第三話 冥府の不幸1――蒼柘榴の環境




 仄かに薫るのは白檀の香りだけじゃなく、甘いヴァニラの香りも広がる。真っ暗い空間にちりちりと僅かな炎を一つずつともして、ギリシャランプが輝く。

 ランプの中の油の残量はそれぞれで、その中央に座している男。油が尽きたら火を一度消してランプに油を継ぎ足し。新たな芯を使い火を点す。

 ヴェールを男が取れば、先日楼香に占いをしていた男だ。金色の眼差しに、億以上の灯火が映っている。熱さも眩しさも感じない蒼柘榴あおざくろは、眼鏡をかけ直すとギリシャンランプで満ちていた部屋を一度出た。

 部屋を出れば、相変わらずひっきりなしに聞こえる女性の声。艶っぽい妻の声だ。正確に言えば、自分の兄弟の妻の声。

 兄弟というのも不正確で、蒼柘榴は自分たちをどう現せば良いのか判らなかった。蒼柘榴には蒼柘榴とまったく同じ見目の男が他に二人居る。

 それぞれ役目を担っていて、一人は仕事、一人は妻を愛する為の存在。蒼柘榴はそのうちの権力を現した存在だった。

 誰でも考えることで実行することのない話しだ。自分がもしも他に何人かいて、分担できたらというやつの実行バージョンのようなもの。

 死の管理しごとと、自由しせいかつ営みれんあいを三人で分け合い。権力を担当した。

 全ては妻の望むこと、兄の妻は日がな毎日自分を愛する者の存在を願った。

 その結果、蒼柘榴じゆうは性愛的なものに嫌悪するようになっていく。毎日毎日聞こえてくる兄と兄嫁の声に嫌気が差す。

 一年中お盛んなのだから、嫌悪しないほうが特殊性癖に感じるくらいには、蒼柘榴はうんざりとしていた。


 様子を見るために楼香に会いに行ってみたが、存外面白い女性だとおもった。

 楼香は蒼柘榴を畏れるわけでもなく、恭しくなるわけでもなく。あくまで一般人として触れてきた。かえって蒼柘榴の興味を引いたし、ランプの存在をあからさまに出しても、餌に簡単に食いつかないところが好ましい。

 愚かな女は可愛らしいが、愚かすぎても話が合わないのだから、好みにはならない。程よい愚かさの固まりだ。


 蒼柘榴は仕事帰りの兄と目が合う。向かって前の方角から、兄がやってくる。

「おや、お気に入りの子はいいのか」

「あんまり釣りしようと水槽の中構い過ぎると弱って死んじゃうでしょう、人間は」

「生け簀の魚みたいな例えをするんだね、青いの」

「黄色い兄さん、お仕事がいくら努めでもたまには休んでください。君が倒れてワタクシに引き継ぎがきたら泣いちゃうから」

「考慮するよ、この声を聞くからに赤い長男もお勤め中のようだしな。君だけはしっかり自由を味わって楽しんでくれ」

「黄色い兄さん、また日本に行くよ。お土産はなにがいい?」

「そうですね、なら草加煎餅でも。あの夫妻のお土産は美味しかったですからね、あれ以来お気に入りのお煎餅です。是非また食べたい」

「あの夫妻は度胸のある人間だったね、死後の娘を神にまで頼むなんて」

「そうですね、あの夫妻の思いを受け止めたからには君はランプの在処を突き止めるのですよ」

「はい、兄上。お仕事本当に無理なさらず」


 同じ見目の兄は手をひらりと振ると、去って行こうとして。通路にまで響く妻の卑猥な声にびくっと身を怯ませれば、さっさと通過して仕事に戻っていった。

 残った蒼柘榴はようやく途切れた艶事の声に、両目を伏せ眉間を押さえた。


「獣のようだ」


 蒼柘榴は思案し、楼香の現状を再び思案する。今のままであれば楼香のランプは、見つけにくい気はする。探すためにはそばで観察しておきたいものだ。

 そばで観察する方法――先日に本人から誘われた方法を試してみたい。民宿の話を実行しているとなれば、泊まりに行っても良いし、そのまま泊まった後に情報を得るのは良い仕組みかもしれない。

 そうとなれば、自分も宿に泊まってみよう、と蒼柘榴は思い立つと自室に向かい、衣服を整える。

 現代の衣服を探してコーディネイトを終える。長いロングパーカーに、黒いニットセーター。あとはカーゴパンツを履いてしまえば、しっかりとサングラスをかけておく。足下はトラッキングブーツだ。

 何処かのモデルのようなルックスでありながら、でかすぎる身長だけどうにかなればいいのにな、と鏡に映りきらない自分を見て蒼柘榴はむすっと膨れた。背丈だけ二メートル超えるのだから、どうしたって馴染めない。ことさら日本だと。


 見目が整えば旅行鞄片手に出かける準備は完了だ。再びくだらない嬌声が響く前に、蒼柘榴はさっさと出て行った。



 *



 一方その頃、地獄では鶯宿が同じように楼香に思いを馳せていた。色恋を含んだ思いではなく。どうして地獄にまだ来ないのかという思いで地上そらを仰いだ。

 閻魔帳は相変わらず楼香の名前が十年前に書いてあるうえに、今現在も消えやしない。ただただ、楼香は本来来る筈だという存在の主張だと示している。

 鶯宿は実際目にした楼香の印象を上司に報告するため、報告書を纏めた。

 報告書をさっさとパソコンで作り上げれば、印刷し。あとは雑務をパソコンでこなせば、同僚から仕事も追加されていく。

 鶯宿は時間を確認してから、改めて楼香の状態を確認する。

 楼香は、現状何者かに加護を受けている。それも、ちょっとやそっとの存在や土地神レベルじゃない。もっと偉大な大きな存在が関わっている。

 何故かは判らないが、それは楼香の両親が関わっている。楼香の呪いは何なのか、誰がかけているのかも大事だ。

 楼香の呪いはそもそも本当に呪いと言って良いのか。生まれの性質による可能性だってある。

 たまたま縁起の悪い出来事と重なった生まれだって、充分にあり得る。

 鶯宿は楼香の生年月日をふと気になって調べる。九月九日――ぞろ目であるというのがまずいのだろうか。それほどまずい数字には一見思えない。

 しかし一つだけ気になるとしたら、9はたしか陽の日付であった気がした。

 陰の日と陽の日があり、偶数は陰の日で、奇数は陽の日になり。その数字の最後の日だ。

 調べれば重陽の節句というものもあり、良い日すぎて返って良くない物事が起こる運命を含んでいると知る。毎年お祓いも必要なほどの魔力の高い日だ。出生の時間もよくよく見れば陽の時間帯で年数まで陽だと知る。

 多重に陽の日が重なった結果なのだろうか、と楼香の体の弱さや。もしかしたら異常なまでに悪意を吸い取りやすく、その結果体に呪いとして出るのかも知れないと鶯宿は悟った。


「これは本人は知らなくてもいい話だな」

 きっと知らなければなんてことのない誕生日だ。本人が気付くまでは知らぬふりをしてやろうと、鶯宿は思案を巡らせた。

 報告書を提出すれば、いつものゲートにまで戻り。ゲートからパスポート代わりに札を自分に張って、札が青く燃えている間にゲートをくぐれば人間界だ。

 日光のとある廃寺に出ると、鶯宿はそこから異動し、楼香の家にまで辿り着く。時間を掛けて辿り着けば、楼香は仕事中の時間だ。

 予め渡されていた合鍵を手に中へ入れば、まだまだ楼香が帰宅するまでに時間がある。

 チャンスだと感じた鶯宿は、楼香の家を家捜しし、中を元に戻せる程度の配置を暗記しながら荒らしていく。

 パソコンも弄っていけば、楼香の両親の記録が出てくる。


「ランプ……ギリシャランプ?」


 確実に楼香の両親は、ギリシャランプに拘って探している。最終的にはギリシャ由来の品やギリシャ神話を調べていた文献だ。

 このとき脳裏に過ったランプは、何故か壊れかけのランプで、何故新品が過らないのかという違和感を鶯宿は見逃した。

 ギリシャの童話まで購入していて、それもランプに纏わる童話だった。タイトルを見ようとした折りに、ふと鶯宿はあたりの楼香の思い出でいっぱいの部屋を振り返る。


 ――酷く家族に愛された名残だ。これだけの愛を自覚しているのであれば、立ち直るのは難しかっただろうに、と鶯宿は少しだけ寂しくなる。

 年若い女性が十歳から両親を失い、愛に包まれている名残をずっと手放さない景色は、悲痛さも感じる。

 鶯宿はこのまま、地獄に楼香を連れていってもいいのだろうかと思案する。

 これだけ両親が足掻いて、抵抗して。予定には無かった両親の天国行きを早めてまで、楼香を最後に地獄へ連れて行くのは非道な気がする。


「感情移入するとまずい気がする」


 鶯宿は記録を一旦、元の配置に戻しておけば、リビングに座り込み。はーっと深い溜息をついていく。

 感情に飲まれそうになる。地獄にいればそこまで亡者と深く接することなく、亡者達の経緯など考える猶予もなく釜揚げだのする。楼香は異例だ。

 たった一人に関わると自分の中の正義や、やらねばならない事実が揺らいでくる。

 とくに楼香は、別段特殊な罪を犯しているわけでもなく。前世からの罪で地獄に行く予定が決まっているだけだ。

 ――だとすれば。現世で楼香が何か、償えれば天国行きも考えられるのではないだろうか、と思案したところでインターフォンが鳴り響く。

 慌てて鶯宿は深く腰掛けていたソファーから飛び起き、玄関を開ければそこには蒼柘榴が立っている。

 蒼柘榴は鶯宿の姿を見て瞬けば玄関を見直すように、体を仰け反り視線はずらした。

「あれ、ここ。白崎さんの宿ですよネエ」

「そうだ。宿であってる、客か」

「そうですデス、ワタクシ、何の怪異かは言えないのですが先日お誘いされてネエ。来てみました」

「先日?」

「はい、この間占いをしているときに楼香くんを占ったのですよ。あそこの商店街で引き受けてマスよ」

「あんた人間に関わるのか自ら」

「はい、趣味なんです。人間観察大好きで、人と会話を好みまス。部屋を案内してくれませんか、そうだな、和室がいいかな」

「和室は人気あるな、この前も和室指名だった」

「玄関から既に立派な和室が庭先に窺えるので、期待が高まりますヨ。庭にある桃も素敵です」


 鶯宿は和室なら先日泊めてた経緯もあったし、問題ないだろうと通す。

 あとは楼香が来てから楼香に任せるかと、部屋を案内し鶯宿はあとはリビングで過ごそうと決めた。

 あとは家捜しには向かない時間だ、テレビでも眺めてごろごろしてるほうがマシだと判断したのだ。


 楼香がくるまで、それぞれ蒼柘榴と鶯宿はそれぞれの部屋で過ごすこととした。



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