1.スイートピーの門出
「今日はケーキ大きめに切ってくれない?」
「いいけど、なんかあんの?」
「今日は門出だからね。」
「門出?」
「うん。」
キッチンで準備をしているオレのもとにひょっこりと顔を出した夢羽はどこか嬉しそうだった。
「ほら、山田さんのお孫さん、今年受験生だったでしょう。」
「あー…確か大学生になるんだったか。」
「そうそう。今日買い出しに行くときに見かけてね。山田さん、喜んでるだろうからお祝いしたいなぁって。サービスっていったら恐縮して受け取ってもらえないだろうから、内緒で、大きめに。」
山田さんというのは毎週月曜日に来る老婦人のことだ。物腰の柔らかな彼女はいつも孫の話をしている。 そういえば先週、孫の合格発表が近いとかなんとかいっていたっけ。
「合格できたんだな。 難関大学なんだろ?」
「うん。すっごく頑張ってるって先週も山田さんいってた。」
食器やサイフォンを準備しながら夢羽が小さく微笑んでいる。当事者の様に喜べるのは彼の美点だ。彼に言われたとおりにケーキをいつもより大きく切り分けた。ホールで購入するケーキを切り分けるのはいつだって旭の担当だった。 夢羽が切ると大きさにばらつきがでる。きっちりと切りそろえられたケーキに少しだけ満足感を覚えた。
「合格発表っていつだったんだ?」
「知らない。」
「え、聞いてねぇの?」
「うん。」
合格かどうかだけ聞くなんて、不合格だったときに気まずくないか。そう思ったけれどすぐに合点がいった たぶんこいつは“聞いていない”のだろう。いつも通り、見たんだ。
「何が咲いてたんだ。」
呆れ半分、好奇心半分。人の想いを一方的に見るなんて感心しないけれど、夢羽も好きで見ているわけではないし。悪用するような彼でない事も知っているから。
旭の言葉に夢羽はやっぱり少し驚いたような顔をしてから、嬉しそうにふふふと笑った。
「スイートピーだよ。すっごい綺麗に咲いてたんだ。」
スイートピーの花言葉は門出、らしい。まんまだ、と思う。 夢羽はわくわくと準備をして、いつもより20分くらい早く店を開いた。オープンの文字を何度も確かめてから店内に戻ってきて、そわそわ落ち着かない様子だった。
「落ち着けって。本人から聞いてもねぇのにお祝いするつもりか?」
「う。それはそうなんだけど。」
「形だけでも聞いてから祝った方が良いだろ。でないと不思議能力ばれちまうぞ。」
「……困ります。」
「じゃあ落ち着け。」
「うう... だって嬉しいんだもん。」
「成人した男がもんとかいうな。」
しゅん、とわかりやすく項垂れて大人しくカウンター席に腰掛けている。普段は年下を感じさせないほど落ち着いていて、あまり動かない表情で近寄りがたさのある男だけれど、ひとたび親しくなればそんなものは間違いであったと気づかされる。夢羽は行動も言葉もあけすけでわかりやすい青年だった。確かに表情は乏しいけれど、それだってよくよく見れば結構わかる。 彼はあれだ、隠し事とか嘘ができないタイプ。人の感情が花になって見えるだなんて言葉だって、こいつじゃなかったら信じないどころか話すら聞いていなかった。あの日見ず知らずの旭の手をつかむために屋上から身を乗り出したお人好しは、何もなかったオレの人生に1輪の花を添えてくれている。
「花瓶ってあったっけ。」
「え?」
1人ではしゃぎすぎてしまったと落ちこんだ様子の夢羽がきょとんと旭を見る。わずかに照れ臭そうな旭が目をそらして頬をかいた。
「スイートピー、飾ったら良いんじゃねぇかと思って。ほら、開店までまだ少しあるし、花屋行くくらいなら 出来るだろ。」
「旭くん…!!」
「やめろキラキラすんな!」
たいがい甘い自覚はある。しかし目いっぱいの嬉しさをその瞳に浮かばせている夢羽を見るのは正直楽しいのだ。店のレジからいくらか出して旭に渡し、ウキウキと送り出す夢羽に小さく笑いながら、旭は店を出る。カランコロンとなるドアベルが軽快に旭の背をたたいて 送り出してくれた。
*****
「まあ!きれいなスイートピーね!」
「でしょう?」
「ええ、優しくて良い色だわ!」
いつも通り、開店から程なくして山田さんが訪れた。いつもよりずっと上気嫌な彼女に夢羽も嬉しそうだった。旭が買ってきたスイートピーは少しだけ盃な花瓶に生けられて、カウンターからよく見える窓際に飾られている。山田さんは店に入れば目につく花に顔をほころばせ、夢羽の元へと小走りに向かう。はずむ会話は聞いているだけで温かくなった。
「山田さん。その、お孫さんの受験は…」
「よく聞いてくれたわ!あの子ね、ちゃんと合格したの。」
「!良かった!おめでとうございます!」
「ふふ。ありがとう!あの子にも伝えておくわ。」
「はい。今度ウチに来てくれたらサービスしますっていうのも伝えてください。」
「あら良いの?悪いわ。」
「他ならぬ山田さんのお孫さんでしょう?お祝いくらいさせて下さい。」
「あらあら、嬉しいことを言うのねぇ。じゃあ今回はお言葉に甘えさせて頂こうかしら。」
「えぇ、ぜひ!」
結果は分かっているが当人らの口から聞くのはまた違う。改めて嬉しそうにする夢羽につられて少し笑い歩みよってコツンとその頭を小突いた。
「ほら、コーヒー淹れてくれよ、店長さん。」
「はっ…!」
「忘れてた、みたいな顔するんじゃありません。おら働け働け。」
「一応、店長は俺だからね…」
「分かってるって。」
料理は2人で分担できてもコーヒーだけは夢羽にかなわない。 カフェの顔であるコーヒーを淹れるのは夢羽だ。夢羽は小突かれたところをおさえて顔をしかめ、べ、と舌を出してみせる。山田さんがカラカラと笑っていた。
貴方に花咲く花を手折る 秋野芒 @sik_mafa
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