第9話 1年という時間

「――ありがとうございます、お医者様!」


 一日がかりでポーションを村の人たちに飲ませた結果、無事に全員を回復させることができた。

 私の目の前で村人を従えてわざわざ頭を下げてくれているのは、村長だ。

 村長の背後には村の人たちが勢揃いしている。

 そして私たちの前には黒パンと薄く色のついたスープ。

 ここは村長の家の一間。

 宿として提供してもらったのだ。


「このようなものしかお出しできず、申し訳ございません」

「いえ。構いません。一夜を過ごせる場所だけでなく、食事まで頂けるなんて。ところで川の水が汚染されているのに何か心当たりはありませんか?」

「さあ……。私どもには」

「そうですか。原因を調べてみますから、水はもちろん、川で獲れたものは一切口にしないでください」

「ありがとうございます」

「それから、衛兵に川の毒のことを伝えてください。おそらく川の上流に汚染源があるはずです。これを調査して原因を取り除けば……」


 私はそこで言葉を切った。

 村長をはじめとして村の人たちの表情が明らかに曇ったのだ。


「あのぉ……お医者様はどちらからこの国に?」

「……北より来たばかりですが」

「北? 黄龍国ですか?」

「え、ええ、まあ……。病の研究のために諸国を旅していて……」


 黄金と宝石の国、黄龍国はゲーム内において聖王以前にこの大陸に覇を唱えていた、なんちゃって中華の国だ。

 しかし聖王の活躍で中原を失い、険しい北方へ逃げ込むことで僅かな命脈を保っているにすぎない。

 黄金と宝石の国という異称も、覇を唱えていた時代のもので、今となっては大陸での存在感は無いに等しい。

 ちなみに黄龍国を舞台した物語は『星の雫 太陽の焔2~竜のそら』で語られている。もちろん、私はこちらもプレイ済み。


「では、知らないのも無理はありませんね。実はこの国は役人が腐敗しているんです。衛兵は最早、信用なりません」


 それは実感のこもった言葉だ。


「信用ならないというのは?」

「衛兵どもは賄賂を要求し、仕事なぞまともにしてもくれない。お陰で盗賊が出没するありさまなんです」


 それは嘘のような話だ。グランシャイン王国は豊かな国で、治安も良かった。

 盗賊が出現すれば、衛兵が、その手に余るならば中央から軍隊が送られ、すみやかに捕縛したはず。

 たった一年でそこまで変わるもの?


「それだけではありません。国境は帝国にどんどん侵食され、いつこの村にも帝国が来るか……」

「いや、このまま王国の連中に搾取されるくらいならいっそ、帝国の領土になったほうがいい……。噂によると帝国の役人はしっかりしてるって話だし」

「おい、滅多なことを言うなよ……」


 そんな村人の会話まで聞こえてくる。


「国王陛下は何をなさっているのですか?」

「ギラン陛下は半年前に崩御されました。今の国王は、ギラン陛下のご子息のヨハネス様……。思えば、役人どもの腐敗は今の国王陛下が即位されて間もなくでしたか……」

「崩御……」

「左様でございます。他国よりいらっしゃった方ですから、そこまで情報が入らないのは仕方ありませんな」

「ちなみに先程、帝国が国境を、とそちらの方々が話されていましたよね。帝国と王国は戦争をしているということですか?」


 村長は頷く。


「はい。今より一月ほど前、帝国が突如として王国に宣戦を布告し、国境へ侵入してきたのです。王国は兵を出しましたが、返り討ちに」

「まさか。帝国は小国だし、山がちな土地で人口も少ないはず。王国軍が負けるだなんて……」

「我々も信じたくはありませんが事実です。噂によると、王国軍は十数万の軍、帝国は数万だったとか」

「そんな……」


 そう言われれば、ここにいる男の人たちは中年か、子ども。農村の働き手であるはずの若者がいない。若者は徴兵されたということ?

 戦争だなんて、お兄様たちは無事なのだろうか。不安に全身が包まれた。

 私は思わず膝に置いた拳を握りしめてしまう。


「……国王陛下は何をされているんでしょう」


 すると村人の一人が、「旅の御方、その国王陛下がさらに俺たちを苦しめているんですよ」と無感情に呟く。


「どういうことですか?」

「国王が即位の際に新しい宮殿を作るとかで重たい税をかけたんです」


 他の者も口を開く。


「この州の前の領主様、ルドルフ男爵様は重税に反対してくださったようですが、それが原因で反逆罪で逮捕されて……」


 ルドルフ男爵のことは知っている。下級貴族のルドルフ男爵のことを、お父様は評価していた。漫然と親から引き継いだ爵位をひけらかすような連中とは一線を画した、実務的で有能な男だ、と。

 うちにも夕食を食べに来たことがあるし、私も挨拶をして面識があった。

 男爵は官僚出身でその有能さから、爵位をもらっていた。

 貴族には二種類いる。

 一つは、聖王と共に王国の建国にかかわった褒美として、世襲が許された土地と爵位を与えられた伯爵以上の高い格式を持つ、諸侯と呼ばれる大貴族。

 もう一つがルドルフ男爵のように時の王より特別に眼をかけられ、爵位を与えられた伯爵未満の男爵や子爵の中小貴族。

 基本的にこのタイプの貴族は土地を所有しない。爵位のみの世襲。

 ただ中小貴族の場合は、本人の能力の高さゆえの貴族への抜擢だから、諸侯以上に豊かな場合もあったりする。

 ルドルフ男爵のように優れた人を逮捕するなんて、元婚約者ながらヨハネスの見る目のなさにはガッカリさせられる。

 臣下の諫言に耳を貸してこそ王者のはずなのに。


「おまけに新しい領主は税を払えない農家から家畜を取り上げて……。さらに今度は戦争で若者まで……。これじゃ、俺たちに死ねと言っているようなもんだ」

「……そうなのですね」

「ですから、お医者様。悪いことは言いません。明日にはこの国を発たれたほうがよろしいです。この国にいては、何かしらの嫌疑を掛けられて兵士に捕らわれるか、帝国との戦に巻き込まれるか――どちらにしろ、いいことにはなりません」

「あなたがたは……どうなさるのですか?」


 村長は力なく微笑む。その深い皺の中にあるのは長年、虐げられた庶民の諦念が浮かぶ。


「我々に行く場所などありません。亀のように首をすくめ、吹き荒れる嵐が過ぎ去るのを待つほかは……。――さあ、皆の衆、我々は行こう。我々がいてはお医者様が落ち着かれぬ」


 村長の言葉で村の人たちは一人一人、丁寧に頭を下げながら部屋から出て行った。


「大変みたいだな。森の外は」


 二人きりになると、グレイは独りごちた。


「……森での分かりやすい生活が懐かしくなったわね」


 自然はどこまでも正直で分かりやすい。

 そもそも悪意がない。

 今すぐ帝国に向かい、お兄様たちの行方を捜したい。

 しかしのりかかった船。

 汚染源は調べ、取り除かなければ、近隣の村々で大勢が亡くなる恐れがあった。

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