第18話

 ……最悪だ。


 言葉として出さなかった自分を褒めたいと思っている。


 現状が変わらないにしても、悪化してしまうよりはマシだ、と。


 そう思わないとやってられないくらい、現状は最悪だ。


 あの修羅場のあと、何回ため息をついたか知れない。


 あまりにも息苦しくて、寮の屋上のテラスへ逃げ場を求めて空を眺めた。


 まるで地獄みたいな空だった。


 夕暮れと暗闇を混ぜたような……恐ろしい空だった。


 SEAに入学してから早1カ月。前途多難すぎる、あまりにも。


「……はぁ」


「ため息ばかり吐いてると、幸せが逃げるわよ」


 凛とした女性らしい声。


 今、一番聞きたくない声が近付いてくる。


 僕は振り返らなかったが、その声は僕の隣に歩み寄ってくる。


 声の主――――色部さんは何食わぬ顔で僕に声をかけてきた。


「お疲れ様、灰原くん」


「…………」


「さっきは……完全に取り乱してたわね。猛省したわ」


「…………」


「けどもう切り替えたわ。同じミスはしないから安心して」


 なんだろう……ムカつく。


 僕は色部さんの方を向かず、俯きながら唸った。


「……だったらさ」


「えっ?」


「……直接、坂道さんに謝りにいけばいいんじゃないんですか?」


「…………」


 黙り込む色部さんに僕は続ける。


「坂道さんの居場所が分からないって言うんでしたら、SEAにいるそうですよ。さっき連絡が来ました」


「そ、そう……」


 だけど色部さんが屋上から去ることはなかった。


「……連絡先を知らないんでしたら教えますけど」


「LINEかしら?」


「……ディスコードです」


「まだ、インストールしてないのよね……」


「……今からすればいいじゃないですか」


「…………」


 沈黙ばかりする色部さんに僕は深く、深くため息をついた。


「今は向こうが冷静に話ができないでしょうし、ほとぼりが冷めてからにするわ」


 腹の底から沸々と何かが込み上げてくる感覚がする。


 喉の手前まで色んな不満が出てきて――――スイッチが入る音がした。


「言い訳ばっかりだな、さっきから」


「えっ……?」


「とりあえず僕に言っておけばいいや、とかって思ってない?」


「灰原くん……?」


 血液が熱を持つ。


 心臓が脈打つ。


 全身が熱い。


 あぁ……僕、怒ってるんだな。


 他人事みたいに自覚した。


「なんで本人に言わないの?」


「ま、まだ帰ってきてなくて……」


「じゃあ本人が帰ってきたら謝れるのか?」


「…………」


「ほらな、切り替えどころか反省も出来てないじゃん」


 普段なら絶対に言えない。


 いや、怖くて言おうとすらしない。


 だけど……僕の脳みそは熱にやられてしまったみたいだ。


 もうどうにでもなれ。


「まだ思ってるんじゃないか? 『坂道ゆうの傍にいれば、推しとお近づきになれるかも』って」


「…………ッ」


「図星かよ」


 確かに坂道あさひは『すごいアイドル』なのかもしれない。


 坂道ゆうさんは『すごいアイドルの妹』なのかもしれない。


 ……それがなんだ。


「色部さん、マネージャーとしての今のあんたは最低だよ」

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