第19話

「…………」


 だんまりしている色部さんに僕はたたみかけるように告げた。


「自分が担当するタレントを自分の私利私欲で傷つけるなんてことはあっちゃいけない。オタクなら当然だし、マネージャーならなおのことだ。マネージャーがタレントのこと真っ直ぐ見てやれないで誰が見るの? 分かっててマネージャー専攻に進学したんじゃないの? まさかだけど本気で推しとお近づきになりたくて進学しました、とかじゃないよね?」


「…………ッ」


 僕は色部さんの方を見た。


 潤んだ瞳。


 食いしばる口元。


 初めて見る表情だ。

「領分は弁えろよ。あなたのことは苦手だけど、優秀だとは思ってるからさ」


「…………」


 色部さんは何も言わず、僕に背を向けた。


 ……流石に言い過ぎたかな。


 熱がだんだん引いてきて、冷静さが戻ってきた。


 あんな強い言葉は使わないようにしてるのに……やってしまった。


「領分ね……その通りだわ」


 鼻が詰まったような、潤んだ声だった。


 色部さんは背を向けたまま、続ける。


「影山先生があなたを選んだ理由……やっと、分かった気がする」


 なにその意味深な言葉は。


 僕が思わず首を傾げると、色部さんは地獄のような空を見た。


「あなたと影山先生に呼び出された日……めちゃくちゃ悔しかったのよ」


「……悔しかった?」


「だってメンションされるまであなたの名前なんて知らなかったし。隅っこ定位置でスマホばかり見てる人って印象しかなかったし」


 本当にそこまで認知が薄いとは思ってなかった。

「そんな人とこのあたしがどうして……って、最初は思ったのよ。しかも影山先生はあなたのことをものすごく買っていたし」


「…………」


 どうやら、そうらしい。


 影山先生はやけに僕のことを期待してくれている。


 だけど今は……その期待が、すごく苦しい。


 すると色部さんは唐突にとんでもないことを言ってきた。


「だから問い詰めたのよ、影山先生を」


「……はい?」


「そしたらあなたの入学課題のレポートを渡されたわ」


「……はいぃっ!?」


 影山先生、そんなことしてたんですか!?


 あまりにも恥ずかしすぎて今すぐ逃げ出したい気分だ。


「お題はなんでもよかったとはいえ、『Vtuber』が題材って聞いた時にはふざけてるのかしらって思ったけど」


「……悪かったですね」


「いいえ、素晴らしかった」


「…………!?」


 思わず目を見開いてしまう。


 色部さん……今、なんて言った?


「あたしのレポートの出来が悪いとは思ってない。だけどあなたのVtuberに対する解像度の高さも、そのVtuberに対するあなたの献身的なところも、愛情も……その領域にあたしは片足すら踏み入れられてないって、思い知らされた」


 色部さんの声がどんどん落ち着いてきた。


 いつもの凛としていて、勝気な彼女に戻ったように感じる。


「そんなあたしじゃプロデューサーなんて務まらない。だからマネージャーにしてほしいって直談判までしたのに……ほんと、駄目ね」


 色部さんは僕に向き直ると、満面の笑みを浮かべた。


「完敗よ……灰原くん」


 どこまでも清々しい、吹っ切れたような笑顔だった。


 そこにはただの陽キャで、一軍で、傲慢に見えた色部さんはいなかった。


 ……こんな顔もするんだな。


 だけどどうしても引っ掛かることがある。


「……完敗って、なんですか?」


「えっ?」


 めちゃくちゃ素っ頓狂な声をあげられてしまった。


 あげたいのは僕のほうなんだけど。


「……勝負じゃないですよね」


「……?」


 そこは首を傾げないで色部さん……大事なこと、見失ってるよ。


「みんなで作り上げるものですよね? エンタメって」


 確かにプロジェクトとしてお金が絡み出したら、売上とかで勝敗らしきものはつくのかもしれない。


 だけどVtuber界隈は、Vtuberとリスナーが生み出した『てぇてぇ文化』によって、どんどん拡大していったのだ。


 きっとアイドル界隈だって、似たようなものなのだろう。


 だからこそ色部さんがここまで悔しがるのが、不思議でならなかった。


 純粋な気持ちで問いかけると、色部さんは黙り込んでしまった。


「…………」


「……色部さん?」


「ごめんなさい、あたしの意識の問題みたいだわ。気にしないで」


「……そうですか」


 よく分からないが本人の中で腑に落ちたみたいだ。


 ならば僕はこれ以上、口を挟まない方がいいだろう。


「坂道さんにもちゃんと謝っておくわ」


「……そこはほんとにお願いします」


 とはいえ坂道さんが受け入れてくれるかどうかは別問題だ。


 あの怒りようから察するに、おそらく本人的には地雷だったんだろう。


 先が思いやられて思わず目を伏せると、僕は色部さんに一言だけ告げた。


「……協力はします」


「……!」


 色部さんがどんな表情だったのかは、分からない。


 だけど屋上から自分の部屋に戻ろうとした僕に、色部さんは言った。


「助かるわ」


 普段よりずっと柔らかい、穏やかな抑揚の声だった。


 僕は勝手に安心して、階段へ続くドアノブをひねる。


 SEAで出会ってから、色部さんのことがずっと苦手だった。


 今回の一件で嫌いにすらなりかけた。


 だけど……僕が思っていた以上に色部さんは真摯な負けず嫌いだった。

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