第14話 捕縛

「――ロングウィン様」


 俺は食事から顔を上げた。衛兵隊の隊長が立っていた。


「何だ?」


 思わず眉をひそめる。食事中に兵士の姿など無粋極まりない。


「男爵ですが、朝から食事を拒絶しているようです……」

「……だから?」

「い、いかがしましょうか」

「食いたくないのなら食わせなくていい。それより、金の採掘の件だ。犯人どもはまだ見つからないのかっ」


 調べさせたところによると、兵士を襲撃し、労働者どもを逃がしたのは、灰色髪の男と、黒ずくめの女らしい。


「捜索範囲を広げてはいるのですが未だ……」


 舌打ちをする。


「役立たずめっ。で、帝国のほうに動きは?」

「ありません」


 不気味だ。国境を侵したかと思ったら、突然進軍をやめるとは。

 一体何を考えているのだ、あの蛮族ども。


「何もせず本当によろしいのでしょうか」

「そんなこと、貴様ごときが考えることではないっ」

「も、申し訳ありません……!」


 苛立ち、ナイフを放り捨てる。すぐに新しいナイフを、メイドが運んでくる。


「下がれ。食事がまずくなる」

「はっ」


 あの馬鹿な国王からは税や兵の催促がひっきりなしだが、従うつもりはない。

 王国軍が帝国軍に一蹴された時点で、この国は終わりだと確信した。あのバカが即位するなり、自分の王位にふさわしい宮殿を造りたいなどとぶちあげるほどの愚か者だったとは……。

 アンネローザを売ることで王に気に入られて甘い汁を吸い続けられると思ったのに。

 あのバカと帝国のせいで目論見は破綻した。

 帝国が迫っている。

 集められるだけの富を集め、国外へ脱出するのがかしこいやり方だ。

 赤ワインに口をつける。

 アンネローザ、気位の高い幼馴染。美しくはあったが、いけ好かない女だった。

 お前があのマリーという女の存在に慌て、嫉妬し、取り乱す姿は傑作だった。

 バカ王がどうしてもアンネローザが許せないと世間的には絞首刑になったことになっているが、実際のところ行方は分かってはいない。

 お前は今どこで何をしているのか。いや、野垂れ死んでいるか。

 お前のことだ。生きていれば、王国へ復讐せずにはいられないだろう。


「た、大変です!」


 その時、兵士が飛び込んできた。本当にがさつな連中だ。


「どうした?」

「一部の兵が反乱を起こし、政庁の守備兵と衝突しておりますっ」

「なに!?」


 椅子を倒して立ち上がり、バルコニーから外を見る。

 確かに政庁の門前で、兵士たちがぶつかりあっている。

 しかし俺の眼が釘付けになったのはそれじゃない。

 ぶつかりあう兵士たちの背後――そこには牢獄にいるはずの男爵がいたのだ。


「男爵が脱獄しているぞ。なぜ早く報告しなかった!」

「そ、そんなはずは……夕飯時も兵士からは何の異常の報告も……」

「ではあれは何だ!? 偽物だとでも言うのかっ!」


 怒鳴り散らしても、兵士は首をすくめるだけ。

 無能がっ。


「すぐに全ての兵士を集めろ。反乱は一部だ。数で押せ!」


 政庁から出た兵士と反乱軍がぶつかる。すると、反乱軍は瞬間、崩れると、蜘蛛の

子を散らすように逃げていく。


「よし、そうだ! 追撃して、皆殺しにしろ!」


 反乱軍は大通りを抜け、裏路地へと逃げ込む。

 馬鹿な連中だ。あんな路地に隠れたところで逃げる場所などありはしないのに。

 反乱軍を追いかけ、こちらの兵士たちが裏路地へ殺到していく。

 どれだけ経っただろうか。

 ここからは路地で何が起こっているのかはよく分からない。

 かすかな叫び声とうなり声が、夜の静寂の中でこだまする。


「おい、誰か人を行かして状況を調べさせろ」


 次の瞬間、路地から大通りへこちらの兵が出てくる。


「終わったか……。まったく反乱とは馬鹿げたこと……」


 味方の兵は引き上げたのではない。逃げていた。さっきまで追い詰めようとしていた反乱軍が勢い良く、逃げる兵士を追っていた。


「何!?」


 バルコニーの手すりを握る手に力がこもる。

 路地で何が起こったのか。

 味方の兵士のほうが圧倒的に多いはずなのに、明らかに優勢なのは反乱軍だった。


「おい、正門を閉ざせ!」

「は? それでは味方が……」

「いいから! 反乱軍を足止めしろ! その間に俺は裏から逃げるっ。馬車をすぐに用意しろ。兵士どもには何としてでも食い止めさせるんだ! いいなっ!!」

「はっ!」


 ひとまず近くの街へ避難し、そこから早馬で王都へ知らせを届ける。頭の中で算段をつける。

 一階へ下りると裏口に用意された馬車へ乗り込んだ。

 すぐに馬車を出発させた。

 馬車の周りを十人の護衛の騎兵が付き従う。

 裏門が開かれ、馬車がそこを抜ける。


「公爵様! 目の前に人が……」


 御者が声を上げた。


「知るか。構わないからひき殺せ!」

「し、しかしっ!」

「反乱軍がいつ追いついてくるかもしれないんだぞ!? 追いつかれたら、貴様、どうなっているか分かっているだろうなっ! お前の家族全員、絞首刑だぞっ!」

「分かりました……!」


 御者はやぶれかぶれになって、馬に大きく鞭を入れる。馬車が加速する。

 確かに街道のど真ん中に、誰かが立っているのが分かった。しかし月を雲が隠すことで、細かい姿は分からない。

 加速する馬車と、街道の真ん中で立っている人影との距離がみるみる近づく。

 その時、人影が動く。迫り来る馬車に向かって、右腕を持ち上げた。

 瞬間、巻き起こる突風に、馬が竿立ちになる。


「っ!?」


 激しい横揺れに、俺の身体は扉に叩きつけられ、あまりの勢いに馬車の扉が開けば、馬車の外に振り落とされてしまう。


「ぐは……!!」


 背中から落ち、一瞬呼吸ができなくなり、咽せた。

 今の突風で護衛の兵士は全員、落馬し、呻きを漏らしている。

 そこへ足音が近づく。

 涙目で振り仰ぐ。馬車の前に立ちはだかった人影が、俺を見下ろす。

 俺は侯爵だぞ、その俺を見下ろす、だと……。

 文句を言いたいが、苦しさと痛みで呻き声しか出ない。

 雲が風で流れ、月明かりが人影を露わにする。

 それは、黒ずくめの女。


「お前、誰だ? 何が目的だ……」


 ようやく搾り出した声は、自分の声と思えないくらい弱々しい。


「あなたの横暴を止めるために来たのよ」


 この声、どこかで聞いたような。


「一度他者を裏切った人間はどこまでも裏切り続ける……。あなたが部下たちを見捨て、一人で逃げようとするのは簡単に予測できたわ。私の幼馴染、ロングウィン」

「ま、まさか……そんな……」


 俺を見すえる緑色の切れ長の瞳。黒い帽子から垂れている曇りのないブロンド。なによりもその声。


「まさか……い、生きていたのか……!?」

「ええそうです。アンネローザは、地獄より舞い戻ってきたのよ」

「き、貴様ぁ! ……っ!?」


 渾身の力で飛びかかるが届かない。誰かに襟首を掴まれていた。


「こいつが、お前の言っていた奴か?」


 俺の背後にいる男が乱暴な口をきく。俺は必死に暴れるが、右腕を掴まれて関節を決められた。

 い、痛い! 腕が折れる……!


「グレイ、政庁のほうは?」

「片付いたぜ。人間ってのは本当に貧弱だよな。こいつはどうする? 殺すか? お前を裏切ったんだろ」

「そんな男でも弾避けには使えるわ。そいつを牢屋へ連れていってくれる?」

「りょーかい」

「や、やめ……離せぇ! 俺は侯爵だぞっ! 下郎、気安く触る……ひいいいい、やめてえ! 腕が折れるぅぅぅぅ!」


 情けない声が夜の静寂に、響き渡った。

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