第5話 神秘の森
私はお兄様に言ったとおり、近くの街で馬を求めた。支払いは金貨。釣りは受け取らなかった。
普通の人間はわざわざ金貨で支払いなどしない。というか、金持ちくらいしか金貨なんて代物は持てない。
銅貨か一般的で、銀貨が少し金持ちが使うくらい。
ただの特徴のない街でわざわざ金貨で買い物をするなんて、駄菓子屋の10円のお菓子に一万円を出して釣りはいらないと言うくらい異様だ。
これだけで十分目立つ。
私は馬を走らせる。
どこへ行くか、それは考えていた。頭の中にあったのは『ホシタイ』が発売されて、一年後のスタッフの対談本のシナリオライターの言葉。
実は裏設定で、この世界には魔法が存在するらしい。
しかしそれは三百年前に聖王が魔法を使うことを禁止し、魔法に関する文献を焼き捨て、魔法を使うものを処刑したことで継承する者がいなくなった。
どうしてそこまでして魔法という存在を消そうとしたのか。
魔法という超常の力がある限り、それに頼った戦乱はやまない。
たとえ一時的にやんだとしてもいずれ、自分の
ゲーム内の人物たちは庶民にいたるまで、魔法の素養があるらしい。
これを信じるのなら、私には、というか、この世界の人たちは魔法が使える。でもそのことを知っているのは私だけ。
しかし夜遅くに一人で何となく魔法が使えそうな雰囲気で色々やってみても、何も出来なかった。
きっと魔法を使うにはコツがいるんだと思う。電化製品でも何でも何もせずに勝手に動くということはないわけで。
魔法にもきっと何かしらの手順があるんだと考えた。
さらにこれも裏設定の話ではあるんだけど。
王太子のヨハネスには、シルヴァという腹違いの兄がいる。
そしてその腹違いの兄は赤ん坊の頃から魔法を勝手に使うことができた。
しかし魔法という存在が王家にすら伝えられなかったせいで、悪魔の子と忌み嫌われ、捨てられた。
しかし彼は逞しく生き、神秘の森という場所に隠れ、魔法の研鑽に励んでいるとのこと。 隠れてるから、ゲームにはその存在が痕跡すらない。
FDで出せればとシナリオライターは仰っていたけど、結局、FDにも出てこなかった。
果たしてこの世界に裏設定が反映されているのだろうか、とも考えた。
魔法が使えないんじゃない。そもそも裏設定だから存在しないのかもしれない――。
でも可能性はゼロじゃない。
だってゲーム上には登場しない、アンネローザの日常を私はこれまで、本当の人生のように体験しているのだから。
十八年を生きてきたんだから。そういう記憶がある気がする、じゃなくて。
はじめての乗馬、はじめての勉強、はじめての学校、はじめての習い事……等々。
裏設定というものが世界に反映されてたっておかしくはない。
裏設定――それはファンにとっては妄想を加速させるための火種。同好の士と語り合うための燃料。
でも今の私にとっては希望そのもの。
私が王国の兵を引きつけている以上、お兄様たちはきっと無事だろうし、帝国へ亡命した後も、お父様の政治手腕は帝国に対しての喉から手が出るほど欲しいはず。
私はお兄様に嘘をついた。
帝国に合流するつもりはない。
そんなことをすれば私を血眼になって探す王国は帝国そのものを飲み込もうとするかもしれない。
お兄様たちを守るためにも合流はできない。
ならば私はこれから一人で生きていかなくてはならない。
身を守る術――魔法さえ習得できれば、どんな状況でも生き抜くことができるはず。
希望に燃えた私はできるだけお兄様たちから王国兵の注意が逸れるように、離れるように頻繁に街に出没した。
そうしながら徐々に神秘の森を目指す。
神秘の森というのは名前だけだが、ゲーム内にも出てくる。
ただそれはそういう場所が存在するというだけ。
そこには怖ろしい獣がたくさんひそんでいるから一人で行かないように、と主人公にヒーローが忠告するのだ。
本編に特に関わり合いがなかったのはきっと一応設定だけはあるっていうことを、シナリオライターが匂わせたかったんじゃないかな、と勝手に推測している。
でもそのお陰で、迷うこともなくたどりつくことができた。
そこは鬱蒼とした深い森。
中に入ると、幾重にも折り重なった葉に日射しが遮られ、ときおり吹く風は生ぬるい。
これだけ自然が溢れているはずなのに鳥の鳴き声ひとつまともに聞こえない。
そして森の中をどれだけさまよっただろう。
体感では三十分くらいか。実際はもっとかもしれないけど。
いつまで経っても住居らしいものは見えてこない。見渡す限りの木々。建物らしい人工物は影も形もない。
正直、外から見た限り、この森はそこまで大きい森ではないように見えたのに。
最初の威勢の良さはなりを顰め、不安がどんどん大きくなる。
冷たい汗が、背中を、つ……と流れ落ちていく。
ここまで順調に来られたというのに、ここにきて魔法の天才である腹違いの兄は実在しません、というオチ?
嘘でしょ……。
焦りが歩みを速くする。
早歩きはいつの間にかダッシュに変わる。
どこをどう走ったか、一気に視界が開けた。
森を出た――と一瞬、勘違いした。しかし違った。そこは変わらず森だった。
それもそれまで一切日射しが遮られていたにもかかわらず、一本の立派な大樹と同化した古ぼけた小さな館のある場所は、さんさんと穏やかな日射しが降り注ぎ、小鳥が館の前に撒かれたパン屑をついばんでいた。
私の気配に小鳥がびっくりして飛び立つ。
「……よ、ようやくたどり着けたの?」
半信半疑だけど、でもこんな森の中にシルヴァ以外にも好き好んで済むような人間がいるとは思えない。
私は恐る恐る館に近づこうとしたその時、扉が開いた。
「っ!」
中から姿を見せたのは、白いローブをまとった、すらりとしたしなやかな上背の男。
髪は銀色で、その二重の眼差しは、はっとするほど美しい紫。整った顔立ちは思わず息を呑んでしまうほど。そして青年は手に、木の棒を握る。
「あなたは、シルヴァ?」
男の目が不審げに細められた。
「どうやってここに来た? お前、何者だ? なぜ俺の名前を知っている?」
警戒の滲んだ声。
「申し遅れました。私はアンネローザ・フォースター・ジフリタス」
「ジフリタス……」
「ジフリタス公爵家の――」
「王太子から婚約破棄を申し渡された女か。旧公爵家の一家は逃亡中だと聞いたが」
「旧?」
「王家はジフリタス家より爵位を取り上げた」
どれだけ陰湿なのだろう。まあいい。すでに国を追われた身。王国からもらった爵位に価値はない。
「そんなことはどうでもいいのです。私がこうして来たのは、あなたから魔法を教わるため」
「魔法だと? 童話の読み過ぎだ」
「魔法は存在する、そうでしょう?」
「何のことか分からない」
「安心してください。私は魔法の存在を知っています。聖王が世界からその痕跡を完膚無きまでに消し去った超常の力、ですよね。警戒される気持ちは分かりますわ。実は王立図書館の書庫にあった本を読んだのです。おそらく聖王の手を逃れたのでしょう」
私は嘘八百を並べる。裏設定が~、なんて信じられないだろうから。
シルヴァはかすかに黙り、しばらくしてから口を開く。
「私のことはどうやって知った?」
「お父様からかつてお聞きしたことがありましたの。ヨハネス王太子には腹違いの兄がいたが、悪魔の力を持っていたがために捨てられた、と……」
「……ダンラスが俺のことを知っていたとは。しかし……そうか、人の口に戸は立てられぬ、か」
信じてくれた!
「それで、逃亡中の女がなぜ魔法など使いたい? 超常の力で、婚約を破棄した王家に復讐をするつもりか?」
復讐……。言われてみればそういうこともできるのかと、指摘されて初めてそのことに思い至った。
しかしその考えは今となってはあまりにちっぽけだ。
復讐を遂げても虚しいだけなんて達観した意識を持つつもりはない。
王国への執着そのものが、プレイヤーである今の私にとっては馬鹿馬鹿しかった。
「いいえ。自らの身を守る術を身につける為、ですわ。家名は帝国に亡命したお兄様が守ってくれるでしょう。しかし私はお兄様とは行けない。私がお兄様たちと合流すれば王国はどんな暴挙にでるかも分からないから……。そうであれば私はこれから一人で生きていかなければいかない。この広い大陸、女だけで生きるには強い力が必要! 魔法はそれに最適なのですわっ!」
「――誰にも教えるつもりなどない。帰れ」
「ちょ……!?」
シルヴァは
私は鼻先で閉められた扉に追いすがり、どんどんと叩く。しかし反応はない。扉は押そうが引こうがびくともしなかった。
ぐ、ぐるぅぅぅぅ……。
「っ!」
盛大にお腹が鳴ってしまう。
そう言えば、ここのところ森を目指すことにばかり意識がいって、ほとんど満足に食事をしてこなかった。
ここで魔法を諦める? ありえない。
何がなんでも魔法は学ばせてもらわなくては。
そうとなれば我慢くらべ。日参するしかない。
そうと決まれば今やるべきことは食糧の確保。
私は大きく深呼吸をする。
「シルヴァ様! 私は決して諦めませんからっ! 絶対、魔法を教えてもらいますっ! また明日、おうかがいいたしますからっ!!」
館にいるだろうシルヴァに聞こえるよう大声を上げ、私はひとまず食べ物を探すためにその場を離れた。
幸運なことに木の実や果物を得ることができた。
さらに飲み水に使えそうな綺麗な川も。
さっきまで散々森の中をさまよっても川も木の実も見当たらなかったというのに。
「ツイてるわ。これもきっと神様が私を見捨ててない証拠ね!」
私は川岸で水で渇きを癒やし、木の実で腹を満たした。
この森は温かい。
これだったら野宿は可能だろう。
川があれば水浴びもできるから清潔に過ごすこともできそうだし。着替えももってきているし。
当面は心配ないはず。あとはシルヴァと私と我慢くらべ。
「ふぁ……」
お腹が一杯になったせいか、睡魔に襲われた。小さく欠伸をして、ごろんと横になった。
少し寝よう。そう思った矢先、ガサガサと草むらが揺れる音を私は耳にした。
ガサガサッ。
まただ。
風のせいとも思ったけれど、何も感じない。第一、木の枝がしなってもいないのに草むらだけが風に揺れるはずがない。
「…………っ」
目を開けた私は、ゆっくりと身体を起こす。
またまた、ガサガサと数メートル先に草むらが揺れる。
私はゆっくりゆっくりと身体を起こし、いつでも逃げられるように中腰になった……。
「わふ!」
「え?」
草むらから飛び出したのは、一匹の犬――じゃない。両手で抱き抱えられるくらいの大きさの灰色の犬の子ども……。
愛らしく円らな黒目で私を見つめる。
犬は可愛い舌を出してハッハッハッと息を切らし、尻尾をぶんぶんと振っている。
かわいい。
「よ、よしよーし……」
普通なら野生動物を触れようとは思わなかっただろう。
どれだけ可愛くても人になれていない野生動物に手を出せば、噛みつかれたりするかもしれない。
今の私には医師の診察を受けられるような立場ですらなく、そもそもこのゲームの時代(なんちゃって中世ヨーロッパ)の医療レベルで治療できるかも定かではない。
なにせ風邪の治療だって、薬草を煎じたものを飲み、後は安静一択なのだから。
それでも触れようと思ったのは、それだけ森の中で一人ぽつんと過ごすことが寂しかったんだと思う。
私は恐る恐る右手を伸ばし、犬の前に差し出す。
犬はくんくんと私の指先の匂いを嗅いだかと思うと、ちろっと舐めてくる。
「ふふ、くすぐったい」
思わず手を引っ込めてしまう。
よちよちと短い足を動かし、犬が近づいてくる。
もしかして……。
私は余った木の実を手の平にのせて、犬の口へと近づける。犬は小さな口をめいっぱい開けて、木の実をはむはむとかぶりつく。
口の周りを果汁で汚しながら霧中で食べる。
その食べっぷりに、私は思わず笑顔になった。
水を両手ですくい、これも犬に近づける。
ふんふんと匂いを嗅いでいた犬はぺろぺろと舌で水をすくい、美味しそうに飲む。
「ふふ……」
私は犬の頭を優しく撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます