第8話 流行病
森の意思は私が外に出る事を歓迎してくれるだろうかと考えていると、すぐに抜けられた。
その呆気なさに肩すかしを覚えてしまう。
目に染みるような青空に、思わず眼を細めた。
高い空をのんびりと白い雲が流れている。
日射しは温かく、広がる野原は青々としている。身体を撫でる風も暖かい。
「で、ひとまずどこへ行く?」
「まずは帝国を目指しましょう」
さすがに一年も身を隠していれば、アンネローザはもう国内にはいないと見切りをつけているはず。
「おい、歩いて行くのか?」
「そうだけど」
「魔法を使わないのか?」
「転移魔法を使うには、転移の魔法陣を設置しておかないとダメなの。でも今は魔法は失われた技術なわけだから、転移の魔法陣はどこにもない。だから徒歩。空も飛べるけど、急ぐ旅でもないんだから」
というわけで早速、街道をのんびりと進む。一年も森の中で暮らすと、地平の彼方まで広がる平野の真ん中にいるだけで何となく落ち着かない気持ちになってしまう。
「森の外は……マナが希薄なんだな」
グレイは鼻をクンクンと動かしながら言った。
「竜脈以外はどこもそんな感じ。神秘の森のマナがすごすぎただけ」
そして中天にあった太陽が少し傾いた頃、村が見えてきた。
「ちょうどお腹も空いてきたし、何か食べ物を分けてもらいましょう」
「俺が狩ってきてもいいぞ。このあたりに野ウサギの匂いがするから……」
「そこまでしなくてもいいから」
正直、人恋しさがあった。
雑貨店で軽い挨拶程度のやりとりでもいいから、人と話したい。
なにせシルヴァ以外の人と一年もの間、話していないんだから。
と、少し進んだところで足を止める。
「どうした?」
さすがに村に狼を連れて入るのは、不要な争いを生んでしまうかもしれない。
衛兵を呼ばれたら面倒だ。
「グレイ、今からあなたを人の姿に変えるけど、いい?」
「なんで?」
「他の人たちが怖がるから。ただでさえ狼なのに、あなたは普通の狼より一回りも大きいんだから」
「俺は闇雲に人を襲う馬鹿な獣とは違うぞ」
「分かってる。でも他の人たちはそうじゃないの」
「ま、好きにしろ。俺の仕事はお前を守ることだからな」
「よし」
「格好いい姿で頼むぞ」
「善処するわ。――姿を変えよ、石を黄金に、夢を現実に……」
呪文を口ずさむ。
――言霊という言葉がある通り、言葉には魂が宿る。だからこそ呪文が成立するんだ。本来、呪文は多くの歴史が積み重なったものを使うべきだが、聖王によって呪文もまた失われた。この呪文は俺の創作だが、俺が魔法を使い続けたことで多少は、魂をこめることができた。
シルヴァの教えが頭を過ぎった。
私はグレイに手をかざし、念じ、練り上げた魔力をグレイに反映させる。
グレイが青白い光に包まれると、みるみる人の形を取っていく。
そして――。
「おお、これが人の身体かあ」
灰色の腰まで届く髪の青年が姿を見せる……。
「っ!」
私は慌てて、グレイに背を向ける。
「おい、何故後ろをむく。何かおかしいか?」
「お、おかしくないけど……裸……っ!」
うっかりしていた。
「当然だろ」
「す、すぐに服を用意するからっ」
「俺はこのままで構わないけどな」
「私は構うのっ」
怪しまれないように人型に変化させたのに裸では意味がない。
むしろ全裸男と一緒にいては、狼を連れ歩いた方がマシですらある。
「土くれより形を顕せ」
私はその場にしゃがみこむと、その場にあった落ち葉や土をかき集め、そこに魔力を送り込み、頭の中で衣服のイメージを思い描き、シャツと短パンを生成する。
「これ着てっ」
背を向けたまま服だけを渡す。
「……どうやって着るんだ?」
「じゃあ、私が着させるから」
「頼む」
私は急いでグレイの背後に回ると、まず下を穿かせ、それからシャツを着させる。
ふぅ……。
「これが服か?」
「最初は違和感はあるだろうけど、そのうち馴れると思う」
「なあ、ヒラヒラ部分が邪魔なんだが」
グレイはシャツの裾を手で引っ張る。
「邪魔ったらパンツの下に入れるとか……」
ビリビリッ!
「よし、これでいいな。ん? 今何か言ったか?」
グレイはシャツの裾を乱暴に破り捨てた。
「あー……ま、それでいっか」
腹だしスタイルは野性味が出て、今のグレイには似合っている。
「それと、この髪はどうしたらいい? 毛が邪魔だ……」
「じゃあ、これも一つに束ねて」
腰まで届く灰色の髪を一つに束ね、紐で結ぶ。
「これでよし。くれぐれも今は人間だから、人間としての行動を取ってね。二足歩行で、みだりに匂いを嗅いだりしない。了解?」
「任せろ。完璧に人間を装ってやる」
「期待してる」
藁葺き屋根の住居が二十軒ほどの小さな村だ。ここなら衛兵が常駐しているということもないだろう。
しかし。
「……人がいない」
昼間だというのに、村はしんっと静まりかえっている。まるで無人。
それでも炊事の煙が上がっている家はいくつかあった。
そのうちの一件の扉を叩く。
すると、鼻と口を覆うように布を巻いた女性が顔を出す。
「なんでしょうか」
「すいません。この村に雑貨屋か宿屋はありますか。食事をとりたいんですが」
「雑貨屋はありましたけど……そこも家族が流行病で全員が倒れて……」
「流行病、ですか?」
「え、ええ」
と、家の中から苦しそうな男性の声でおそらく女性の名前を呼ぶ声がした。
「すみません。うちの人もひどい状況なので」
「待ってください」
閉められようとした扉に手をかけた。
「は、はい?」
「もし宜しかったら診てみましょうか?」
女性は私の姿を頭の先から爪先まで見ると、胡散臭そうな顔をした。
「……お医者様、なんですか?」
「まあ、そんなところです。お代はいらないので」
「分かりました。どうぞ」
家の奥では、旦那さんがベッドに寝ていた。顔色は悪く、やつれ、苦しそうに喘ぐ。
「……誰だ」
「お医者様よ」
「い、医者だぁ? うちにはそんな金……」
「お代は気にせず。学術的興味があるだけなので」
「がく……? よく分かんねえ……」
「症状は?」
「お腹を下したり、吐いたり……ついには動けなくなってしまって」
「もしかして他の家が静かなのも?」
「そうです。どの家も。こんな小さな村で、村人以外の交流なんてほとんどないのに流行病なんて……」
私は魔力を瞳に集中させ、旦那さんの身体を鑑定する。
と、その身体に淀みがあるのが分かった。
「原因に思い当たることは?」
「さあ……。通りかかった行商の人に話を聞くと、川沿いの村で似たような病気が流行ってるんだとか」
「……天候はひどいわけじゃねえのに、せっかく育てた野菜が枯れたり、ロクでもない……」
「水に原因があるのかもしれません」
「……それは違うと思います」
「そうなんですか?」
「はい。村長も最初は水に原因があると仰って井戸水や川の水を飲まないよう注意をだしましたから。それでも次々と病人が出て……」
「この村の井戸はどこにあります?」
「この家の裏手ですけど、あの、本当に飲んでいないんです。お酒を薄めてそれを水代わりにしてて」
「念の為に調べるだけです」
私は言われた通り、裏手の井戸へ向かう。そこで水を組み上げ、桶に入れる。
「グレイ、運ぶの手伝って」
「おう」
そうして桶を手に台所を借りると、水を別の容器に移す。
「待て」
「ん?」
グレイはすんすんと器に移した水を嗅ぐなり、顔をしかめた。
「臭いぞ」
「……そう?」
「これは何の匂いだ? ……血、か?」
「血?」
鼻を寄せてみるけど、いたって普通の水の香り。たしかにちょっと泥の匂いはあるし、濁ってもいるけど……。
濾過したりすれば濁りも取れるだろう。
しかしグレイの嗅覚に引っかかるのならば何かあるのかもしれない。
私は水に手をかざす。
「我が手に清浄なる水よ……」
水とそれ以外を分離する。分離された水は球体となり、まるで固形物のように、私の手の平に収まる。それを別の器に移す。
そして水を取り除いた器には、砂利や泥、小石、そして――金属的な光沢をもった何かが残った。
グレイは光沢を持つ物質に鼻を寄せる。
「これだ。このキラキラしたもんが匂いの違和感だ」
私はさきほど旦那さんにしたのと同じ鑑定魔法を使う。
「っ!」
結果に、思わず息を呑んでしまう。
それは水銀。
「これは猛毒よ。これがきっと流行病の正体ね」
水銀は煮沸しようが、濾過しようが、無害化はできない。
「だけど、あの女も言ってたけど水は飲んでないんだろ」
「水は、ね」
「どういうことだ?」
私は奥さんの元へ戻る。
「先程水は飲まれていないと仰いいましたよね? 川魚はどうですか?」
「は、はい。川で獲れた魚なら食べていますけど」
「この近くで獲れた?」
「はい……」
「原因は魚です」
「でも魚は新鮮です。ちゃんと焼いてますし、下処理だって。それにもし魚が毒を口にしているなら、死んでいるのでは?」
「おそらく川全体が汚染されているんです。そこで暮らす魚は小さな虫やコケやらを食べることで体内に少しずつ毒を蓄積する……。それだけで魚にとって死ぬほどの量ではないでしょう。しかしそれを人間が捕まえ、毎日のように食べ続ければ、魚に含まれる毒が少しずつ身体に蓄積され、少しずつ蝕んでいくんです」
「で、では、どうしたいいんでしょうか!」
「毒を浄化すれば大丈夫です。今薬を造りますから」
台所にとって返すと、私は先程魔法で分けた純粋な水に魔力を注ぎ込み、ポーションを造り出す。
「……瘴気を沈めよ、聖なる力……汝の癒やしこそ、我が喜び……」
呪文を唱えると、右手がうっすらと輝く。
「うん、バッチリ」
ポーションは身体の毒を浄化する。
色は濃いめの青。
美味しく飲めるようなものではないけれど、拘ってる場合ではない。
私は寝室にとって返す。
「さあ、これを飲んで下さい」
「……なんじゃそりゃ。薄気味の悪い色だ……」
「お薬です」
「じょ、冗談だろ」
「あなた、お医者様になんてことを」
「いいんです。苦しいままでいいんですか? これを飲めば治ります」
「……わ、分かった」
ポーションを飲ませる。
「甘ったるい……」
私は奥さんを見る。
「あなたも、旦那さんほどではないにせよ、体調が悪いんじゃないですか?」
「よくおわかりですね」
「顔色が優れないので。それに歩く時に身体が重たそうでしたから。あなたも飲んで下さい。どうぞ」
「……いただきます」
「しばらく休んでいて下さい。きっと良くなります」
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