第二話 地獄の獄卒1――もくもくれん




 昔から貧乏くじだった。

 鬼と迫害され人間からは嫌われ畏れられ。いつしか言霊が帯び、自らは本当に鬼へと変化した。それでも親友も一緒だったから怖い出来事などは無かった。親友はある日人間を恋しがり、泣き顔が見たくなくて一肌脱いで、そこから先は放浪し獄卒となった。

 それが青鬼である鶯宿おうしゅくという鬼だった。自分の話は人間界で何故か広まり、美化されていく。鶯宿は青鬼として生き、過去赤鬼のために人間の村を襲って嫌われて生きてきた。その後の赤鬼は羅刹から善心となり、人のために生き。神域にまでなったと聞く。人を守護する鬼として愛されていったのだ。

 昨今では人間の女に入れ込んでると聞いたとき、鶯宿は非常に強い怒りを抱いた。

(本来は、俺がそこにあるはずだったんだ!)

 鶯宿は赤鬼の神域にまで至った地位を羨み、只管に嫉妬していた。神々から可愛がられ、進行される赤鬼。赤鬼に焦がれ、髪すらも真っ赤に染めたマッシュウルフ。それでも神域の証たる金の目にはなれずに真っ赤な瞳のままだ。もしも先に自分が人間を恋しがっていたら、きっとあの鬼は自分に尽くしていたはずだ。順番を間違えた、と後悔し続けた。本当は鶯宿だって、愛されたかった。鶯宿だって嫌われるのが怖かった。それでも、同胞が喜んでくれるならと満足するつもりだったのに。遙か遠くに居ても、聞こえる名誉の話は妬ましくなっていく。鶯宿はついに、逆恨みに狂っていったのだ。

 赤髪に一本角、赤目に八重歯のような牙。それが鶯宿という獄卒だった。


 鶯宿は訳あって人間界に馴染んでいた。といっても、昨今のファッション事情に疎く。人間界の表立つ世界に現れるときは安っぽかったり芋臭いジャージ姿で、他は衣冠単いかんひとえという平安貴族たちが好んでいた服装以外持っていない。

 青い安物の中学生の運動着じみたジャージが鶯宿にとっては人間界での礼装だというのだから、ファッションセンスのなさを後に真っ赤になる。それはまた後日。

 今のところ自分の服装に自覚のない鶯宿は、双眼鏡にて楼香を眺めていた。

 楼香の今日の生活をメモすれば、益々顔を顰める。電線に座り、長い裾を寄せてメモを書き込めば益々謎は解けず鶯宿は楼香をじーーーーっと眺める。ビーフジャーキーを咥える、やたらしつこい塩っ気が愛しい。

「おや、お仕事ですか、鶯宿さん」

「市松か」

 邪魔な者に見つかったという表情を隠しもしていないのに、市松は嬉しそうに鶯宿を地上から見上げ、電線の隣に飛び移った。

「貴方も大変ですね」

「しばらくは見ない振りするしかないんだよな、謎も解けてない。原因が分からない限り同じこと繰り返されても二度手間だ」

「いやはやしかし。いっそのこと知り合ってしまってはどうでしょう。いつまでも他人だと、すぐに判る内容も判る段階が出来ませんよ」

「それもそうなんだよなあ」

 鶯宿は羽ペンの羽で頬をかいてから胸元にしまい込むと、腕を組んで考え込んだ。

「市松、お前。俺の事情話すなよ勝手に」

「おや、泣いた赤鬼のこと内緒にするんですか」

「ただの知り合いのがマシだ、同情されたくない」

 鶯宿は暗に市松に紹介しろと、凄めば市松は静かな顔でふむふむと頷き笑ってそっと手を差し出した。鶯宿は市松の行動の咀嚼に時間がかかり、市松はにこにことした空気を演出している。

「今井堂のチョコクロワッサンが食べたいなあ」

「判った買ってきてやるよ」

「ジャージ姿で購入はやめてくださいね、セレブリティマダム達の三時間並ぶお店ですから」

「……お前のグルメ情報何処から仕入れるんだ」

「今時はネットで簡単にでてきますよう」

「インターネットを使いこなす怪異なんて風情もくそもないな」


 鶯宿は呆れた顔で、市松の差し出した手をぱんっと叩き払った。


 *


 市松はジャージ姿の鶯宿を連れて、楼香の屋敷に向かう。呼び鈴を鳴らして楼香が出てくれば、市松は狐面をずらしてにこーっと笑いかけている様子だった。背中を見つめる以上表情は判らないが、市松は無駄に愛嬌が良い。愛嬌を振りまき、猫撫で声で楼香に揉み手で詰め寄った。

「楼香さあん、警備員いらない?」

「ああ、誰か紹介してもらいたいと想っていたんだよ、その人?」

「っそ、この方は地獄の獄卒さんでいらっしゃるから、悪人には厳しいですよ。きっとご満足頂ける働きをしてくださるかと」

「鶯宿だ、よろしく頼む」

 爪の長い手を差し出せば楼香は緩く握り、きょとんとしたままの顔。鶯宿は楼香を見つめ、改めて目を細める――この女性が、地獄の閻魔帳の期限を越えたなど誰も判らないだろう。

 楼香の寿命は十年ほどまえに終わっている筈で、地獄も楼香がくる準備をしていたはずなのに一向に来ない。さらに言えばもっともっと長生きしている。

 これはどういうことだと閻魔帳を見直せば、両親に事情を聞こうにも天国滞在故にどうしようもできず。楼香の両親のお沙汰もとっくに終わっていた頃だったので、今更手出しも取り消しも出来ない。

 一つ判るのは楼香に何かしら起きたという事実だけであった。

 いったい何がどうなっているか判らなくなった地獄は、鶯宿を監視役として向かわせたのだ。鶯宿は現世に出張し、獄卒たちからは事務作業の神様とされてるほど貴重な人件を失うのを惜しまれた。

 地獄も一つの会社みたいな仕組みで動いているのだから、事務作業が日々獄卒を待っている。

 山ほどある人々の人生処理、処遇。地獄の人件費、交通整備、などやまほど仕事がある。

 その中から現世の出張は、いわばバカンスのようなもので。鶯宿にとっては予想できなかった休暇のようなもの。本質がしかし鶯宿は真面目で、楼香の延命の謎を突き止めようと勤勉でありすぎた。

「報酬は何がイイ? お金は……昔なら兎も角、ちょっと最近だときつい、かも」

「ああ、でしたらココに下宿させてもらいなさい。それが給料代わり、それでいいでしょう?」

「お、おう。俺は市松みたいに飯に五月蠅くねえし気楽にしてくれ」

「そう? じゃあそれでお願いする。今日は鶯宿の歓迎会にしようか、鶯宿何食べたい?」

「はあい、僕はあきつねうどんが食べたいです。鍋焼きのやつ、個人の鍋でことことと少し固めに」

「お前に聞いてねえんだよ市松。鶯宿?」

「ああ、人間界の食べ物をまともに食べるのも久しぶりすぎて、何があるかわかんねえんだ……」

 鶯宿が悩んでいる姿を見て、楼香はひとまず玄関先でなんだからと二人を家の中へ招き入れた。市松はカウチソファを気に入ったのか真っ先に横になり、鶯宿はリビングの椅子に座った。他のソファを勧めてみたが、柔い材質は体が馴染まないらしいと断られた。

 楼香は「今日の夕飯なあに」というポップな字体の料理本を手にすると、鶯宿に手渡した。

「布団干してくるからこれでも見て決めててくれ」

「お、おお……うわ、豪華だな。肉や魚がいっぱいだ。卵までたっぷり」

「現代の日本はグルメよきっと」


 楼香は笑うとそのまま二階に行き、布団の世話や家事をしようとしている様子だった。

 鶯宿はぎこちない仕草をし。長い爪で丁寧に破けないように捲り、その一つのページを見つめて唇を結んだ。


「昔、鍋をあいつとつついたことがある」

赤鬼よしのと? あの人のことだから、たくさんお酒も飲んだでしょう」

「……あいつのところから消えてから初めて判ったんだが、鍋は一人だと食べづらいし、やたらと余るんだよな」

「お気持ち察します、鍋は一人で食べると味気ないです。焼き肉やお寿司は一人で食べても美味しいのにね、不思議」

「あれは話すための料理なんだな。丁度良い、楼香を知るには鍋がいい。話しながら食えるだろう、その折りにちょいと尋ねりゃいい」

「変わった出来事は御座いませんかって? 仕事に熱心な男は、早死にしてしまいますよ。貴方は少しサボることを覚えなさいよ」


 市松はカウチソファで欠伸をすればそのまま転た寝しはじめ、鶯宿は真剣に鍋料理の項目を読み始め。少しだけ縁側の方角からふわりと入って風が薫る。ページが捲られかけて慌てて抑えた鶯宿。

 もうすぐ春の予感を感じさせる風は暖かくて、庭先に開きかけている花に鶯宿は目を細めた。


「桃か、趣味が良い」

 鶯宿は桃の逸話を思い出す。桃は魔除けにとてもいい花だと聞く。きっと、楼香の両親が楼香が生まれたばかりの頃に植えたのではないだろうか。

 鶯宿は家の中を見渡せば、確かに楼香への愛で溢れた家だった。

「あのっ」

 縁側から声がした。陽気な子供の声で、鶯宿は楼香を待とうか悩んだが、楼香はまだ戻ってこない様子だ。鶯宿が代わりに縁側に顔を出した。市松はすっかり眠りの世界だ。

「どうした」

 縁側に顔を出せば、四つも目のある子供が雲外鏡を片手に楼香の屋敷を撮影していた。

 市松から聞いた覚えがある、雲外鏡は怪異達の間では動画サイトのような使われ方をしているらしいと。市松は金剛力士様に応援上映されていたと愚痴っていたなと思案する。

 鶯宿は雲外鏡を取り上げて子供を見つめると、子供はあせあせと雲外鏡に手を伸ばした。


「かえせよう、かえせよ、鬼!」

「坊や、怪異か」

「そうだよう、ココ泊まらせてくれるって聞いたんだ、あ、障子だ! 障子がある、僕ここの部屋がいい!」

「家主に詳しいこと聞かねえとわかんねえなあ、俺も今日雇われたばかりなんだよ」

「そうなの? なら家主を呼んで、僕は目目連。この宿のお客さんだよ!」


 にっと目目連は歯を見せ笑い、雲外鏡をジャンプして取り戻そうと必死だ。作務衣を着た子供はぴょんぴょんと跳ね。雲外鏡を持ち上げる鶯宿に手を伸ばしている。

 いつまでも返そうとしない鶯宿に、目目連はぷくーと頬を膨らませて拗ねた。





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