第2話 善後策

 そして鏡の間を出た瞬間、私は歩きにくいだけのヒールをその場で捨て、あらん限りの力で全力疾走をする。

 玄関から出ると、すでに話が通っていたのだろう公爵家の紋章である、大きく翼を広げた鷲の描かれた馬車に乗り込んだ。


「家へ」


 御者に命じ、城を後にする。

 絶対に死んでたまるものか。自分の命も、家族の命も、救ってみせよう。

私はこのゲームのプレイヤーだった。

 乙女ゲー『星の雫、太陽の焔』(通称;ホシタイ)は,グランシャイン王国編とティノムール帝国編とに別れていて、プレイヤーはそれぞれの国のヒロインとなり、ヒーローたちと結ばれることを目指す。

 王国編は正統派乙女ゲー。主人公はマリー。母を幼い頃に亡くし、父は財を成して多額の献金を行った功績で爵位を賜ったものの、大貴族からは成り上がり者として蔑まされるという境遇。貴族の子女の通う学園での日常が主軸で、そこで私が転生したアンネローザに眼をつけられ、様々な無理難題をふっかけられる。

 それらの障害を持って生まれた負けん気と根性、諦めの悪さで乗り越え(乙女ゲームの主人公にしてはそこそこ泥臭いけれど)、ヒーローと添い遂げる。

 一方の帝国編は武人を多く排出した少数民族の族長の家に生をけたシュラ・ビジュイがヒロイン。帝国編は王国編とは打って変わって、硬派で大河ドラマなストーリーが展開される。ヒロインは女性ながら男勝りの武人。

 しかし有力部族の襲撃を受け一族が皆殺しになり、奴隷として売られそうになったところを、同じく少数民族の族長であるヒーローに救われる。恋愛要素はもちろんあるけれど、どちらかと言えばシュラによる武勲譚の色彩が濃い。

 私はこのゲームが好きだ。

ヒーローたちと結ばれる恋愛要素だけでなく、陰謀にたちむかうサスペンス要素の出来も良く、なによりそれぞれ性格が正反対のヒロインたちが格好よく描かれているし、王国と帝国という異なった文化背景、政治背景を持ったそれぞれの国を舞台にした重厚なストーリーは飽きずに遊べた。

 本編発売後のFDももちろんプレイしたし、シナリオライターのインタビューにも余さず目を通した。シナリオ本まで購入した。

 どうせなら、マリーに生まれ変わりたかった。

 それが贅沢だというのなら、もっと早く自分が転生者であることに気付きたかった。

 転生したことが分かった途端、明日死ぬことが確定しているなんて。


「――アンネローザ様、到着しました」


 御者の声で私ははっと我に返った。


「ありがとう」


 扉が開けられ、侍女が深々とこうべを垂れた。その表情には困惑が見て取れた。

 戻るには早すぎる時間だ。不審に思う気持ちは分かる。

 私は侍女ににこりと微笑みかけ、屋敷へ歩く。


「そうだ、至急、お父様、お母様、兄上にお話ししたいことがあるのだけど」

「皆様、食堂に……」

「そう、分かったわ。ありがとう」


 私は一階の南にある食堂に足を踏み入れた。


「ただいま戻りまし、た……」


 空気が沈んでいることにすぐに気付く。

 お父様が私を見るその眼差しはどこか虚ろ。お母様も同様。いや、こちらはもっと窶れ、顔も青白い。

 お兄様もまた、私を見つめる表情は強ばっている。


「アンネ……。どうしたんだ。舞踏会ではなかったのか?


 すると、お母様がわっと声をあげて、ハンカチに顔を埋めた。お父様が慌てたように背中をさする。そんなやりとりを、お兄様はぼんやり眺めている。


「お兄様こそどうなさったのです。お仕事は……」


 騎士団長を務めるお兄様の帰りは、日付が変わってからが普通だった。


「お前が舞踏会に出て騎士団長を解任されたんだ」

「なぜ……」

「相応しくない、とただそれだけで。理由は分からない。なにせ、王命だったからな。王が命じることに理由など必要はない」

「後任はまさか……」


 私は王子のそばにある人がいたことを思い出す。


「……ヴェルナーだ」


 よりにもよってこんな当てつけのような人事を行うなんて……。

 兄が若干二十五才にして騎士団長になれたのはもちろん公爵家の次期当主ということも大きいが、それも同じくらい剣や弓の腕前に優れていたから。

 国の為に命をかけると私以上に気を張り、未来の王妃の兄に相応しい振る舞いを、と自らを厳しく律してきたから。


「私も、だよ。アンネ。大臣を解任された」


 父が力なく呟く。

 婚約破棄後の公爵家の動きはゲームでは描かれていない。描かれていなかったとしても存在しないわけがない。

 私には確かに想い出がある。その想い出とゲーム内イベントを付き合わせても、ゲームには存在しなかった出来事は山ほどある。


「――なるほど。私もさきほど、大勢の目の前で婚約破棄を言い渡されました」

「なぜ!」

「……それは身から出た錆、ということになりますわね」


 しかし悲嘆に暮れている暇などない。

 そんなことをするために戻って来たのではない。


「そうか」


 兄は嘆息した。

 私の(転生した自覚がなかったこととはいえ)お粗末さのせいで、家族に迷惑をかけてしまった……。


「お父様、お母様、お兄様、すぐに荷物をまとめてください。国を出るのです」


 お母様は何かわめいたが、お父様がそれをやんわりとなだめ、私を見る。


「そこまでせずとも……。我が家は聖王様が即位されて以来の王国の臣下だ。命まで取られるはずなど……

「事態はそこまで切迫しているのです。兄上は騎士団長を、お父様は大臣を、それぞれ解任。公爵家はこの国にとって決して粗末にはできない存在のはず。しかしここまでのことが起きているということは他の全ての貴族が私たちを見放した、ということです。生き残るには国を捨てなければ……」

「亡命……一体どこへ行けばいい」

「――帝国しかないのでは、父上」


 お兄様が深く息を吐き出し呟く。


「あの新興国か。野蛮な獣の国という噂だ」

「しかしそれ以外に我々を受け入れてくれそうな国などあるでしょうか。恐らく王国も馬鹿ではない。我々が国を脱出した時のことを考え、すでに友好国へは手を回しているはず。であれば、我々が向かうのは

、先頃ようやく統一されたばかりで、まだ王国との外交関係を結んでいないティノムール帝国しかないでしょう」

 さすがはお兄様。どこまでも冷静だわ。

 お父様ゆずりの茶色い髪に、切れ長の涼しげな目元に意志の強さを秘めたお母様と同じ緑の瞳。悪役令嬢の兄であるのはあまりにももったいない能力と面貌。


「お兄様の仰る通りです。お父様、ご決断を」


 お父様は目を閉じ、すぐに頷く。


「分かった」


 お母様は何かを言っていたが、お父様は取り合わなかった。


「お兄様、私は少しでかけてきます。すぐに戻ります」

「一人では危うい。私が……」

「構いません。一人で……」

「俺が!」


 そちらを見ると、シャリオが立っていた。うちに仕えてくれている十八歳の青年だ。

 黒髪に黒い瞳、浅黒い肌。

 孤児院を抜け出し、ストリートで生きる道を選んだ子で、同じような境遇の王都の孤児たちと一緒に集団を作っていた。

 ある時、お兄様の財布をスリ、散々追いかけっこをした挙げ句、捕まった。普通なら衛兵に渡され、縛り首――。

 しかしお兄様は機転が利くという理由でシャリオを気に入り、屋敷で下働きさせたのだ。

 普段は学園においても身分の別について厳しいはずのアンネローザもなぜかこの青年には気を許していて、他愛ない世間話に興じたり、文字を教えたりしていた。


「俺がアンネローザ様を守りますっ!」

「……そうか。では、シャリオ、頼むぞ。傷一つつけさせるな」

「はい、ゲオルグ様」

「あなたが一緒で心強いですわ。では行きましょう」


 私は使用人に荷馬車を出すように告げた。

 こんなドレスでは目立つが着替えてる時間はないから、暗闇に紛れられるようなフード付きの外套をまとう。


「俺が手綱を」

「お願い」


 シャリオが御者となり、馬を走らせる。荷車の車輪が石畳みをゴトゴトと音をたてながら、ひっそりと寝静まった街中を進んでいく。


「それで、どこへ行くんですか?」

「墓地よ」

「……こんな夜に? なぜです?」


 シャリオが興味津々に目を輝かせる。


「行けば分かるわ」

「分かりました」


 しばらく進むと、シャリオがちらちらと私の顔を盗み見ていることに気付く。


「何?」

「い、いえ。何でも……」


 シャリオはすぐ思っていることが顔に出る。


「私が婚約を破棄されたことかしら?」

「!」

「どうせ、話を盗み聞きしていたのでしょう。はしたないわよ。ここはストリートではないんだから」

「すみません。でもお屋敷の雰囲気がおかしかったので……」

「そうね。確かに気になるわよね」

「あの!」

「?」

「俺がアンネローザ様と結婚します!」

「あら」

「本気ですから! そもそも、あんな奴にはもったいなかったんです! アンネローザ様はすごくお綺麗なのに、他の女によそ見するとか……」

「ありがとう」


 微笑みかけると、シャリオは顔を真っ赤にして「い、いえ……」と口をもごももごさせる。

 あのゲームの結末で、この子はどうなったのかしら。私たち家族が死んでから、どう生きたのだろう。

 まあシャリオはストリートのリーダーだったんだ。

 頭もいいし、度胸もある。強く生きてくれただろう。

 そして墓地に到着する。

 シャリオがカンテラで足下を照らしてくれる。向かう先は墓守の元。

 おどろおどろしい墓石の中の道を進み,私は墓地の外れにぽつねんと建っている粗末な小屋の家の戸を叩く。


「……なんだい、こんな夜更けに」


 墓守の中年男が煩わしそうに顔を出す。

 商談がしたいの、と私たちは強引に部屋に入る。


「商談。誰か亡くなったのか?」

「いいえ。死体が欲しいの」

「はぁ? あんた何言って……」


 私は金貨の詰まった小袋を、ひび割れた木製テーブルにどさりと置く。

 墓守の目がかすかに光った。


「何体必要だ?」

「四人分。中年の男女が二人。十代後半から二十代前半の男女が二人」


 墓守は帳面を取り出し、指をナメナメページをめくる。


「新鮮なほうがいいか?」

「腐敗してなければ。それから御許も分からない遺体であればなおいいですわ」

「王都じゃ死体に事欠かない。火葬前の身元不明の遺体が日に何体も出る」


 というわけで、墓守、シャリオと協力して荷馬車に四人分の棺桶を乗せる。


「ありがとう。くれぐれもこのことは……」

「死体のことなんざ誰も気にしねえさ」


 墓守はさっさと家にとって返していく。


「行くわよ、シャリオ」

「は、はい。でも死体なんてどうするんですか?」

「彼らには、私たちの身代わりを務めてもらうわ」


 私が言うと、シャリオはまだ分からないと言うように首をかしげた。

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