第十九話 星彩の糸
「……どういうことだ? これは……」
七神の顔つきが異なって、春人の人格へと変化したことがわかった。同じ体なのに、人格が変わると雰囲気が別人になるのはとても不思議だと思う。
「冬登さんは、霊力を使い過ぎたからしばらく眠るって」
私の言葉は聞こえていないのかもしれない。顔を青くした七神は、じっと自分の手を見つめたまま動かない。
強い風が病院の中庭の木々をざわつかせ、屋上のベンチに座る私と七神の髪を乱して駆け抜けた。
「……すべて、思い出した。……そうか。そうだったのか……」
蒼白になっていた七神の顔色が、徐々に紅潮していく。黒い瞳がぎらぎらとした輝きを帯び、好戦的な光が煌めく。
「あいつは完全に眠ったようだな。それで俺の制限が外れて、俺の前世の記憶が戻ったのか……やっとお前に真実を話すことができる」
「前世?」
「あいつは祟り神の生まれ変わりだ。そして俺はお前の許婚だった」
冬登が神様の生まれ変わりだというのは知っている。春人が許婚だったことは知らない。
「昔、村の神社でお前は巫女、俺は神職を務めていた。俺たちは愛し合っていて、もうすぐ祝言を上げるという時に、あいつが……祟り神がやってきた」
「祟り神は村人を流行り病で殺すと脅して、生贄を要求してきた。よりによって、お前を名指しだ。俺は反対した。それなのに、村の奴らは俺を納屋に閉じ込めて、お前を生贄に差し出したんだ」
「俺が解放された時、お前は祟り神に殺されていて、抵抗したお前に護り刀で刺された祟り神も死にかけていた」
詳細は異なっていても、神社で正式に伝わっている話に近い。祟り神を倒す力が欲しいと巫女が請願した理由もわかる。それでも……信じることは難しい。
「そのままでは七つの魂を持つ祟り神は復活してしまう。だから俺は七剣星の力を借りて七つの魂を封じ込めた」
「〝捕縛者〟は神の力と龍の体を七つに分けて封じたって……」
「龍? あいつが? あいつは
「蛇神?」
ごく最近、どこかで聞いた言葉なのに思い出せない。御札が抱いていたのは龍ではなく、蛇の体だったのだろうか。執拗に潰された頭部を思い出してみても、どちらかはわからない。
「あいつはお前を利用して、完全復活する為に魂を集めたんだ。あいつは霊力で星彩の糸を切っては〝捕縛者〟を自由にして、人の魂を喰わせて自分の魂に霊力を蓄えてきた」
「魂を……喰わせた?」
昨日握りしめた文葉の魂の温かさを思い出し、背筋をすっと冷ややかなものが駆け抜けていく。
「そうだ。お前の友達とかいうヤツも魂を喰われたんだろ。星彩の糸が切れると〝捕縛者〟は糸を修復しようとする。その材料が人の魂だ。余った魂は祟り神に喰われて霊力になる」
星彩の糸の材料が人の魂。初めて聞く話が、頭の中で回る。
「でも……冬登さんは、文葉を助けてくれて……。それに生きている人もいる……」
「それはお前を懐柔する為に決まっている。自分が正義だとお前に信じさせて、手に入れようとしているんだ。あいつから何を聞いたのかは知らないが、祟り神は嘘を吐く。お前が前世を思い出さないのも、きっとあいつがお前の記憶を消したからだ」
記憶を消した。様々な話を聞いても、かすかな断片しか思い出せないのは、そのせいなのか。
「あいつに騙されるな。あいつは祟り神だぞ」
春人が私の肩を掴んで言葉を重ねても、冬登に騙されたなんて思えない。……思いたくなかった。
それなのに『騙された』という言葉が私の感情を激しく揺り動かす。心の奥を揺さぶられるような不快感が噴き出すように沸き上がる。
「俺はもう、糸に縛られたくない。前世でお前を失った俺は、あいつの魂を完全に封じ込める為に自分の魂を使って星彩の糸を紡いだ。どういう訳かわからないが、転生して一つの体に二つの魂が存在するなんていう歪な存在になったんだ」
「俺は転生するつもりはなかった。お前を独りで死なせてしまった罪を背負って、未来永劫祟り神を封じ込める役目を果たすと誓っていた。……お前にまた会えるなんて思っていなかったんだ。俺はお前と二人でやり直したい」
「待って……急にそんなこと言われても……」
どちらが言っていることが真実なのか、前世の記憶なんてない私には判別できない。迷う私の脳裏にあの御札たちの歌が甦る。
『あーめふらし かぜふかし』
『たーたりがみのおきにいり』
『へーびがーみのおきにいり』
『つかれたうーそに はらをたて』
『りゅうをうちとり くびおとし』
『ななつ ななやに ななみたま』
『うそつきだぁーれ わらうのだぁーれ』
……吐かれた嘘に腹を立てた……嘘を信じて腹を立てたのか、それとも嘘を吐かれたことに腹を立てたのか。一体どちらだったのか。……嘘を吐いたのは誰なのか。前世を思い出したくても、何も思い出せないことがもどかしい。
〝捕縛者〟に襲われた光景を思い出した時、これまで考えもしなかった疑問が沸き上がってきた。
私が〝捕縛者〟に操られた文葉に襲われた時、〝捕縛者〟に惑わされた朝木に言い寄られた時、春人は何故、私を助けることができたのか。結界や護符に異変を感じて駆け付けたにしても、現場に現れるのは早過ぎる。……まるで、〝捕縛者〟の行動を知っていてタイミングを見計らったよう。
そして春人は、何故私が前世のことを思い出せないと断言できるのか。それは、私の記憶が消されたことを知っている当事者だからではないのか。
冬登を殺したのは『七剣星の力が欲しいと願った者』。龍の体を切り刻み、冬登の力を使って星彩の糸で縛り付けた。
春人は七つの魂を持つ冬登を完全に封じる為に、自らの魂を使って星彩の糸を紡いだから、一つの体に二つの魂で転生してしまった。
……どちらの言葉が本当なのか、激しく迷う。
『悪い事してるヤツっていうのは、他の人間も同じことしてるって思い込んだり、罪をなすりつけるんだって。自己投影だっけ? 何かそういう感じの』
唐突に文葉の言葉を思い出した。前世の私が冬登を傷つけた時、自分が死にかけているのに『騙されても仕方がない。気に病むな』と優しい声を掛けてくれた。そんな冬登が悪い神だと言えるだろうか。
もしも、春人が語った祟り神の行為が、春人自身の行為だとしたら。『七剣星の力が欲しいと願った者』が春人だったとしたら。疑いが、私の心に広がっていく。
「お前の霊力があれば、この糸は断ち切れる」
「糸を断ち切ることができるの?」
その言葉が私の心を捕らえた。私の肩が解放されて、春人の手に抜き身の三十センチ程の短刀が現れる。鋭い光を帯びる銀色の刃が、一瞬血に染まったように見えた。……これは、前世の私が冬登を傷つけた刀と同じもの。そう気が付いて、背筋が震える。
「これはお前の為に星彩の糸で作った七剣星の護り刀。これであいつを仕留めてくれ。そうすれば糸は消える。俺はお前と一緒に生きたい」
「仕留める? それは一体……?」
不穏な言葉に不安が揺らぐ。冬登は糸を切る為には私に負担を掛ける方法しかないと言っていた。
「祟り神を浄化すると願いながら、これで俺の胸を貫け。前世のお前も同じことをしたはずだ。その時は、お前独りだったから失敗したが、今は俺がいる。俺があいつの魂を押さえているから今度は必ず成功する」
「待って。春人さんを刺すなんて出来るわけないじゃない」
人を刃物で刺す。前世で血まみれになった冬登と私の姿が再び脳裏に蘇る。あの光景を再現することの恐怖で、体がすくむ。
「やるんだ。お前が祟り神を浄化すると願えば、祟り神だけが消える。昔は俺の霊力が足りなくて七剣星の力を借りて封印することしかできなかったが、お前が持つ霊力なら必ず浄化できる。……もし、失敗して俺が死んでも、祟り神を道連れに出来るなら本望だ」
「そんな怖ろしいこと言わないで!」
祟り神……冬登を消すなんて、絶対に嫌。そうは思っていても、春人の視線の強さに心が委縮していく。
「祟り神って……悪いことするとは限らないでしょ?」
「お前は昔もそう言っていた。まだあいつは何もしていないと。だがあいつは祀って鎮めることができない神だ。遅かれ早かれ、人に害を及ぼす。蘇った祟り神が何をするか想像はできるだろ? 疫病が流行り人心が荒廃する。人が争い殺し合う姿を見たいか?」
そうだとしても、私には人を刺すという選択は出来なかった。ベンチから立ち上がって逃げようとした私の腕を春人が掴む。
「離して……!」
「この護り刀は魂を斬るだけから、体に傷は残らないし血も出ない」
春人は私の手に護り刀を握らせて、自らの胸に導く。
「待って……お願い……!」
たとえ祟り神でも……嘘を吐かれていたとしても冬登を殺す覚悟なんて出来ない。震える私の手を掴んだ春人は、これは決定事項だと言わんばかりの自信に満ちた笑顔で言葉を紡ぐ。
「お前は、祟り神を浄化すると願うだけでいい。それだけのことだ。チャンスはあいつが完全に眠っている今しかない。時間が経てば、あいつの霊力が回復してしまう」
涙が溢れて心が苦しい。人を自らの手で傷つけるなんて怖すぎる。逃げ出したくても、大きな手は振りほどけない。
「嫌なの……お願い……やめて!」
「俺たち二人を縛る星彩の糸を切るには、これしかないんだ」
私の気持ちを無視して、春人は自らの胸へと刃を押し当てる。人の体とは思えない、まるでようかんを貫くような感触が手に伝わってくると、心と体が拒絶の悲鳴を上げる。
「嫌! やめて!」
私がいくら涙を流して拒否しても、春人の手は緩むことがない。掴まれた腕の感覚が鈍くなるにつれ、高揚する春人の瞳は赤く染まっていく。至近距離で見る赤い瞳は、冬登と違って蛇のような縦長の瞳孔。赤い瞳の春人も、冬登のように神なのだろうか。
「あいつを浄化すると願ってくれ。そうすれば、俺は完全な力を手に入れて中途半端じゃなくなる。星彩の糸が自由に使えるようになる」
完全な力を手に入れる。ずっと、気にしていたのだろうか。自分は中途半端な存在だと。……『七剣星の力が欲しいと願った者』とは、春人なのか。
抵抗しても止まらない刃から伝わる嫌な手ごたえで、ぷつりと私の中で何かが切れた。静かな激昂が私の感情を染め上げて、もう後戻りはできないと瞬間の覚悟を決める。
「浄化というのは、どう願えばいいの?」
「祟り神は消えてしまえと願えばいい」
「お願い……目を閉じて」
私の言葉を聞いて、春人は勝ち誇るように笑いながら目を閉じた。私は、私の意思で刃をその胸へと沈めていく。
浄化を願った護り刀の刃が完全に胸を貫いた時、赤い瞳が大きく開き、その大きな手が私の肩を掴んだ。
「何故……」
「……ごめんなさい。どうか安らかに」
人ではなく神様だとしても、一つの魂を消滅させる。それは殺人と同じこと。
それでも私は、愛する人を護ると決めた。
たとえ騙されているとしても、最期まで騙してくれればそれでいい。
「祟り神……私を邪魔する方は、どうか消えて下さい」
強く強く願いを込めると、肩を掴んでいた手から力が抜け、その体は崩れ落ちた。
◆
倒れた七神の胸に刺さった護り刀は、白い光になって消えた。血も出ていないし、服も破れていない。心臓も動いている。
私は病院の職員に助けを求め、七神は診察室へと運ばれて応急処置を受けた後、近くの大学病院へと搬送された。
大学病院で診察にあたった医師は七神を良く知っている様子で、到着した時には親族へと連絡がされていた。七神の両親は他界していて、病院に現れたのは祖父母。上品な着物姿の二人は冷静を装っていても心配していることがわかる。
「はじめまして。賀美原蓮乃と申します。……申し訳ありません……」
私が七神を刺した罪悪感で頭を下げたのに、二人は七神が倒れた理由も聞かずに微笑んで迎えてくれた。しかも親族として医者の説明を聞くことも許してくれた。
「二つの心臓のうち、一つが機能停止しています」
世界でも有名な心臓外科医の話は衝撃的だった。七神の心臓は生まれつき二つあり、ぴったりと重なり合っていて軽く見ただけではわからない。世界でも稀な例で、この大学病院で年に二度の検診を受けていた。
「前回の検査では、このように絡み合っていたのですが……こちらが今回のMRI映像です」
最初にモニタに映された映像では複雑に絡み合っていて分離できそうには思えないのに、次に映された映像は心臓が二つにはっきりと分かれていた。
「形状変化の理由は不明ですが、早急に停止している方を取り出して血管をつなぎ直す必要があります。このまま放置していては、どちらも停止する可能性がある」
医者が危険性の説明を行う中、七神の祖父母は迷うことなく手術を依頼して緊急手術が始まった。私は特別に用意された個室で待機するだけ。
大丈夫だと信じていても不安で仕方なかった。七神の祖母に説得されて仮眠を取り、待ち続けるしかない。
難しい手術は十数時間に及んだものの、無事に停止した心臓が取り出された。不思議なことに、取り出した心臓はすぐに腐敗して溶けてしまい保存することもできなかった。
◆
今日も私は相変わらず。画廊の仕事を終え、午後五時の定時を過ぎてスマホをチェックすると文葉からのメッセージが入っていた。
『来週、退院することが決まりましたー。蓮乃、ありがとう!』
目覚めた文葉の回復は早く、病室で暇を持て余してネットで動画ばかり見ているらしい。簡単に返事を返して画廊から出ようとした所で、朝木に声を掛けられた。
朝木はいつもと変わらない英国式のスーツ。今日は焦げ茶色で、すらりとした体格と自然な茶髪に馴染んでいる。
「賀美原さん、今日も七神の所?」
「はい。出来れば目が覚めた時、そばにいたいので」
手術を終えた彼は、まだ病院の集中治療室で眠っている。経過は順調で、医者も驚くようなスピードで心臓が本来の大きさに戻ろうとしているらしい。
私は彼の祖父母から毎日見舞いに行く許可をもらい、仕事が終わると病院に駆け付けて面会時間ぎりぎりまでを過ごしていた。
「そうか。よかったら車で送ろうか?」
「ありがとうございます。実は迎えの車が待っているんです」
私は辞退したのに、彼の祖父は病院の行き帰りに送迎車を用意してくれている。彼と付き合ってもいないのに、既に私は彼の婚約者扱い。彼が目覚めたら、どう説明しようかという悩みはある。
「あ。そうなのか。目覚めたら僕もお見舞いに行くから教えてくれないかな」
「はい。必ず」
朝木はまだ、二人のうち一人が消えたことを知らない。そのことを知った時、どう思うのだろうか。……そして、私がしたことをどう思うのか。
「それじゃあ、失礼します」
「ああ。行っておいで」
優しく微笑む朝木に会釈して、私は画廊を後にした。
◆
平日の静かな午後、私は病室で本を読みながら彼の目覚めを待つ。手術から十日が経って、集中治療室から一般病棟の重症個室へと移されていた。
眠る彼の表情は穏やかで、水色の病衣でも格好良い。そんな他愛のないことを考えながら、彼の頬へ触れた途端に目がぼんやりと開いた。
「……ここは……?」
瞳を動かして周囲を見回す表情は、彼のもの。
「大学病院の病室。二つあった心臓のうち、一つを取り出したの。大丈夫?」
私の言葉を聞いて、彼は自らの内を探るかのように胸に手を当てて目を閉じる。
少々の沈黙の後、彼が目を開いた。
「…………ああ。大丈夫だ。…………あいつは消えて、糸は切れた」
よかった。今度は間違えなかった。
誰に何と言われようとも、愛する人を最期まで信じる。
もうこれで誰も私たちの邪魔はできない。星彩の糸は彼を縛ることもない。
安堵で零れる私の微笑みを見て、彼が笑う。
私は、彼が差し出す手を取った。
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