くんは倒れませんよ」

「――占いか」

「そうでス、占いです。信じてもイイし信じなくてもいい」

 楼香は重ね陽の日付の誕生日だから、陰の誕生日である自分に触れれば心地よくなるのだろうかと思案する鶯宿。しかし別だって特別な誕生日なわけでもないので、鶯宿は小首傾げた。


「今は、それがいいとしか、ぼんやりと判んないんでス」

「なんでそれが良いと思ったんだ」

「ふふ、どうしてかな、どうしてだと思う?」


 返答がまるで人を馬鹿にしていたので、鶯宿は呆れてその場に合ったクッションを投げつけた。


 *


 確かに一時間ほど触れていれば楼香の脈も呼吸も安定しだした。意識はまだ醒めなかったが、面会時間全部使い切ってココに居座るのも蒼柘榴にはよくないだろう。

 蒼柘榴は気にするなとは言うだろうが、一応は客だ。

 楼香がいない間、宿の主人代理としてもてなしてやろうと、鶯宿は蒼柘榴を連れて帰る。

 安定した様子を見て、医者も検査入院で一週間費やせばあとは本人次第だ、と言っていたのでまた後日見に来れば良い。

 帰宅したはいいものの、鶯宿は料理の仕方が判らない。昔と勝手が違うものもいくつかある。

 炊飯器だけは使い方を覚えた。ので、炊飯器で早炊きし、おにぎりを作ろうとした。

 本当は焼き鮭でも作れたら良いのだが、コンロの使い方はまだ判っていない。

 家主がいないときに火事にするのも問題だ、と鶯宿は冷蔵庫にあった昨晩の唐揚げと、鮭フレークを取り出す。

 唐揚げは乱雑に切ってからマヨネーズと和えて、お握りの具にして。鮭フレークは中に詰め込むとサランラップで握り、海苔を巻く。

 漬物は柚大根でいいかと、しゃくしゃくと切る。味噌汁はインスタントで我慢して貰おうと、ポットのお湯を使って入れた。

 あっという間に出来た夕餉に蒼柘榴は目を見張る。


「魔法みたいだ」

「握り飯でかめぐらいでいいだろう、こんな内容なら。家主いねえから、簡素なものですまねえな」

「いえいえ、具はなんです? 魚卵ならちょっとご遠慮したくて……」

「昨日の唐揚げと、鮭フレークだ」

「ああ、ならよかった、有難う鶯宿くん。いただきます」

「いただきまあす」

 鶯宿は自分の具はいくらの醤油漬けを使ったが、囓るとぷちりと弾けて美味しい。炊き上がったばかりの白米の香りが心地良い。

 蒼柘榴も遠慮がちに食べたが、美味しいのかもぐもぐと勢いがよくなった。


「昨日とご飯が違う気がします」

「白だし混ぜて炊いたからな」

「鶯宿くん、大変です、事件ですよこれは」

「ど、どうした」

「二つじゃ足りないんです。もう三つばかり……その、鮭のをお願いします」

「他の味も試してみたくねえか? 魚卵じゃなければいいんだろ」

「うっ、罪作りなお言葉。是非お願いしたいデス」


 鶯宿もちょうどもう少し食べたいなと思案していた頃だった。そのまま他に、わかめフレークや、ゆかりフレークに梅、リクエストの鮭を追加し自分の分と合わせて六個並べる。

 白米はこれで尽きたから、あとはリクエストには応えられなくなる。


「いやあ……贅沢ですね、これがライスボール、気に入りました!」

「そうか、なあ、蒼柘榴。さっき聞くなと言われたが、今回のことあって聞かなきゃなんねえんだ、というのも仕事に関係がある、俺も」

「いいでしょう、なんです?」

「お前は死に神なのか」

「その回答でしたら、イエスでもあり、ノーでもあります」


 蒼柘榴は言葉を濁しながら、なんでそれなら許可をしたと言いたげな鶯宿に言葉を追加した。

「ただ、断言はしますよ。ワタクシが側にいるだけでは、死は訪れない。ワタクシにも仕事道具があるんでス」

「仕事道具? 鎌でも持ってくるのか」

「いいえ。命は何も、鎌で刈り取るものだけじゃない。炎を知っていますか、炎。蝋燭の炎をふーっと吹き消すと死ぬ、って日本人でも有名だと思いまス」

「落語の死に神……やっぱり死に神じゃねえか」

「違うんですよ。少なくともワタクシは死に神としてやってきたのではなく。炎を探してやってきましタ。燃料がないと、炎は燃えない。火は命を司る。だからこそ、料理に火を使って、命に火を注いでいるんです、人間は。冷たいご飯だけの人間は早死にしやすい」


 蒼柘榴は綺麗におにぎりをすべて食べ終わると、ごちそうさまです、と手を合わせた。


「鶯宿くん、君には炎が見えたんです。楼香くんの炎は、きっと。君が持っている」


 蒼柘榴はそのまま鶯宿も食べ終わったのを確認すれば湯飲みを持ち、部屋に引っ込んだ。



 *



 楼香の炎を持っているとはどういう意味か。もし命を握っているという意味であれば、鶯宿は楼香を地獄に迎えに来た存在だ。皮肉すぎないか、と鶯宿は楼香が退院するまで一週間悩み抜いた。

 次の日、お金を払って蒼柘榴も帰って行ったし、その後客は少しだけ途絶えた。

 とはいうものの、一週間も一人で相手できはしない、この宿は楼香の食事ありきで成り立つ宿で。人間とふれあえるのが広告だ。

 ならば休んでいるのを皆判っているのだろう、だから来ないのだとその間鶯宿は楼香の身の回りを調べる。

 ギリシャランプもそういえば、火を点せる物体だ。確かに火が、楼香の周りには詰まっている、と思案する。

 その後楼香は退院し、元気よく帰宅した。帰宅するなり楼香は大きな声で、スーツケースを持って玄関にやってくる。


「ただいま!」

「お前無理するなよ、おかえり」

「久しぶりに倒れたから、あたしもびっくらこいたのよ。助かったよ、有難う」

「色気のある下着ばかりなのもどうかと思うぜ。全部勝負下着かとおもった」

「いいの! 下着は拘りたい派なの! そこは見なかったふりしてよ! あ、ねえ今日日差しいいしさ、花見しない?」

「……病人がそんなことしていいのか、退院したばかりのやつが? 寒い外気の多い外で?」

「うっ、なら、庭先でさ。少しゆっくりしようよ。今回の入院サポート褒めてあげよう」

「偉そうだな~、まあいいや、客もいないしな。わかった」

「おつまみもさっき買ってきたのよ、見てこれ。素敵な香水だと思わない? どんな香水でも負けちゃう香水」

 帰り道で買ってきた焼き鳥がぎっしり詰まった袋を見せれば、確かにこの世の至福みたいな匂いが漂ってくる。鶯宿は笑って腹をすかせた。

 スーツケースの整理は後回しにし、楼香と鶯宿は縁側で酒を飲み始めた。

 病み上がりの人間にそれもどうかと鶯宿は感じたが、あの意識のない青ざめた楼香を思い出すと鶯宿は命の短さを思い出すのだ。

 それならば好きなことを少しだけ寛容してやりたくなる、時間があまりに短いのに好きなことを何も出来ないのはこの世の不幸だ。

 ――とくに楼香は、本来酒を許されない年に地獄にくるはずだったのだから。


「いやあ、真っ昼間から酒ってのもいいねえ」

「この焼き鳥、当たりだな。何処で買ったんだ、この前よりうまい」

「ああ、駅の反対側にあったの。こっちのが確かに美味し、今度からこっちにしようか」

「あっ、お前、また七味かけすぎだ」

「ちがいますう。一味ですう」

「ならもっと悪いだろ、お前いつかほんとに洒落にならなくなるぞ」

「いいの。あたし、どうせ。どんだけ生きられるかわからない」


 楼香の言葉は、酒の染みた胃を少しだけ熱くさせた。ぐっと熱くなる胃に、楼香の言葉が染み渡る。


「でも何十年も保証された人生なんてつまらないから。いつ死ぬか判らないから人生は面白いって思っておく。なら目の前のこと全部楽しみたい……」


 楼香は皮を口元に運ぶと、日本酒で締めた。

 日本酒から遠い生活をしていたからか、酔いがすぐ回ってしまった様子。楼香は隣で呑んでいた鶯宿にもたれ掛かる。

 楼香はそのまま、眠たそうに皮を食べきると、少しだけうつらうつらと転た寝し始める。

 鶯宿は、楼香の様子を見て、そっとたれでてかった唇を親指で撫でた。


 撫でて指についたたれを舐めると、はっとする。


(――元気で安心している? 地獄に招く相手が、気丈だと安心するだって? どんなやつだおれは)


 鶯宿はきゅっと顔を顰めると、楼香をそのまま寝させてやり、陽に透いた桃の花を見つめる。



「……俺にだって、仕事が、あるんだよ」


 楼香が死ぬ姿を見たくない想いと両立しない仕事。いつかは果たさなければいけない、楼香を地獄に招く仕事が。



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