第十八話 導きの力

『蓮乃!』

 眩い光の中、黒い狩衣姿の七神が私の名を呼んだ。

「冬登さん!」

 文葉の魂を左手に握りしめ、鳥居の外に立っている七神に右手を伸ばす。穢れに飲み込まれそうになった時、七神の手が私の手を掴んで引き寄せる。


 私の体が鳥居の外に出ると、穢れは溶けるように消えて、鳥居も闇の中へと消え去った。勢いづいた私は、七神の胸に倒れ込む。七神は私を抱きしめながら、地面に座り込んだ。


 木々に囲まれた草原は暁の光を迎え、夜の闇は徐々に消えようとしていた。

 

『……振り返るなと言っただろう?』

「ごめんなさい、ごめんなさい。でも……美織も……助けたかったの……」

 七神の護符が無ければ、私はきっと戻って来れなかった。七神の腕の中、安堵と悔しさで涙が止まらない。微笑む七神は私の涙を指で拭う。それでも涙は止まらなくて、どうすることもできない。


『それは幻影だ。魂が戻らないようにと張り巡らされた罠だから、騙されても仕方がない。気に病むな』

 騙されても仕方がない? その言葉を聞いた途端、頭の奥に閃光を感じて周囲の景色が一変した。



 ――赤く染まる空を背にした七神は、私を優しく抱きしめていた。私の手は短刀を七神の腹へと突き立てていて、黒い狩衣と私の白い着物が赤い血で染まっていく。二人とも血だらけで、私の足首が酷く痛む。

『……騙されても仕方がない。気に病むな』

 短刀は、私の命を代償にして神の力を奪っていく。それなのに、七神は私に優しく囁いて抱きしめた。

 私は誰に騙されたのか。……『七剣星の力が欲しいと願った者』とは誰なのか。



『あまり強く握りしめてやっては、苦しいかもしれないぞ』

 そう言われて我に返った。慌てて固く握りしめた左手を開いてみると血の気が引く。

「あれ? 嘘……文葉は?」

 手の中には、一センチくらいの丸い透明な玉しかなかった。文葉の魂である蛍を掴んでいたはずなのに。


『一度泉下に降りた魂が現界に戻ると、殻が無ければ霧散してしまう。魂の卵のようなものだ。安心していい。守り袋は持っているか?』

「はい」

 ポケットから守り袋を取り出すと、玉を中に入れるようにと指示された。


 七神の手を借りて立ち上がり、お互いの服についた土をはらう。朝日が周囲を白く照らすと七神の姿が元に戻り、顔の紋様は消えて赤い瞳も黒へと変化した。

「元に戻れるの?」

「ああ。姿だけだ。流石にあの装束で外は歩けないからな。……どうした?」

「……か、狩衣も格好良いなーって……」

 ずっと思っていたことが正直に口から零れてしまった。不謹慎で場違いと気付いて、慌てて手で塞いでも七神にはきっちり聞こえていたようで、口を引き結んで目を揺らす。


「すべて終わって……機会があったら……また見せる……」

 七神の独り言のような呟きに、私は笑顔で頷いた。


      ◆


 七神の車で文葉が入院している病院へと向かい、到着したのはお昼過ぎ。明るい太陽の光が眩しい。総合病院の建物は白く、リハビリ施設が併設されている為なのか、木々が植えられて整えられた中庭が広い。


 文葉の母親に連絡しようとして七神に止められた。何の事前連絡もなしで集中治療室へと入ることができるのか不安を感じても、七神なら何とかできるのかと思い直す。


 病院のエントランスはガラス張りで、五階までの吹き抜け。開放的な空間は、病院の重々しさを消していて、白い壁や柱で明るい雰囲気が漂っている。


 人がいる受付の前には、受付用の機械が並んでいた。病院へ訪れた人は、ここで簡単な選択式問診を行ってから、診療科を振り分けられて予約を行う。


 七神は正面の人がいる受付に迷わず向かった。受付には三名の女性が座っていて、それぞれが個別対応できるように仕切りが付けられている。

「連絡しておいた七神です」

「はい。承っております。こちらをどうぞ」

 名前を言っただけで、受付の女性が鍵を机の上に差し出した。七神は軽くお礼を言って鍵を手に取る。


「行こう」

 七神は病院の中を熟知しているのか、迷いのない足取りで歩いていく。エレベーターを使って最上階に登り、さらに階段を使って屋上へと出た。


 病院の屋上は、がらんとしていてコンクリートの床と鉄の柵、錆びたベンチが数台の他は、青い空。エントランスの隅々まで徹底された清潔さとは違って、放置された感じが強い。


「どうした?」

「その……病院の屋上って、タオルとかシーツとか干してるイメージが強くて、何も無いのが意外だなって」


「今は専門業者が洗っているからじゃないのか? 屋上は患者が上がれないように鍵が掛けられている」

 その鍵が七神の手元にある。患者を屋上に出さない理由は何となく察することはできた。


「この病院も拝み屋の顧客だ。年に数回、不可解な事件が起きる。今日はその件で来たと連絡してあるから屋上は誰も寄り付かない」

 七神は事前に病院へ連絡をしていたらしい。


「私が帰ってこれるとわかっていたの?」

「蓮乃なら帰ってこれると信じていた」

 微笑む七神は優しくて。もしかしたら、私が穢れに捕まったとしても絶対に助けるつもりだったのではないかと思う。


「文葉の病室へ行かなくても大丈夫なの?」

「ああ。この距離なら間違いなく魂を体へと導くことができる」 


 目を閉じた七神が、再び目を開くとそこには赤い瞳。七神が神様だというのは夢ではなく現実のことと再確認しても、恐怖はなかった。服がそのままなのが残念かもと、場違いで不謹慎な気持ちが先にたつ。


『始めよう。友人の魂を出してくれ』

 指示されるまま、守り袋から取り出した透明な魂の卵を私の手のひらに乗せる。


『これが、本来の星彩の糸だ』

 ふわりと十センチくらいの白い光の糸玉が七神の胸の前に現れた。七神はそっと包み込むように両手をかざす。くるりくるりと光の糸玉が回転すると、きらきらと光る星が零れては消えていく。


『星彩の糸になった七剣星の力は、導きの為の力だ。魂を導き、魂の縁を緩やかに結ぶ為の力であって、決して縛る為の力ではない。間違った使い方は、歪みを生じて闇を呼ぶ』

 糸玉から糸端が現れて、糸が解けていく。糸は自由自在に踊りながら、屋上から下へと向かった。糸がどれだけ解けても、糸玉は小さくはならない。


『糸が友人の体に繋がった。蓮乃、その玉を糸の上へ』

 透明な玉を摘まんで、白く輝く糸の上に乗せると玉はころころと糸に沿い、軽やかな鈴のような音を立てて転がっていく。


 玉の姿が屋上から消えてしばらくすると、階下に降りていた糸が煌めきながら消えていく。

『魂が体に戻った。……目覚めたようだ』

「よかったー」

 ほっとして座り込みかけた私を七神が慌てながら抱き止めた。


「……冬登さん、ありがとう。ありがとう……」

 ほっとして、嬉しくて、涙が零れる。七神の背に腕を回して抱き着くと、しっかりと抱き返された。


 私の心臓も、七神の心臓もどきどきと早鐘を打っているのを感じる。私の体温が、ひやりとしていた七神の体温を上げていく。


『……霊力を使い過ぎた。私は、しばらく眠ることになる』

「しばらくって、どのくらい?」

 見上げると、微笑む七神の瞳が黒く戻った。


「半年か、一年か……長い時間が必要だ」

「待って。そんなに長いなんて……ごめんなさい……私のわがままのせいで……」

 あの世から人の魂を連れ帰って戻す。それは神様の力でも、大変なことだったのかと今更ながらに知った。


 七神の右手が私の片頬を優しく撫でた。ひやりとした手に頬を預ける。

「私を待っていてくれるか?」

「もちろん。必ず待ってる」


 七神は私を抱きしめていた腕を解き、手を引いてベンチへと向かう。錆びた座面にさっと白いハンカチが敷かれた。


 勧められるままに座ると、七神もベンチに座って大きく息を吐いて肩を落とした。今までにない疲れた表情を見ていると胸が痛む。

「……悔しいな。あいつがいなければと、これほど思ったことはない。……歪んだ星彩の糸があいつと私を縛り付けていて、力を取り戻した今の私の霊力でも解けない。…………糸が無ければ、霊力が自由自在になって眠る必要もなくなるのに」


「糸を切ることはできないの?」

「……一つだけある。蓮乃が…………無理だな。忘れてくれ」

「お願い、教えて。出来る事なら何でもするから」

 私の必死の訴えにも、七神は苦笑するのみ。


「その気持ちだけで十分だ。蓮乃に負担は掛けたくない。早く戻れるように私が努力すればいいだけだ」

「努力?」

「あいつに体を預けて、完全に眠る。何も視ず、何も聞かず、何も語らない。蓮乃のことが心配だが、外界の一切の刺激を断って眠ることができれば、霊力の回復も早い。なるべく早く戻る」


「私は大丈夫だから心配しないで」

 七神が戻ってきたら私の想いを告白したい。好きと伝えて一緒にいたい。寂しさで零れ落ちそうな涙をこらえて笑顔を作ると、七神は優しい笑顔を返してくれた。


 その優しさが心を温めていく。


「目覚めたら、話したいことがある……待っていてくれ」

 隣りに座っている七神の体から力が抜けて、肩に重みが掛かった。支え切れるかどうか心配になった時、七神の体がびくりと大きく震えて目が開いた。

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