第一話 間借り一軒家3――縛り


 楼香は両親が死んでから徐々に気付いた出来事がある。いわゆる怪談話と世間で噂されるような経験を周囲がしやすくなった。手のない彼や、足のない彼女や。誰にも見えない者から、どう見ても人間でない生き物まで楼香の周りに居ると、霊感の無かった人は見えるようになる。楼香には見えないのに。

 何より驚いたのは、その怪異達は楼香がいる限りは見える者に決して害を与えようとしなかった事実だ。

 今も風呂を貸した市松は特に親しい人に接するように、気易く声をかけてきた。

 市松とは意思疎通が出来るし目視もできる、これは良い機会だと楼香は市松に色々尋ねてみようと感じたのだ。

 ソファーに座っている楼香に市松は、濡れ髪で貸した祖父の服を着ている。祖父の服は作務衣など和服が多めで、市松に和服はよく馴染んだ。狐面を少しずらして被っている所為もあるかもしれない。

「お風呂戴きました、裁縫箱も有難う御座います」

「本当に適当なことしただけで元気になっちゃうのな、未だに信じられない。まるで化かされている」

「胡散臭いのが取り柄ですからね、綺麗な傷跡をお見せできなくてごめんなさい。僕らまだ裸を見せ合うには早いし、裸を見せるにはまだ照れちゃう仲なので。恥ずかしいんです」

「ずっと照れる仲でいいわ、勝手に恥じらっとけ。ねえその傷どうしたの、なにがあったの」

「ちょっとした地元のヤンキー先輩トラブルみたいなものですよ、先輩には逆らえないのは人間界なら通説でしょう? 貴方元ヤンくずれっぽいし」

「ちげえよ! あたしは箱入り娘だよ! た、たしかに少しばかり荒れた昔もあるけどさ、族に入ったわけじゃねえし! 今は淑女だし?」

「そうなの? 随分勇ましいお姫様。腕の筋肉は隠せませんね、僕は貴方のその話信じられないな。あまり馴染みのないタイプの女の子だから、魂消たまげちゃう」

 市松は髪の水滴をぶるぶると身を振って、犬めいた仕草をする。腕力がありそうとの指摘に楼香はしどろもどろになる。水滴が楼香のもとにまで飛んできたので、少しだけ楼香は退しりぞくと市松はにこっと笑って部屋を見渡した。

 居間から何まで洋室なのに、祖父の部屋だけは和室であり。亡くなった祖父は好んで和室を使っていた。和室は一階、居間の奥。そこにお仏壇もしっかりとある。

 楼香はあとでお仏壇にお供えしなきゃと、目を細めた。目を細める姿を見た市松は、小首をこてんと傾げて声を弾ませて会話を続ける。

「それにしても大きなお家ね。都心にこんな大きいの、貴方どこかの金持ち?」

「不幸の連続で色々持ち余っているだけだ」

 楼香の言葉に市松は目を丸くしてからうーん、と虚空を見つめ、楼香の背後や奥を見つめた。背後を振り返るが、後ろは女優の古いブロマイドなんかも張られているコルクボード。祖父の趣味だ。

 壁を見ているのかと思えば市松はうーん、とまた唸り悩んだ末に切り返した。

「不幸だなんてとんでもない、可哀想よそこにいる彼女が」

「え?」

「あー……もしかして眼鏡みたいに、怪異にピントあってないのかしら。なるほど、少しだけ貴方、ずれてるのね。判った、お礼にピント合わせてあげる。きっと僕に言いたげな顔してたのもそれ繋がりでしょ」

 市松は楼香の茶色いボブヘアをさらりと撫で、髪を梳き。掌を頬に伸ばせば頬をとんとんとつついてから、米神を強く二,三度押す。

 市松がそんな仕草をしてから、不思議と視界や視力は変わってはいないはずなのに、クリアになった感覚がする。

 楼香は何かの視線を感じると、ふと後ろを振り向けば、日本人形のような黒飴の目をした美少女が小さな姿で立っていた。

 手鞠を大事そうに抱えて、楼香と目があえば、穏やかに微笑んだので楼香は思わず息をのんだ。叫ばなかっただけでも感謝して欲しいとさえ思った。


「な、だ、誰よあんた!」

「ずっとこの家にいたの。なんだ、ばれちゃったならつまんないから、出て行かないと」

「楼香さんの経済面に少しだけ加担している人ですよ、世間では座敷童っていわれてます」

「ざ、しき、わらし? い、いつからいたの」

「ご両親が死んでからずっと。ご両親の祈りで、私はここにいたの」


 座敷童は楽しげに長い髪と肩を揺らすと、楼香に近づく。楼香は悪意のない姿や、人と同じ見目である姿にほっとして、近づいた座敷童をソファーに座らせてあげた。

 ソファーに座ると座敷童はテーブルにある黒糖饅頭に手を伸ばし、堂々といただきまあすと食べ始める。

 楼香にずっとずっと財産や、金銭の縁があったり。金由来の出来事が起きた覚えがなかった理由がやっとわかったのだ。


「祈り……って」

「結構この辺りの怪異には有名な話よ。貴方産まれてからずっと呪われていたの。だから、ご両親は貴方を延命するために文献を漁って、人間のしちゃいけない領域に手を出した」

「な、なにそれ。なにをしたっていうの!」

「ご両親は貴方の体に、神様わたしたちに力を借りて貴方の寿命を延ばした。その流れで私も面白そうだから手を貸したの。気付かれるまでならって。他にも色々してたみたい、貴方へ」

「……呪いなんて、誰が」

「きっと誰でもないよ、呪いは呪い。ただの、形」


 茫然とした声に、僅かな怒りが籠もっている。楼香の声が震え、一時期の臆病な自分になりそうだったが、祖父に演じていた傲慢さもすっかり馴染んでいて。

 楼香は両親に殴りかかりたい気持ちにもなる、そんなことをしないでほしかったと。そのせいで事故に遭ったのでは亡いのかと。

 座敷童は空気を読まず考え込む。楼香の質問に答えて良いか悩んでいる。

「誰とは言えない、楼香ちゃんの生まれによるものだから」

「……明確に、やっぱりあたし呪われていたの? なあに、それじゃパパとママはあたしが殺したんじゃなくて、呪いが殺したんじゃない!」

 楼香はずっとずっと影ながら囁かれていた噂話が過り、一気に怒りが弾けそうになり、頭がパンクしかける。ぶすぶすと煙い感情が煮詰まって、とろりと出そうになる前に市松がんん、と咳払いをした。

「楼香さん、落ち着いて。きっとこれは大事な話になるけれど。怪異(ぼくたち)の中には会話するだけで、目を見るだけで死んでしまうような者もいる。だけど死なせたからってそいつらに悪意も恨みも想いもなーんもないの」

「自然体にやったことだから許せってこと!?」

「違います、それは貴方の価値観にお任せします。きっと理解できないだろうけど。それよりも対処を覚えたほうがいいって意味。貴方は今、もう怪異ぼくらと関われる存在で、神様からのちょっかいもお墨付きって明確になった」

「……守る為の防衛術しばりを作らないと、今度はあたしが危ないかもしれないのね」

「そう、まずは身を守って。事前に対策を練ってそれから先のお怒りや、恨み言は後回ししたほうがいいんじゃないって親切。だってぶち切れてる間にお陀仏なっちゃうもの、そんな間抜けな死に方お墓でお腹抱えて笑っておきますけど」

 市松はくあ、と欠伸をするとカウチソファにて横になり、転た寝をし始める。何処までもマイペースな男だと楼香は驚くも、助言をしてくれたのは有難い。


「明確なルールをこの家に決めた方が宜しいですよ。だって、人生の三分の一を占める寝所で首を掻かれるなんていやでしょう? 家でくらいリラックスしたいんですものねえ、毎回お風呂の度にラッキースケベも遭遇する方もうんざり」

「家で疲れとれなきゃ、それこそ死んじまうし、風呂の時間に遭遇も確かに怖くて嫌だな。おちおち眠れないのも死活問題だ」

「更に言えば、そこのおちびさんもう何処か行くって行ってたから。経済状況も多分いまのままとはいかないんじゃないかしら? 今みたいに客に、高級草津の湯の花なんて出せないんじゃなくなるのなら勿体ないから対策したほうがよろしい」

「たしかに家にルールがあれば、他人からは守らざるを得ないか」

「きっと法律より重視されるよ。家のルールのほうが妖怪は重視する気がするの、絶対守るとかじゃなくて、家にルールがあることで破った相手を責められる、悪と出来る。家のルールとかのほうが大衆向け法律より妖怪には馴染むんですよ」


 この男、言い方や口ぶりは皮肉が混じっているが、言葉の根本は単純で。純粋な親切心でいっぱいだと楼香は気付いている。

 出会ったばかりの楼香に親切にする理由も分からなかったが、目の効力かもしれない。この目には怪異は大人しくなる作用があるのだから。

 しかし市松には、その理屈だけじゃないと信じたくなるような、親切心を確かに楼香は感じ取った。楼香と目が合えば、市松はにやーっと猫のような笑みを浮かべた。

「……市松、なんだってそんな……忠告をたくさんくれるんだ?」

「僕の性分なの、怪異に呪われた馬鹿な人ほっとけないの。酷いよね、ようやく馬鹿から解放されたのに、また馬鹿に巡り会う。きっとこれはもう、馬鹿をお守りしろって運命なのよ」

 市松の言葉はつっけんどんではあったが、親切は伝わる。確かに素振りや行動は怪しいが、悪い奴の予感があまりしないように感じられる。

 座敷童もにこにことしている様子を見ると、その縛りが決まるまではいてくれる様子だ。少なくともすぐには出て行かない様子だった。

 両親については後々考えようと決めた。明確に伝わるのは、楼香に幸せになってほしいことや、生きていて欲しいという事実。今はそれだけは受け取っておこうと決めた。


「市松」

「はあい、なんですう? もう眠気でいっぱい、お腹も空いたし」

「飯作ってやるから、宣伝してくれ」

「ううん? なにを」

「要するにあたしがお前等より偉い存在になればいい、この家のなかだけでも。気に掛けなきゃいけない存在になればいいんだ」

「なーに、王様にでもなっちゃうの? 女の子だから女王様? 鞭はいやだよ、びしばししないでね。SMクラブにするなら楼香さんお客様たくさんつきそうだけど、僕の知り合いが通う姿は見たくないなあ」

「馬鹿、誰がそんな突飛なもの思いつくの、怪異あんたら相手に! 民宿にする。この家を、宿にする。間貸しするんだ。部屋だけ貸して、その間宿のルールは守って貰う」

「自ら招き入れるの、怪異を?」

「見えないときから縁があったんだから、こっちから呼び寄せた方が判りやすい。じろじろいつの間にか見られてるのも落ち着かないんだから、いるならいるってばらしてもらう」

「怖い事件が沢山起きるかもしれないよ」

「ここまできたら腹くくるよ、人生何とかしようと思ったらなんとかなるようになってるんだ、なるようになるよりも、環境を最初から作ってやるよ。それならイレギュラーも起こりにくい」

「ふうん、なら聞くけど。宣伝するならお家のルールどうするの、そこがきっと大事よ。それが言霊になり、怪異を縛る意味にあたるし身を守る術になる」


 市松は欠伸をかみ殺し、伸びをしながら足を筋トレのように左右にいちに、いちにと広げ始める。ばたばたと動く足は何処か朝の体操番組を見ているような気持ちになるし、やたらとスタイルの良さは目立つので目が行く。

 楼香は足から目を離すと、ひとまず料理を作ろうと台所に立つ。冷蔵庫を漁れば、簡単に焼きうどんを作り出した。

 にんじん、玉葱。ベーコンではなく、ウィンナーでもなく、魚肉ソーセージを使い。味付けはソースと醤油で悩んだが、今回は醤油ベースにマヨネーズを和えてフライパンで焼いていく。

 出来上がった焼きうどんを人数分皿に盛り付け、海苔と鰹節を軽く振りかければ完成だ。

「市松、お茶持っていって!」

「ええ~、人使い荒いですねえ、僕はほうじ茶のがいいなあ」

「飲みたいなら勝手に淹れて良いから、とりあえず急須とお茶っ葉持っていって!」

 市松がお茶を持ってきて、座敷童と市松の前に置けば、二人はあっという間に平らげた。

 楼香だってお腹が空いていたので一緒に食べていたのだが、とても素早い勢いだった。


「久しぶりに店屋物じゃないの食べたけど、こんなに美味しかったんですね、焼きうどんって!」

「すごーい、おいしい! これならホントに民宿するなら泊まりに来るまた! わたしも宣伝していいよ!」

「焼きうどんって何だか不思議なんですよね、御菓子にしては重いけど、ご飯にしてはもっと食べたくなる」

「楼香ちゃんの料理こんなに美味しいなら、もっと早くに食べてればよかったー! つまみ食いなら得意なんだけどなあ、あまりに悲しい顔で作ってたからまずそうで」

「悲しい顔? そんな顔してたかあたし? 泣いたことないよ、この家で。パパとママ死んでから」

「だからこそよ。感情の我慢顔はとてもごはんまずいお顔だし、声もかけづらい顔よ。それなら泣いた顔の方がいい」


 座敷童はほうじ茶をもう一度淹れると、呼気を落ち着け胃袋を整えた。香ばしい香りが、焼きうどんの醤油の匂いと重なって薫る。楼香は仏壇に桃缶をお供えして手を合わせてから席に戻る。

 市松と座敷童はいたく楼香の手料理を褒めてくれる。怪異とはいえ、誰かと一緒に席を並べて食べるのは久しぶりな気がした。

 少しだけ暖かい懐かしさに触れた楼香は、記憶が蘇る。祖父や、家族とこんなふうに和やかに食べていて。祖父は楼香の手料理を好んでいたし。両親は楼香の話を聞きながら、ご飯を食べる時間を報告会にしてくれていたなと。


「……ルール、決めたよ市松」


 楼香はごちそうさま、と全員で手を合わせてから、茶碗を流しにいれ水につけ置き。部屋から画用紙と油性ペンを持ってきた。

 きゅっきゅっと油性ペン独特の引っ掻き音がぞわつくのか、市松は身震いし。座敷童は楽しげな目で見守っている。


 ・宿と主を傷つけない

 ・最大5泊まで

 ・3組までのご案内

 ・お代がない場合は、家事をかわりにすること

 ・泊まってる間は、主の言うことに従う

 ・晩ご飯は一緒に食べる

 ・泊まってる間は人の姿に化ける


 書き上げると市松はほうほう、と目を細めて頷いて紙を掲げた。

「これが貴方の縛りね、いいんじゃない? 破った場合のルールは決めなくて宜しいの?」

「都度決めるよ。何か経緯があるなら、情状酌量込みでね」

「なるほど、宜しい、これをじゃあ写し貰いますね」


 市松は掌で紙を撫でると紙は二枚になるように見えた。実際は市松は、言葉そのものをコピーしたのだろう。あの一瞬で怪異達に知れ渡った気がした。

 二枚に見えた紙は一枚になると、市松は大事そうにくるくると紙を丸めて楼香へ手渡した。

「大事にしときなさい、この紙を。これが、貴方と怪異ぼくたちの制約で境界線です」

「有難う市松……あたしさ、悔しかったんだ。パパとママが勝手に、あたし一人生きろってしたこと。でも、もうちょっと真面目に生きてみる」

「そうですね、身の安全はこれである程度守られたはずですし。これで貴方に手を出す輩がいましたら、それはきっとこの宿を使う者達全員を敵にする。つまり、宿にする行為で貴方は味方が増やせる」

「即興案だけど、結構頑張ったんだよ。呪いなんかに、負けない。まけてやんねえ」

「……大丈夫ですよ。ご両親のその犠牲で呪いはなんとかなったんじゃないかしら。目は、きっと。その祝福よ」

「ねえ。縁のついでだけどさ。手伝ってよ、民宿やるの。広告塔になってくれるなら、飯だけはご馳走してやってもいいよ」

「ふふ、考えておきます。そういえば民宿の名前どうするんですか」

「そのまんまでいいよ。『白崎さん家』でいい」

「なるほど、それはきっと。馴染みやすくて忘れやすい宿名ですね」


 市松はほうじ茶を飲みながら、机に載っている黒糖饅頭にも手を出した。


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