第一話 間借り一軒家4――お宿の開始




 次の日になれば座敷童はあっさりと帰って行った。ひらりと真っ赤な晴れ着を翻し、てててと走り抜けていった。

 見送りとどければすぐに災いは起こる様子もなく、市松が遅れて家――宿を出て行った。

 市松は勝手に宿へ予備の狐面を置いていく、常連になるよとの意思表示のようだった。

 何も変わった出来事は起きないか様子を見に来るよ、との意味にも見えて、市松からの優しさを有難く受け取る。

 楼香は気を引き締め、今まであまり整理し尽くす気になれなかった遺品に手を伸ばす。日記やパソコンの記録を今なら、違う意味と視点で考えられるかもしれないと夢中になってデータを漁った。

 気になるのは楼香の両親は、幼なじみ兼元彼のデータをやたらと集めていた事実だった。昔見た時はあまり気にならなかったと言うより、気になる余裕がなかった。

 最後に両親が調べていたのはギリシャランプについてだった。物語でしか見覚えのない、曲線美。千夜一夜物語でしか縁の無い形だ。両親のデータで、初めて楼香はあのランプがギリシャランプというのだと知った。


「ランプの油……」


 両親はランプの油を、と兎に角拘っていて、たった一つの物語に希望を宿していた。

 その物語がギリシャから生まれたのだとすれば、ランプを手がかりに楼香の呪いを何とかしようとしたのかもしれない。

 だとしたらギリシャで何らか契約してから、飛行機は事故に巻き込まれたのだ。

 そこまで考えてから楼香はその間、二,三日間ろくに飲まず食わずだったので、風呂にしっかりと入ってから惰眠を貪った。

 しっかり寝尽くして、その間に何回か呼び鈴が鳴ったのを無視する。

 楼香は次の日起きると、市役所に行かねばならない用事を思い出し、さっさと出かける。朝にシャワーを浴びて、しっかりと肌の手入れをし。化粧で整えた後に、市役所へ。帰りに買い物もしてみるかと。

 食器をもう少し増やしたり、布団の日干ししてみようと思案し、市役所で用事を済ませた後に食器や家具を整える。

 家に帰る頃には夜のご飯時。気が進まないがこの日はコンビニ弁当を買って帰宅すれば、家は荒れていた。

 なる程、泥棒でも入ったかと楼香は警察に電話する。その後に大した出来事もない様子であれば、怪異の起こした事件でもなさげで。

 楼香の屋敷は狙われやすそうだと、遅れてやってきた中年の警察官は眠そうに告げた。


「あ~、お嬢サンね、こんな豪邸に一人で。セキュリティも契約切ってるならそりゃ入ってくださいって言わんばかりだ」


 警察官は悲劇を労うわけでもなく、事件は当然だと不機嫌そうだった。

 取り調べをしたのちに被害届を出した後、楼香は大事なものは盗まれてないとほっとした。両親の遺品は無事だ。祖父のものも。

 母の宝石コレクションだけは遺品とはいえしょうがないと諦めるしかないだろう。


「セキュリティねえ、あっても不便そうなんだよなあ。これからよくない客がたくさんくること考えると」


 楼香はコンビニ弁当を夜明けに食べて、肌に悪いなと機嫌悪そうに嘆息をついた。

 ゆっくり眠りに就く頃に、「市松に誰か警備員紹介してもらおう」とゆるゆる考えていた。


 災難はこれだけじゃなかった。


 *


 折角だから美味しい水を契約しようと、入り込んだチラシを見て決意した。

 チラシを見て厳選したミネラルウォーターには、体に良い成分がどうたら、世界一のお水で美味しくてだの沢山書かれていた。

 ウォーターサーバーと、水何十リットルかの契約。

 契約して粗悪品が届いてから、市松はやってきて楼香を笑った。


「ご機嫌よう、おやどうしたのこの水道水。いえ、これ水道水ですらないですね、よくみて。小石や砂利が入ってる、川の水よ。絶対汚い」

「いらっしゃい、ええっ。これせっかく契約したのに……なるほど、座敷童いないと悪意にばかり出会うんだね」


 楼香は続々と宅配会社が運び終えるのを待ってから、玄関に座り込むと市松を見上げる。

 市松にじーっと見上げて、見上げられた市松は小首傾げる。


「川の水って何に使えると思う?」

「猫よけくらいですかね」

「棄てるしかないかー、まあでも今までこういう目に、この年になるまで合わなかったのなら。恵まれすぎていたんだから、慣れないといけねえね」

「あら前向き」


 市松の弾んだ声に楼香は、水――否、ゴミの処理をするために、庭先に川の水を流す作業をする。

 市松も手伝い、水を楼香の庭先近くにある水路を使って流す行為とした。市松は楼香の晴れ晴れとした顔を見て、騙されたにしてはすっきりしていると怪訝な顔をした。


「なんだか晴れ晴れしたお顔ね」

「考えようによっては、座敷童がいなくなったあの時に、あたしだけの人生が初めて始まった気がしたんだ」

「どうして?」

「守られ続けるんじゃなくて、取捨選択をしっかり一人でするようになるって意味だから。多分今までの取捨選択って、優れたものしかなかった。お嬢様なんだよ要するに。厳正に危険じゃないものばかりを用意されていた、姫これをどうぞって」

「そうね、世間知らずではあるのでしょうね。水の契約なんて人間は特に慎重になるでしょう、詐欺の代名詞なんですから。貴方きっとネットで調べもしなかったでしょ」

「世の中に、騙す奴があちこちにいるなんて想わないからね。今もママの宝石を持ってきて犯人が許してください、って土下座するのを信じている」

「……楼香さん」


 市松は狐面をすっと取り外した。市松の顔は、楼香の父親に化けていて。楼香は父親から無言のお怒り顔を見るのが久しぶりすぎて、ぽろぽろと泣き出した。

 泣き出す楼香に市松は、外人めいた仕草で肩を竦めた。市松は楼香に苦言を心から染み渡らせるために、この顔を選んだようで。楼香はその心遣いに気付けば、懐かしい顔が動いて笑って微苦笑を浮かべる姿に心が励まされたし自分を情けなく想った。


「騙されて良いと思っては駄目よ。それは、貴方の歪さだから」

「わかってんだよ、ほんとはそんな出来事起きるわけないって。悪人は反省することなんてないって」

「もっと言うなら、盗んだ人は悪人なんて単語すらもつかない。悪い出来事だと心から想っているかどうかも判らないし、罪の意識も判らない。だから泥棒なんだもの」

「……でも、多分。あたし、見た覚えがないんだ、ほんとに悪人だってやつ」

「見てても気付かなかっただけかもしれないよ?」

「うん、だから。あたしは多分、悪を知らない」

「お父様きっとこうやって、怒るよ」

 市松は父親の顔の眉を、両手でつり上げるように持ち上げてむすーっとした顔を再現した。

「市松のその無言顔、ほんとパパそっくりで懐かしすぎた。見たことない人のモノマネできるのすごいね? 久しぶりに見られて、記憶の扉が開いた、有難う。やっと、泣けた気がするし、パパ達が死んだ実感もした」


 楼香は市松にお礼を言うと、市松は川の水を流し終え。砂利の詰まったペットボトルをからからと、庭に慣らして足で踏んだ。

 今まで心からわっと泣き騒げなかった、両親の時は祖父がいるまえで泣けなかったし。祖父が死んだ後は無気力で感情などわかなかった。

 楼香は伸びをすると、空になったペットボトルを並べて蹴った。


「あたしは一生悪人に気付かない気がする、でもそんな自分を嫌いになれない。誰だって「美しい」話を信じたいよ、誰も騙す人がいないって世界を」

「楼香さん……」

「美しくて綺麗な世界にずっと生きていたい、その為に信じている。誰もあたしを騙さないって。ほんとに騙されてても、あたしが気付かなきゃ綺麗な世界のままだ、きっと味方だ悪人だって」

 楼香の言葉に市松はきょとんとしてから狐面を被り直し、そっとペットボトルを並べ直して隅に片付けた。

「そう、貴方も狂人なの」

「狂人?」

「人間の善性しか見られなくて、善しか信じないおバカ。貴方の願いが本気で狂ってそのままでいるなら最後まで面倒みてあげる、だから中途半端な姿は見せないでくれよ?」


 庭先の桃は、まだ咲きかけ。それでも何故か市松と約束した瞬間、桃の香りが強まった気がした。


 *


 桃の香りが楼香から漂う。香水だろう、華やかな香りだ。


「それで泥棒に入られて財産半分なくしたから、働き始めたんだ。慣れないけどな」


 楼香は市松との怪異宿の話を、話し終えると易者は全てアフタヌーンティー用の御菓子を平らげていた。ぺろりと、口端を舐めている。 


「それがこの前までの話。つい最近はもう、宿として馴染んでいるんだ。怪異達に」

「へえ、それで。ワタクシにもお誘いしてるんデス?」

「違うよ。少なくともそれには興味あるけどな、話すつもりはないかな」



 楼香は卓上に置いてあるギリシャランプを指さして、瞳が確かに興味で揺れていた。

 瞳の中には疑いや、怒りなどはなく。話していたとおり、楼香は確かに善性しかないと感じ取れる瞳をしている。

 悪く言えば妄信的な信頼だ。相手をよく知らずに信じるなど、確かに狂気の沙汰に近いものがある。泥棒にでさえ憎しみがない。


「ないでスネエ、なんのことだかさっぱり。ただの愛用品デス、少なくとも今は君とワタクシはただのお客さんと占い師、でいまショウ。あとは流れに任せていきマセンか」



 易者は紅茶をずずっと啜って飲んだ後にティーカップなどを異空間にしまい、楼香の手を握る。


「占いのまねごと、形だけでもしていいですかネ、一応そういうていなので」

「いいよ、恋愛運どうなってる?」

「百点満点、良縁がたくさんアリ。それでね、楼香くん――おおかみ、それが貴方を意味する」

「おおかみ? 狼って日本にはもういないんだろ」

「そう、貴方は貴重ネ。現存する唯一のおおかみ。群れが恋しくて、仲間が恋しくて、ずっと遠吠えして仲間を呼んでいる。でも遠吠えで悪い奴が寄ってくる」


 易者はゆっくりと眼鏡をかけ直すと、金色の瞳がまた光る。金色の瞳は楼香を写し出してから、ギリシャランプに視線をやれば小さく笑った。


「ランプのことは今は気にしなくて良い、おおかみである自覚だけしなサイ」

「ふうん。それじゃあたしはこれで」

「いつか泊まりに行きますよ、さようなら、楼香くん」


 楼香は立ち上がると寒い商店街を突き抜け、そのまま公園を突っ切った様子だった。

 後ろ姿を見つめて、易者は市松が広めていた楼香の宿の宣伝を広げる。掌をさっと空間に撫でれば、宣伝は広がり虚空に浮かぶ。

 易者は愛しそうな顔で宣伝文を撫で、宣伝文を抓んで拾うと文字をぺろりと舐めた。


「命のランプ、君のは何処に導くんでしょうネエ」


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