第四話 ランプの明かり1――不調
楼香はろくに眠れなかった、自分の命が不安だからではない。
両親の行った行動はあれだけの犠牲を出したのに、結局は無意味な形へと戻ったからだ。
何か原因があるにせよ、それを調べるにはランプそのものを探さなければならない。しかし肝心の蒼柘榴ですら判らないのだからどうしようもない。
目の下に隈をくっきりと作り、翌朝に朝支度で蒼柘榴と顔を見合わせ、ランプの話は一旦おいておいた。
「帰ってきたら夕飯作るよ、今日は野菜炒めかな」
「それは美味しそうデスねえ。楼香くん?」
蒼柘榴は楼香の目元に手を寄せ、大きな指で目元を拭って頬笑んだ。
「お仕事ですか、気をつけて。目やにとれました」
「ありがとう、あんたの手でかいな」
「楼香くんと並ぶと本当に子供との差みたいだから、子供と並んだとき、巨人になりそう」
「なりそうじゃなく、巨人なんだよ」
楼香は噴き出して蒼柘榴の次に洗面台で朝支度をすると、蒼柘榴と鶯宿の朝ご飯にフレンチトーストを作り。自分は食べる時間がないので、お弁当箱に詰めて、慌てて外へ出て行った。
「いってきます!」
慌ててばたばたと走り出して曲がり角にて、誰かとぶつかりそうになる。
慌てて立ち止まれば幼なじみの
赤茶に染めた髪を陽に梳かして、さらりと春の風にくせっ毛を揺らしている。黒縁眼鏡の奥に隠された瞳は黒目でぱちぱちと眠そうに瞬いている。
竜道も背丈は大きな方だが、蒼柘榴や市松と出会った後では小さめに感じる。
「楼香ちゃん、おはよ」
「っへ、朝からあんたの顔は見たくなかったなあ!」
「俺もだね、楼香ちゃんのぷるぷるおっぱいだけは眼福で有難い御利益はあるけども」
「どこ見てんの、ゲス野郎!」
「お前の注目を浴びる唯一の長所だ、本日も良き形だな」
「セクハラじゃない! 何よあんたなんてあそこもあーんな小さかったのに!」
「いやいや、世間的に言えばきっとでかいよ。比べられる人いるの楼香ちゃん?」
「いるわけないでしょ、こちとら彼氏もあれからできるくらいの余裕なんざないのよ」
「まあお互い血迷っていたんだよねえ、楼香ちゃんもそろそろ結婚とか色々言われない?」
楼香は幼なじみ兼元彼・元婚約者に思い切り舌打ちをすれば、指さしてイライラをぶちまける。
「そもそもアンタが浮気女と結婚するのが悪いのよ! そしたら世間体的にはあたしは丸く収まれたのに!」
「いやー、あの頃はあの子のが魅力的でねえ。本当失敗した。あのあとかれぴと奥さん出て行くし。最近後悔の日記つけてるもん、テレビで日記つけていくと記憶力もなんちゃらって聞いたから」
「日記? また変わったことしてるのね」
「最近は日記からそれて、気になった本とかの考察をメモしてるんだけどな」
「最初の使い方どこいったの、さては飽きたな? 昔からアンタ、飽き性だったもんね。あげたゲームは三日遊べばいいほうだったし」
「娯楽の多い今の時代がいけないんだ! でも、俺にしては続いてる日記。最近狼が気になって考察してるんだよな。知ってる? 狼の遠吠えなんて、浪漫だぞ」
語り始めたら止まらなさそうな勢いに圧倒されかけて、楼香はそのまま話を聞きそうになる。時間は険しい。始業時間までもう少し。楼香は竜道の頭をはたくと、そのまま器用にヒールで走り出した。
「急いでいるんだ、またな! 一生聞きたくないけれどまたこんど!」
「おお、いってらっしゃい!」
世間的には朝のお仕事開始間際だと気付けば、竜道もあっさりと引いた。
竜道は楼香の背中をいつまでも見送ってくれてる気がして、走りながら楼香は振り向いた。やっぱり竜道は見送って手をふっている。
(昔からあいつ、ああいうとこあったな)
*
鶯宿は楼香がばたばた朝に出かけていく様を二階の窓から見送れば、ふうと吐息をついて改めて自分のスマホを使い、事情を整理していく。
ギリシャランプについて。命のランプというものについて詳しく知っていけば、昨夜の二人の会話は理解できるはずだとメモし。鶯宿は一階に下りて台所へ置いてあるフレンチトーストに小さく笑った。添えてある苺ジャムは甘みを増しそうで嬉しくなる。
鶯宿は牛乳を冷蔵庫から取り出し、コップに注いで席に着けば、少し温いフレンチトーストへ手を合わせてからいただきますと食べ始める。
楼香の料理は相変わらず美味しくて、鶯宿は程よい甘みに頷く。砂糖の量が丁度良い。多すぎる砂糖は暴力にも感じて胸焼けがしてしまうが、これくらいの甘みならちょうどいい。とはいえ、山ほど砂糖は使っているが、それでも下品にならない甘みだった。
フレンチトーストのプレートに、カリカリに焼いたベーコンの塩気や、サラダのみずみずしさは有難い。
甘い物を食べているととくに塩辛いものが食べたくなるのだから、このベーコンは恵みだと感じる。
フランスパンを使ったフレンチトーストは香ばしさも残っていて、口に運べばバターと甘みがじゅわりと同時に舌へしみこみ、鼻へ香りが抜けていく。
蒼柘榴がやってきて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り、グラスへ注ぐと席につき。同じく用意された自分の分のフレンチトーストを、ぎこちなく手を合わせてから口にし始める。
「美味しいね、鶯宿くんにトマトをあげる」
「嫌いなのか、自分で食えよ」
「お客さんのお願い聞いてあげてクダサイ、トマトも鶯宿くん好きだって」
蒼柘榴は裏声で鶯宿へのラブコールをわざとらしくしなっとする。トマトをフォークで渡しながら、トマトの処理を鶯宿に任せた。
トマトの処理を終えれば蒼柘榴は美味しそうに食事し始め、フォークとナイフを上品に操って見せる。
この貴族のような所作からいって、蒼柘榴は並の怪異ではない気がするし、海外の怪異な気がした。
(この男は何者なんだ……? 命を管理する怪異なんているのか)
そんなものに心当たりがあるとすれば、死に神くらいだ。だが死に神というには、あまりにも陽気なのでそんな気配などしない。
蒼柘榴は巨体の割に、チワワのような愛嬌を併せ持つ不思議な存在だった。
遠慮がちではにかむ仕草は落ち着いていて、大人しい性格に見えながら
市松の鋭い言葉遊びとは違う趣のある、飄々さだった。
「お前、なんだって何の怪異か言えないんだ?」
「全部馬鹿素直に言わなくて良い現実もあるんデスよ、君が泣いた赤鬼を隠しているようにね」
「お、まえ……」
「市松くんから聞いたわけではありませんヨ、独自のルートで調べられるんデスよ。ワタクシを調べてるようですけれど、やめた方が宜しいかと」
片言だった喋りはいつの間にか流暢になり。蒼柘榴がフレンチトーストを食べ終わりながら放つ気迫は、今までに体験した覚えのない寒気を感じた。
獄卒故に地獄には様々な吹雪よりも冷たい地獄だって体験してきた。それでも、八寒地獄よりも恐怖じみた寒気を感じ取り。鶯宿は目の前の男が危険なことを改めて思い知る。
呼吸や冷や汗さえも許可が要りそうな気迫で、冷ややかに蒼柘榴は眼鏡をかけなおし。にこりと微笑んだ。呼吸の許可をやっと許された感覚だ。鶯宿はどっと汗をかく。
「偉い奴でしょう、貴方様は」
喋り方を改めれば、蒼柘榴は目を眇めてから嗤った。
「ココは民宿。そうであれば身分に差異はない。ワタクシにも身分はココではなくなる」
つまりは誰かを当てようとするなというきっぱりとした意思だ。
蒼柘榴はミネラルウォーターを飲み終われば食器を流しに寄せ、「あとはお願いします」と間抜けた表情に戻り鶯宿に洗い物を頼んだ。
蒼柘榴がいなくなってからのフレンチトーストは味がしない。砂糖が砂利のように感じて、砂を口腔でかき混ぜてる感覚ばかりで生きた心地がしない鶯宿であった。
家電が鳴り響く。普段はとらないでいい、と言われている留守電に女性の声が吹きこまれている。
内容に寄れば病院で楼香が倒れたという内容だ。
慌てて鶯宿は受話器を取った。
「あら、もしもし、もしもし?」
「楼香の家の下宿人です。彼女がどうしたんですか」
「ああ、いえ。いつもの原因が分からない病で、運ばれてきたのよ。いつ退院になるか判らないから、衣服とか持ってくるようにって」
「楼香自身は喋れないんですか」
「今魘されている、楼香さんのご家族以外は本来禁止だけど楼香さんの事情が事情だからね……」
「事情?」
「楼香さん、ご家族と仲悪いから。従姉妹や叔父伯母全員と……良ければ貴方が着替えとか持ってきて。下着も今の状態じゃ楼香さんも有難いって言うはずよ」
「は、はあ。判りました」
鶯宿は住所を受話器の横のメモ帳にメモすれば、すぐにメモを破りポケットの中へ。
楼香の部屋に入れば、薫る優しい花めいた香り。心地よい香りにどぎまぎしながら、衣服や下着。コップや置き時計を集めて、楼香の部屋に合った適当な大きなスーツケースに入れていく。
他の必要なものは院内で買えるはずだからと、看護師さんから言われていたので。指示されたものすべて集めれば慌てて、外へ出ようとする。
「どうしたんですか」
「楼香が倒れた」
「なんと。ワタクシも行きます、連れて行ってクダサイ。一人だけお客残していくのも大変でしょう? 気になるでしょう? 悪さするかもしれませんよ」
「……判った、ついてこい」
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