第10話 汚染源

 村で一夜を明かし、早朝に私は村を発つと、川の上流を目指した。

 途中、いくつかの村に立ち寄ると、案の定、流行病で村人のほとんどが苦しんでいた。

 ここでも原因は水銀。

 ポーションで治療し、再び上流を目指す。

 川を遡りながら様々なものを見た。

 荒れ果てた田畑、枯れた牧草地に、無人の村――。

 これらが重税の結果だ。

 そして上流を目指して半日、木々の生い茂る森へと足を踏み入れる。

 歩きにくい岩場に足を取られないよう細心の注意を払いながら、時にグレイの手をかりながら水源を目指す。

 薄暗い森をどれだけ進んだか、やがて人の気配を感じた。

 私は静かにとジェスチャーをグレイに示しながら、ゆっくりと近づき、様子をうかがう。

 そこでは二十人近い半裸の労働者たちが泥にまみれながら、必死に土を掘り返していた。

 泥は川につかり、川を汚す。

 その労働者を監視するように、兵士の姿があった。王国の衛兵だ。

 少しでも労働者が休んだり、作業の手を止めようものなら、衛兵が問答無用に蹴りをくらわせ、「休んでる暇はないぞ!」と声を荒げるのだ。


「……なんてひどい臭いだ。あの水と同じ臭いだ。きつさは何倍もこっちが強いが……」


 グレイが吐き捨てる。


「んで、どうする?」

「助けるに決まってるでしょっ。――あなたたち!」


 私は大声を張り上げた。

 その場にいる誰もが顔を上げた。


「あなたたちね、水銀を川へ流しているのはっ!」

「あぁ? なんだお前は! 邪魔をするな、早く失せろっ!」


 兵士が口汚く吠える。


「失せるつもりはないわ。失せるのはあなたたちでしょ。下流の村がどうなっているのか分かっているの!?」

「うるせえ! 俺たちに逆らうと、痛い目を見るぞ!」


 兵士は威嚇するように腰の剣に手をかけた。


「もう一度、言うわよ。大人しくここから去りなさい。当然、そこで働いてる人たちも開放するの」

「うるせえガキだ!」


 兵士たちが剣を抜き、私めがけ走ってくる。


「巻き起これ、風。襲い来る障害を吹き飛ばせ……!」


 風魔法で衛兵を吹き飛ばす。


「クソ! なんなんだ!」


 別の衛兵が弓を構え、矢を放つ。


「守りの壁、立ち上がれ!」


 放たれた矢は防御壁を展開して全て弾く。

 彼らには何が起こったかなんて分からないだろう。

 そして、ぎょっとする兵士めがけグレイが飛びかかり、一度瞬きするかしないかのタイミングで次の瞬間には全員、叩きのめしてしまう。


「あなたたち、大丈夫!?」

「……あんたら、なんだ?」

「下流にある村で健康被害が起きてたから、その原因を調べに来たの」


 労働者たちの顔をチェックすると、みんな、顔色が悪い。

 鑑定すると全員、体内に毒素が溜まっていた。おそらくだがこの人たちもみんな、水銀に汚染されたのだろう。

 私は下流の村でポーションを作るついでに水筒に詰めていた清潔な水を使い、ポーションを生成し、労働者たちに飲ませ、休ませる。

 さらにポーションを川に撒く。これで川も浄化される。

 それから辺りを見回り、作業場であるものを見つけて手に取る。


「砂金……」


 小指の先程度の金の粒。それが麻袋に何百粒と入れられている。

 水銀には他の金属とくっつく働きがある。この性質を利用した金の採取は古くから行われている。

 これが汚染の原因だろう。


「――皆さん、今、話せますか?」


 私は休んでいる労働者の元へ近づくと、彼らは居住まいを正す。


「もちろんです……」

「そんな風にかしこまらないで、楽にしてていいですから」

「あなたは一体……」

「私は……ただの通りすがりの者です。で、聞きたいんですけど、皆さんはどこからか連れてこられたんですか?」


 その答えには、驚かされた。

 中には他の地域から流れてきたところを兵士に捕らえられて、ということもあったが、ほとんどの場合は私がここに来る前に立ち寄った村から徴兵されてきたらしい。


「皆さん、兵士として連れていかれたのでは? 村の方々はそのように仰っていましたけど」

「俺たちもそう思っていたんです。でもここで働くよう命じられて……」

「新しい領主の命令ですか?」

「衛兵どもはそう言ってました」

「動けるようになったらすぐに村に戻ってあげてください。みんな、あなたたちのことを心配しているから」

「でも」


 労働者たちは、気絶している衛兵たちに眼をやる。


「こちらのことは心配しないで。あなたたちは自分と家族、友人だけのことを考えればいいから」

「……ありがとうございます、本当に」


 ポーションの効果が出て来たのか、一人また一人と回復していき、互いに支え合うように村へ帰っていく。

 労働者が全員、川下へ向かっていくのを見届け、魔法で操ったツタで簀巻きにして転がしている衛兵たちへ近づく。


「く、来るな……化け物め……」

「ずいぶんな言い草ね。人を人とも思わずこき使っているあなたたちのほうが、よっぽど化け物だと思うけど?」

「…………っ」

「あなたたちの主人は誰?」

「誰が流れもんなんぞに」

「ま、そうよね。じゃ、無理矢理、教えてもらうわね? ――歌え口よ、汝の心を開け」


 私は兵士に手をかざす。男の目が焦点を失う。


「あなたの主人は?」

「ロングィン・バルタール・ヒュノマン侯爵様です……」

「マジ……?」


 思わず貴族らしからぬ言葉が出てしまう。

 まさかこんなところでその名前を聞くなんて。


「知り合いか?」


 グレイが、私の横顔から何かを察したらしい。


「知り合いも知り合い。幼馴染……子どもの頃からの友人、みたいな?」


 まあ、私が婚約破棄された時点でヒロイン側についているからもう友人でもなんでもないんだけど。確かに長年の幼馴染をああも呆気なく裏切れるんだから、重税を搾りとることに良心の呵責なんて、ないわよね……。


「グラハム男爵は逮捕されたそうだけど、生きている?」

「生きている。今は城の地下牢にいる……」

「そう、ありがとう」


 私がかざした手を引っ込めると、兵士の目に光が戻る。


「教えてくれてありがとう」

「は? 何言って……」

「グレイ、行こっ」


 兵士の言葉を無視してその場を離れる。

 シルヴァとの魔法の訓練で、十分すぎるほど魔法の凄さを理解したつもりでいたけど、こうして実践してみると、魔法というものの凄さと同時に、恐ろしさを実感する。

 死者を復活させたり、時間を進めたり逆行したりする以外、大抵のことは出来てしまう超常の力。

 こんなすごい力を大陸に住まう人たちが日常的に使えた時代はどんな時代だったのか。考えるだけでぞっとしない。


「でもよ、いいのか?」

「何が?」

「シルヴァには目立つ行動は慎めって言われてただろ。こんだけ派手に魔法を使って、さらにもっと大きいことをしでかそうとしてるだろ」

「でも放ってはおけないわ。グレイは反対?」

「獣の俺に反対も賛成もない」

「無理して付き合う必要はないのよ。森に帰ってもいい」

「なんだ、いきなり」

「危険なことをしようとしてるから。望まないのに無理矢理連れていくのは気が引けるの」


 これでグレイに「分かった、俺は抜ける」とはっきり言われれば、たぶん、へこむと思うけど、かと言って、無理強いはさせられない。


「俺はお前に付き合うと決めた。余計な心配はするな」

「……どうしてそこまで付き合ってくれるの? シルヴァに言われたって言っても……」

「俺がガキの頃、腹の空いた俺に木の実をくれたし、水も飲ませてくれた」

「……それだけ?」

「クマからも助けてくれた。お前にとっては大したことがないのかもしれない。だが子どもの俺からしたら重要なことだ。それに、名前もくれたし」

「グレイ……」

「で、どこ行くんだ?」

「州都。こんなふざけたことをしているのが、幼馴染のしわざなら昔のよしみでなんとかしないとねっ」

「遠いのか?」

「まあ、ここからだとだいたい数日くらいかな」

「だったら俺の背に乗れ。そっちのほうが早い」


 グレイはその場で跳躍したかと思うと、その姿を狼に変えた。


「集落に行く時に人の姿になればいい。ちんたら歩くのは時間の無駄だ」

「……でもいいの? 私が乗っても」

「俺をなんだと思ってる? お前一人乗せても十分走れる」

「乗馬の訓練はしてきたけど、狼に乗るのははじめて。こ、こう……?」


 私は恐る恐るグレイに跨がる。


「……重くない?」

「問題ない。軽いくらいだ。それから、そんな体勢じゃ落ちるぞ。もっと上体を低くしてしがみつけ」

「こう?」

「そうだ。目が回ると困るから、目も閉じろ」

「分かった……っ

「州都ってのはどっちに行けばいい?」

「太陽が落ちる西の方角にまっすぐ。城壁に囲われてるからすぐに分かるわ」

「よし、いくぞっ」


 グレイはまるで風のように駆ける。私が感じるのは風の唸り声だけ。

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