第12話 脱獄
「あいつらはなんだ?」
「私と同じ目的を共有できる人たち」
「そうは見えなかったけどな」
政庁は都のほぼ中央に位置している。
その周囲は兵士によって厳重な警備が敷かれている。
でも魔法使いである私からすればそんなものはないも同然。
「人の眼を狂わせ、耳を塞げ」
グレイともども魔法で姿や足音を消し、堂々と玄関から建物に入る。
渡り廊下を抜けて北の棟へ。
地下牢の番をしている兵士たちをグレイが気絶させ、鍵を入手すると、地下へと続く階段を下りていく。
一番下まで下りると、長い通路がまっすぐ延びる。その左右には鉄格子があり、罪人が閉じ込められている。
決して愉快とは言えない臭いの満ちたその空間を鉄格子の中を確認しながら奧へ進んで行く。
男爵様は廊下のどんづまりの牢に入っていた。
「――男爵様」
私が声をかけると、鉄格子の中、薄い布を身体に巻き付けて冷たい石畳みに寝転がっていた人がうっすらと眼を開けた。
私たちそこで姿を見せる。
「っ!?」
私は自分の口元にピンと立てた右手の人差し指をあてがい、声を出さないようジェスチャーで示す。
「あなたを助けに来ました」
「……き、君たちは?」
「私のことを覚えてお出でですか、ルドルフ様」
私は三角帽子を外し、ブロンドの髪を手櫛でさっと整える。
ルドルフ様の眼がみるみる大きく瞠られた。
「そんな……本当に? ア、アンネローザ様……」
「お久しぶりで御座います」
「あなたは……縛り首に……」
「はい?」
婚約破棄からの逃亡のことを指摘されるのかと思っていただけに、こっちがびっくりさせられてしまう。
「国王陛下は捕らえたあなたを縛り首にしたと発表したんです……」
「……私が縛り首になったように見えますか?」
「い、いえ……」
「自称アンネローザに見えて?」
ルドルフ様は首を横に振った。
「なぜここに……な、何をしに……」
「あなたはこの州に必要な人。こんな牢獄に捕らわれていていい人では決してない。だから、助けに来たのです」
私は鍵束をジャラジャラ言わせながら、牢屋の鍵を開けた。
「さあ、私たちについてきてください」
しかし。
「……で、できません」
「どうしてです」
「それでは脱獄になってしまう」
「――無理矢理引きずっていくか?」
「待って、グレイ。この州が今どんな状況にあるのか、男爵様には想像がついているのではありませんか? 民は重税にあえぎ、田畑は荒れ、無人の集落は数えきれず。それだけではありません。村の若者が強制労働をさせられているんです。全て、今の領主である、ろくでなしのロングウィンの仕業なんですよ」
「国王陛下からの赦免の命令があるのならばまだしも、脱獄は罪です」
「あの男がそんなものを出すはずがないと分かっているのでしょう」
ああもう、この融通の利かない、石頭ははなんなの!
「面倒だ。やっぱり無理矢理つれていこう」
そうしましょう、と言いたいのをぐっとこらえ、グレイをなだめる。
「あなたの部下たちは現状を憂えて、密かに今の領主を倒そうと計画を練っているのです」
「ま、まさか」
「しかしあなたがいなければその計画は失敗するでしょう」
「……まさか、アンネローザ様。私にその計画にのれ、と?」
「そのつもりです」
「それは脱獄よりも質が悪い。国家への反逆だ……。あ、あなたは婚約を破棄され、冷静な判断能力を……もぐぐぐぐっ!?」
私は呪文と共に魔力を右手の人差し指にこめると、「黙せよ。囀るなかれ」と自分の唇をなぞる。同時に男爵様はしゃべれなくなる。
「グレイ、連れていって」
今は問答に時間を費やしている場合ではない。
「了解。やっぱこれが一番だったな」
「……そうね、グレイの言う通り
牢獄に入ったグレイはしゃべれない男爵様を肩に担いだ。男爵様は抗おうとするが、グレイはびくともしない。
私たちは来た時と同じように姿と足音を消し(今度は男爵様も)、堂々と正門から街中に出ると、れいの酒場に戻った。
「連れて来たわ」
グレイが、男爵様は床に下ろす。
その場の全員が息を呑み、信じられないと絶句していた。
「むぐ! むぐぐぐぐっ!」
しゃべれないまま、目力で私に何事かを訴えかけてくる。
「男爵様、今からしゃべれるようにしますけど、決して怒鳴ったり、騒いだりはしないでください。いいですか?」
「…………っ」
男爵様はこくこくと頷いた。
では、と私は魔法を解除する。
「アンネローザ様、これは一体どういうつもり……もごごご!?」
「だから大声は出さないでと……」
アンネローザという言葉に、マスターや客たちが一斉に反応を示す。
「アンネローザ? どこかで聞いた覚えが……」
「俺が知ってるアンネローザは、悪事を働き、今の国王との婚約を破棄されて……確か、そいつは縛り首になったはずじゃ……?」
私は再び魔法を解く。さすがに男爵様は三度同じ愚を犯す真似はしなかった。
「では、先程の続きです。あなたの王国への忠誠心は見上げたものです。先代の国王陛下はそんなあなたの忠勤ぶりを含め、男爵様という人を評価されたのでしょう。しかしながら民が苦しんでいるのに行動を起こさないのは結局、ロングウィンたちとやっていることは変わらない。あなたには民の苦しみが見えているのでしょう。違いますか?」
「それは……」
「だから処罰を覚悟の上でヨハネスに奏上した……」
「……しかし、奏上と、これとは話が違います。今の領主を追放するのは、国王陛下への叛逆。謀反人になるということで……」
「では疲弊している民は誰が救うのです?」
男爵様は気まずそうに目を伏せた。
「それは……国王陛下の……」
「あなたにはそれだけの能力がある。にもかかわらず、その責任から逃れたい、と仰るのですか」
きつい言い方になってしまう。しかし今は男爵様が頼り。
民を救えるのは信頼に足る領主。
どれだけ魔法が万能でも人々に信頼される人間を生み出すことまではできない。
信頼だけは魔法のようにぱっと生み出せるものではない。
少しずつ少しずつ紡いでいくもの。
だからこそ一度信頼関係が芽生えれば、それは何よりも強いものになる。
「――男爵様、あなたは我々の希望なのです」
男爵様ははっとして、酒場のオーナーを振り返った。
「お前は……ラウーロ。こんなところで何をしている。その格好は……」
「今は裏路地にある酒場のしがない店主でございます」
「衛兵隊の隊長のお前が……?」
うそ。そんな人だったんだ。
「今はもう違います。首になりました」
「なぜだ」
「ロングウィンの連れて来た兵士どもの横暴を見かね、捕まえた結果がこのざまです」
男爵様は他の客にも眼をやれば、ラウーロは頷く。
「こいつらも全員、ロングウィンの私兵どもの不正行為を暴いた挙げ句、職を免じられた者ばかりなんです」
「仮の話だが、仮に、ロングウィンに対して起こした反乱がうまく運んだとしても、すぐに王国軍がやってくる……。すぐに我々の動きは鎮圧されて……」
「それはありません。先頃、王国軍は帝国との戦いに敗れ、軍が壊滅したばかり。まだ立て直せてはいないでしょう」
こんなところで将来の王妃となるべく、身につけていた勉強が役に立つなんて。
お母様からは王妃に必要なのは子どもを産み、育てる母親としての知識だけと教えられていたけれど、お父様が王にもしものことがあった時には王妃がその役割を肩代わりする時がくる、政への理解を深めるのはいいことなのだと、内政にかかわる資料を、お兄様からは軍に関する資料を見せてもらっていたのだ。
帝国からの宣戦布告など国力の差を考えれば予期していなかっただろう王国は、軍の立て直しに時間がかかる。
徴兵で頭数は揃えられても、実戦に耐えられるだけの兵にするまでに最低でも数ヶ月は必要だ。こちらが備える時間的猶予はある。
「…………」
男爵様は眼を閉じ、何かを考えるように黙り、やがて眼を開ける。
「ラウーロ。お前たちがここにいるのは、偶然ではない。そうだな」
「はい。ここで領主を追放する計画を少しずつ進めてきました……」
ラウーロは私のことを気にしつつ、鉤のついた棒を取り出すと、それを床の一角に引っかけ、こじ開けた。現れたのは地下への階段。
「男爵様、俺たちの覚悟をみてください」
ラウーロを先頭に下りていけば、そこには武器や物資の数々。
「これほどの物資をどうしやって」
「我々は城の外の惨状に心を痛めてきました。ロングウィンを追放しなければ、民は死ぬしかなくなると。あなたを慕う者たちは政庁にもまだ多く在籍しているんです。その者たちが書類を少しずつ改竄し、物資を流してくれているんです。そして我々に足りなかった最後のピースが今日、ようやく……」
「最後のピース?」
「あなたです。男爵様。我々の旗頭となってくださる存在です」
私は前に進み出る。
「男爵様、ここまで慕われているのに、あなたは民よりも、何もせず民を苦しめる国王への忠義を優先されるんですか?」
「わ、私は……分かった。最早、ことこことに至っては……民の為に立とうっ」
「ありがとうございます、男爵様」
ラウーロをはじめ、その場の人々が次々と右膝を折り、敬意を示す。
「だが私が脱獄したことはすぐに知られる。速やかに動く必要が……」
「いいえ、男爵様、その心配はございません。ダミーを置いておきましたから。すぐにバレることはありません」
「なんと、そこまで」
男爵様は驚きに、小さく呟く。
「男爵様、これから忙しくなります。今はお休みください。粗末ではありますが、二階の私の寝室をお使い下さい」
「しかし今ここで休んで、好機を逸しては……」
「――男爵様。休むこともまた大切なお仕事のうちです。いざという時に頭が働かなければ、何の為に脱獄したか分かりません」
「……アンネローザ様、あなたは……」
「はい?」
「いえ。あなたの仰る通りだ。忠告には従いましょう」
「ジャスパー。お前は男爵様のそばに」
「了解です、隊長」
「今の俺は隊長ではない。ただの酒場のオーナーだ」
「了解、オーナー」
ジャスパーと呼ばれた小太りの男が先導し、男爵様と共に階段を上がっていく。
私たちも階段を上がろうとすると、ラウーロに呼び止められる。
「男爵様を救って下さったこと、本当にありがとうございます。あれだけの厳重な警備をどうしたのかは分からないが……。それに、男爵様はあなたを信頼されているようだ」
「牢で話し、わかり合ったのよ。安心して。私たちは味方だから」
「それはもう疑ってはいません。では、俺は仲間たちのことを知らせてきます」
「お願い」
ラウーロは急いで階段を駆け上がっていく。
「世話の焼ける連中だな」
グレイは呆れたように呟く。
「私たちも少し休ませてもらいましょう。動き通しでグレイも疲れたでしょう」
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